【第十幕 戦闘】
「えっ⁉なにっ!」
ジョルジアが驚いて声を上げる。
その場の全員の視線が、怪しい人影に集まった。
「ったく、余計な仕事を増やしやがって」男が吐き棄てるように言う。
「仲間を気絶させてお前らをおびき出したら、そこの灰色髪が一人になると思ったが……まさか全員集合とはね」
「灰色髪って、ハイトのこと?」ヒューが首をかしげる。
「困るんだよなぁ。お前のような切れ者に、俺のことを知られてると」
雲間から出た月明かりが、男の影を照らす。男はバケット帽を持ち上げて言った。
「なあ、ヘンリ・ハイト。グレースと四人で店に来たときにゃあ、驚いたよ」
「まさか……」ハイトは男の正体を知り、背筋が凍るような薄ら寒さを感じた。
見覚えのあるバケット帽に、見覚えのある顔。しかし、ハイトがそれぞれを見たのは別の場所だ。帽子はアームストロング婦人の店で。
その顔は——『Restaurant Blue stars』で。
「ハイト、こいつのこと知ってんの?」ヒューが驚いて聞いた。
——前に入ったアボットは、もっと優秀だぞ!
「うん」——(グレアム……そうか。名前で呼ばないから忘れてた。確か、アボットの名前はグレアム。グレアム・アボット。帽子を目深に被ってたのは、僕に顔を隠すため……)
「あら、今頃気づいたようだねぇ」
ハイトの様子を見て、たれ目の女が言った。
「殺さなくても良かったんじゃない?」
アヒル口の女が言う。
「馬鹿言いな!こいつはボスの名前を知ってんだ!あのレストランはあたしたちのルートだから、ボスは本名で呼ばれてる!気づかれるのは時間の問題だろ!」
化粧の濃い面長の女が、小声に二人を叱責した。
「あああ!お前ら!アームストロングの店にいた……‼」
ジョルジアは驚いて、三人の女を指さした。
三人とも黒いドレスにクロッシェという出で立ちに変わっているが、間違いない。廊下でハイトとグレースに絡んできた、あの従業員たちだ。
「俺たちは、『夜明けの蛇』だ」
女たちの先頭に立って、グレアムが言った。
「お前ら、ラーニョの人間か」
ギルバートが問うと、グレアムは「さあね」と濁した。
ラーニョはヴォルベリーニ家の領地で、ルチェルトラとラーニョは隣合っている。
「ふん、なるほどな」それが答えのようなものだ。ギルバートは納得したように目を瞑った。
「兄貴、どういうこと?」
「ラーニョの領主、ヴォルベリーニ家の稼業は歓楽街の経営だ。置屋や娼館の警備、従業員のボディガード役として、ラーニョは下請けにギャングを雇っている」
「じゃ、じゃあ!そいつらがルチェルトラに流れてきてたってこと⁉」
「おそらくラーニョからうちの領地へ、許可証なしで武器やら何やらを通せるルートでもできたんだろ。そうだなぁ、たとえば、ババアが頻繁に通ってたレストランとか」
カーターがしらじらしく言うと、図星の女たちは歯ぎしりして睨んだ。
グレアムだけが、余裕の表情を浮かべている。
——(婦人が店に通ってたのは、グレアムに会うためだったのか!)
ハイトの中で、すべてが繋がった。
「上にヴォルベリーニ家がいると、ラーニョじゃ下手に市場を広げられなくてね」
グレアムは笑い混じりに言った。
「なるほど。そんなことがバレたら、領主間の問題になりかねない。だからアームストロングも、グレースも……エリーヌまで……口封じに殺したってわけね」
ムアは姉妹を想うとやりきれなさが込み上げ、語気に怒りを滲ませた。
「ああ。そうだよ」
グレアムはズボンのポケットに手を突っ込んだまま、バケット帽の下から怜悧な目を覗かせた。その態度には、何の悪びれも後悔なかった。
「丁度いい。探す手間が省けた」ギルバートは、丁寧に黒い革手袋をはめ直した。
「ついでに明日生きる手間も省いてやるよ」
グレアムの言葉に、ジョルジアがいきり立つ。
「上っ等じゃねぇの!あたしらに喧嘩売ったらどうなるか、地獄みせてやんよ!」
「地獄なら知ってる。お前らより、ずっと深くな——殺れ」
グレアムが指示すると、女たちはルチェルトラにマシンガンを向け、銃撃を始めた。
雨のように降る弾丸を避けながら、
それを、『夜明けの蛇』の三人がそれぞれ追っていく。
グレアムとギルバートは、対峙して動かなかった。ハイトは吐き気と恐怖で身動きが取れず、意図せずギルバートと、その場に残ることになった。
言葉を発する暇もなく、グレアムが蛇腹のような奇妙な形の刃物でギルバートに斬りかかる。
ギルバートはとっさに短剣を抜いて応じた。激しい剣戟が行われる中、グレアムのナイフが宙に飛んだ。その一瞬の隙に、ギルバートは相手の背後をとった。
後ろから短剣を首に向ける。
グレアムはしたたかに舌打った。
「動くな。大人しくしていれば殺さない」
グレアムは不敵に笑った——かと思うと、どこから取り出したのか、ギルバートの脇腹に後ろ手でナイフを突き刺そうとした。
ギルバートは見ていない。
――(危ない!)
ハイトが叫ぼうとすると、ギルバートは即座に拘束を解き、攻撃を封じた。
ハイトは安堵すると同時に、疑問に思った。
――(今……ギルは見てたか……?)
ギルバートは、グレアムの手を見ていなかった。むしろ、瞬きに目を瞑っていたような気がする。先ほども、目で追っていないのに、グレアムの攻撃を躱していた。
まるで、鳥のように、上から状況を俯瞰しているかのように。
「――死ね」
グレアムは大きくしゃがみ込むと、ジャケットの裏に両手を突っ込んだ。
新たな刃物を取り出し、両腕を遠心力にまかせ、振り返りざまに切りつける。
ギルバートは寸でのところで飛びのいてかわした。刃風で前髪が揺れる。
これをまともに受けていたら、短剣を飛ばされていただろう。その後も、グレアムは大胆で力任せな攻撃を続けた。
グレアムはハイトより少し歳下の、十四、五歳に見えた。そこには、若さゆえの恐れを知らない無尽蔵の力と、不安定さが同居していた。
ギルバートは心中で分析する。
——(威力はあるが、遠心力と力任せの荒い攻撃。体力の限界を考えず、休む暇なく押し続けて引かない。振りが大き過ぎて、見ているこっちが危うささえ感じる。だいたいこういう戦い方をする奴は……生への執着を欠いている……)
「俺たちは地獄から這い上がった、生きる屍だ!お前に俺は殺せない!」
グレアムはゆらりとギルバートを睨んだ。
「殺せなくていい。俺の仕事は、お前を牢獄に入れることだ」
「残念。俺を殺せないってことは、お前が死ぬってことだ」
「不思議だな。俺はそういう奴を何人もお縄にしてきた」
「闇が深ければ、深いほど、人は強くなる。より深い闇を抱える人間が、いとも簡単に人を殺すのさ!お前のことは知ってるぞ、ギルバート・ケイス・チェスター。チェスター家といえば、領主カポトルティ家が地主だった時代から、代々そばで仕える家柄。その生い立ちに、なんの苦労もなかっただろう」
「まあ。そうだな」
ギルバートはあっさりと答えた。
「それだよ。人間性の違いってのは、結局は育ちの良し悪しだ。お前は育ちが良いから人間ができている。人間のできた奴は……」
「……っ!」
グレアムはいきなりハイトに掴みかかり、首筋にナイフを突きつけた。
「こういう姑息な真似をされたとき、馬鹿正直に道徳倫理やら良心やらの虚構に従うのさ!さあ、武器を捨てろ!こいつを殺されたくなかったらなぁ!」
「……」
ギルバートは迷わず短剣を落とし、慎重に両手を上にあげた。
灰色街のトラジェディア @Tnepresss
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