第21話

  タカタメディクスへの初出勤は、平成七年一月十七日の火曜日だった。仕事場の調剤薬局は鞍手郡宮田町上有木にあった。現在は宮若市になっている。事前に一度車で来て調べていたので、自宅からの所要時間も予測出来ていた。

 当日は六時に起床して、七時半に家を出た。薬局には八時五分に着いた。早く着き過ぎた様だ。まだ、誰も来ていなかった。明日からはもう少し遅く家を出ても充分間に合いそうである。

 神之木調剤薬局のスタッフは総勢九名体制だった。薬局長の福井さん、主任薬剤師の花田主任、薬剤師の吉山さん、香月さん、山口君、そして、事務主任の大熊主任、事務の桂さん、金沢さん、そして薬剤師として健一である。薬剤師が六名、事務が三名であった。女性社員が事務の三名と吉山さん、香月さんの二名の薬剤師。残りが男性社員である。

 薬局内では薬剤師を『先生』と呼ぶ慣例らしい。

 健一の初日の研修は、まず、調剤業務の一連の流れを理解することであった。その後は薬品棚に並んでいる薬品の名前と薬効。普通薬と劇薬の区分、散剤と水剤の対応、処方箋の読み取りと多岐にわたっていた。まさに五十の手習いであった。

 健一は休憩時間に、薬品棚のレイアウト図をノートに書き取った。棚は大きくは、劇薬と普通薬に区分されていて、劇薬は棚枠を赤のテープで囲んでいたのである。基本的には五十音順に縦列に並べられていた。

 『今日は、いろいろと研修出来た』健一は帰宅して、浴槽で暖まりながら納得していたのだった。


 初出勤のこの日、平成七年(1995)一月十七日は兵庫県で、南部沖地震が発生した日である。後に【阪神淡路大震災】と呼称された。この大震災で、永年に渡りお世話になった竹内社長のサンエーの衰退が加速されたのである。本当に悲しい天災の結果であった。

 健一は茫然自失となったのである。尊敬する竹内社長の顔を思い浮かべて、涙が止まらなかった。自分の人生の中心を構築して呉れた会社であった。残念である。

 彼は気持ちを持ち直して、毎日研修を重ね続けたのである。処方箋を読み取って、自分で調剤を行った。分包機を使って散財を調整したり、複数の軟膏をミックスしてプラツボに詰めたりと、日を重ねるごとに自信を付けて来たのだった。だんだんと調剤業務の面白さを感じることが出来るようになってきた。

 健一が神之木調剤薬局に入局してから二週間後に、調剤部門の責任者である田崎課長が来局した。彼は高宮薬科大学の後輩らしい。健一は六期生であるが、課長は十八期生であるらしい。歳を取ってからの転職には、こんな逆転が当然起こるものである。それを精神的に乗り越えなければ生きて行けない。男は辛いものだ!

 

 神之木調剤で、仕事を始めてから二年が過ぎた。当然ではあるが、健一は、すべての業務が出来るようになっていた。そして、主任薬剤師にもなったのである。マスターしてしまえば、サンエーの時の仕事に比べて、肉体的にも精神的にも非常に楽になった。日々、数値責任を追及されることもなく、早番のシフトでは十七時には帰れるのである。その為に時間に余裕が出て来たのである。彼は、早番の日に夕方からアルバイトを始めたのだった。別に生活が苦しくなった訳ではない。余裕の時間に自分の小遣いを稼ぐためだった。それと、社会勉強のためである。好奇心でもあった。そして、キュウサイ青汁の会社で十九時から二十三時まで働くことにした。時給千円だった。

 作業内容は、青汁の原料であるケーナという野菜を粉砕するために、ベルトコンベヤーの入り口に投げ込む作業であった。すこし、力が必要であるが、単純作業そのものだった。適度の運動にもなった。調剤業務は、あまり肉体を動かさないので、身体の為にも良いと思ったのである。

 この当時、テレビコマーシャルでもやっていたので、よく売れている青汁であったのである。【まず~い。もう一杯!】のコマーシャルが人気だった。

 時には夜中の十二時を過ぎる日もあった。その分には割増の手当が付いたのである。健一は月曜日と水曜日と金曜日の週三回の夜は、このアルバイトに出勤したのである。いろんな人達と知り合いになって、役立つ人生勉強もさせていただいたのだった。給料は月に五~六万円くらいであった。今思えば、金銭以外の大きな収穫があったと思っている。

 バイトのある日は、夜中の十二時過ぎに帰宅して、風呂に入って、軽い夜食を摂って寝るという生活だった。翌日は、朝の八時に自宅を出て、薬局の勤務についたのである。

 朝、眠い日も、たまにはあったが、毎日の生活は極めて充実していたのである。

 良い体験をしたと思っている。人間その気になれば、どこででも働けることを実感したのである。健一は、青汁以外にも、冷凍食品会社の鯛焼き機洗浄や、セブンイレブンの下請けのサンドイッチ工場でも夜間バイトをしたのだった。

 タカタメディクスでは、健一が入職した後には、岡崎副支社長の言葉通りに調剤薬局の新規開局が加速されていったのである。二日市店、福重ふくしげ店、久留米店、一の谷店、産業医大前店、前原まえばる店、そして、南福岡店と矢継ぎ早に開局したのであった。一号店の神之木店を加えると十店舗になったのである。

 全てが田崎課長の業績だったのである。凄い奴だ!それも僅か三年間で!

 この間、健一は神之木店の薬局長になり翌年、マネージャーに昇格して、神之木店を含めた北九州地区の三店舗を任されることになった。更に翌年、田崎課長が一身上の都合により退職したために、健一は九州地区の調剤部門の責任者に急遽任命されたのだった。

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