【第七幕 灰色の推理】
「ここの二階、突き当りね」
二人がグレースの部屋に着くと、ジョルジアが迎えた。
「待ってたよ姉貴!今、アームストロングを呼んできたところ!」
「ジョルジア、もしかして俺のこと見えてない?」ヒューが言うが、ジョルジアはそれには答えない。「もしもしぃ?ひどくね」
「ねぇ、弟が見つかったって……どういうこと?」エリーヌはハイトに迫った。
「ごめん。あれは嘘」
「騙したの……」エリーヌが身体じゅうに駆けずる怒りを抑えて言った。
「だって。そうじゃないと、君は自殺したでしょ? 犯人が逃げられないと観念したように見せかけて」ハイトがそう言うと、エリーヌは冷ややかに笑った。
「あなたは考え過ぎだわ」
「そうかな」
「残念だけど、この事件の犯人は私よ。多くの場合、真実はさほど複雑じゃない。拍子抜けするほどシンプルで簡単なものだわ。私はエリーヌじゃなくて『エレーヌ』。頭文字はH。強迫状の内容はフェイクで、H・Cのイニシャルはこの私。姉さんは強迫状が私からのものだと気付いていて、あなたたちに渡したの。だから私が名前を偽っても、何も言わなかったのよ。私が客の四人を殺して、姉さんを襲い、脅迫状を書いた。私は姉さんが羨ましかったの。地味な私とは違って、すべてを持っていたから……」
「いや。違う」ハイトはきっぱりと言った。「君は犯人じゃない」
「あら、なんでそんなことが言えるの?」
「君はジョルジアに、『グレースの顔の傷は自作自演。そうじゃなかったら、グレースを襲った人物が四件の殺人の犯人』だと言った。逆に言えば、グレースが自作自演をしていなかった場合、グレースは犯人ではないということになる。君が本当に四件の殺人の犯人なら、疑いをかけるべきはグレースだよね。わざわざグレースの容疑が晴れる路線を確保するような証言をしたうえで、その通りになるようにグレースを襲うなんてこと、君が本当の犯人であればするはずがない。しかも、わざわざ僕たちに現場を目撃させ、止めさせた。最初からグレースを殺すつもりなんてなかったんだ。あのとき、僕たちはグレースではなく君の声を聞いて駆けつけた。君には大声を出す必要なんてなかったし、それを抑えられないほど冷静さを欠いた人物とは思えない。つまり、君はお姉さんを庇っている」
「じゃあ、グレースが犯人?」ジョルジアが横目にグレースを見た。
「そんな、まさか!」「姉じゃないわ!」グレースとエリーヌが否定したのは、ほぼ同時だった。
「まあ。グレースがすべての事件の犯人なら、連続殺人である事実をわざわざルチェルトラに明かす必要がない。でも、グレースは四件の殺人に関わっている——そして、実際に一人殺してる」
「一人……?」ヒューが首を傾げると、ギルが口を開いた。
「——サカシマ・リュウか」ギルの言葉に、グレースがはっとして俯く。
「そう。三件目までの被害者は一度殺されたあと、何らかの手が加えていた。僕が思うに、前の三件の被害者は全員、腹部から胸部をめった刺しにされて殺されていた」
「でも、おかしいわ」ムアが言った。「犯人は同じ殺害方法を隠すために手を加えたって言いたいんでしょ?でも、それだったら最初からめった刺しなんかせずに、三人とも違う方法で殺したらいいじゃない」
「確かに。姉貴の言う通りだ」ジョルジアが頷く。
「じゃあ。もし、こうだったら?」ハイトはゆっくりと続けた。
「真犯人には、この連続殺人を隠すつもりなんてなかった。三人の被害者は、同じ現場で同じように殺されたけど、誰かがそれを隠蔽した。一件目は黒焦げにすることで、二件目はバラバラにした胸部と腹部を隠すことで、三件目は、予想以上に早く見つからなければ、水中で腐敗させることで」
「協力者がいたってこと?ギルの言った通り、それがグレース?」
ヒューは頭の後ろで腕を組みながら、飄々とした態度で言った。
「協力者とは言えない。恐らく犯人は、遺体を動かして処理しているのが誰なのかを知らなかった。そして、その誰かも、この事件の犯人を知らない」
「誰かって……誰だよ」ジョルジアがじれったがる。
「この事件が複雑なのは、殺した犯人を知らない癖に、遺体を動かして一手間加えた人物がいるから。ですよね、アームストロング婦人」
「私は何も知らないわよ」ハイトが問いかけると、婦人はツンとして言った。
「初めてここへ来たとき、この建物の前の道だけがやけに黒ずんでいることが気になった。あれは血だ。みんなにここへ集まってもらってる間に、水をかけて靴で汚れをこすってみた。白い紙の端をひたしたら……この通り」
ハイトは懐から紙を取り出して言った。
「褐色に染まった。この地方に褐色の砂はない。結論から言うと、犯人はサカシマ・リュウ。グレースに交際を迫るために三人を殺害し、店の前に遺体を放置した。そして、婦人。あなたは、それをグレースの犯行だと勘違いして隠蔽しようとした。違う?」
「ふん、飛んだデタラメよ。証拠はあるの?」
「グレースに届いた手紙を全部読むような人だ。当然、彼女の部屋の中も定期的にチェックしていますよね。それなら、あなたはグレースがサカシマを装って自分宛に手紙を書いていることを、知らないはずがない」
「知らなかったわ。グレースの部屋にだって、一度たりとも入ってない」
「じゃあ。なんでサカシマからの手紙には、消印のあるものが一つもないんですか」
「知らないわ。サカシマが直接ここへ届けたんでしょ」
「外にポストは付いていない」
「じゃあ、グリアムに渡したんだわ」
「下働きの少年に? じゃあ彼はきっと覚えてますね。手紙は二十六枚もあるから、二十六回会っている。聞いてきてもいいですか」ハイトが部屋から出るフリをすると、婦人は慌てて引き留めた。
「ちょっと……!」ハイトは婦人の言葉に立ち止まった。
「聞かれたら困りますよね。彼はあなたが言うほど馬鹿じゃない。彼はたぶん、あなたが店の前から死体を動かしているところを目撃していた。だから、ああいう職務態度でもクビにできないんでしょ? 彼を見下しているあなたなら、迷わずクビにしそうなのに」
「……」婦人は沈黙した。
「グレースの前で言いたくないけど、あなたはグレースがもう稼ぎにならないと言っていた。経済至上主義のあなたにとって、グレースを庇う理由はないはずだ。あるとすれば、それは自分の身を心配しているから」ハイトは、ちらとギルバートの方を見た。
腕を組んで壁に身を持たせていたギルは、ハイトを一瞥すると、目を瞑って言った。
「いいだろう。ぜんぶ吐けば、死体損壊と死体遺棄の罪は大目に見てやる」
「どっちみち、あなたは保険金殺人と無許可営業の罪で捕まる。そんなに減刑を拒みたいなら、僕は止めないよ」
「それは確かでしょうね?」抜け目のない老獪な婦人は、ギルバートを睨んで言った。
「お前の舌に聞け」
「供述によるってことよ」
ムアが舌足らずのギルバートを補足する。
「わかったわ……」婦人は大きなため息をついた。「そうよ。ぜんぶ認める。グレースが捕まったら、うちの稼ぎ頭がいなくなる。グレースが犯人じゃなくても、店の前でうちの客が三人も死んだとなれば、商売あがったりよ。あなたの言った通り。三人の死体に手を加えて遺棄したわ。グレースの部屋にも入ったし、手紙だって盗んだわよ。あの手紙をグレースが書いたってことは、サカシマ・リュウが殺されたと知って気付いたの。当然、グレースが四件の犯人だと思ったわ。でも私は責任を取りたくないし、店の経営にも関わることだから、黙っておいてあげたの。グレースのためじゃない。保身のためにね」
ギルバートは無言でヒューに目配せすると、あごでドアの外をさした。
「はーい、手を後ろにしてー」ヒューが婦人の手に触れると、婦人は目を剥いて怒鳴った。
「触らないで!汚らわしい!」
「はああ?こっちだって好きで触ってねぇし!どうせなら、もっとピチピチの女の子の手ぇ握りたいっつうの!」
「いいから連れてけ」「はあーい」ギルバートに言われ、ヒューは口を尖らせながら婦人の手を縄で縛り、外へ連れだした。
ハイトは無表情で掌を合わせ、ポンと一つ叩いた。「——はい。次はグレース」
「君は顔を切られたとき、犯人の顔を見ていないと言っていたけど、それは嘘だよね」
「いえ、ほんとに見ませんでした」グレースの答えは同じだった。
「どうかな。顔を正面から切られているのに、犯人の顔を見ないはずがない。覆面をしていたとかだったら理解できるけど、君はそんなことは言わなかった。もし犯人が何らかのかたちで顔を隠していたのなら、普通は印象的だから言わざるを得ない事項だよね」
「……」ハイトの探るようなジト目に追及され、グレースはにわかに奥歯を噛みしめた。
「つまり、君は顔を切りつけた犯人を見たし、知ってるけど、言えない。なぜならそいつは死んでいて、それを言ったら、自分がそいつを殺したことがバレてしまうから」
「違います」
「サカシマ・リュウが殺されたのは、十月十七日。つまり、ちょうど一週間前……エリーヌ、君は口がすべったよね。君は、グレースからの手紙が届いたのは三日前だと言っていた。この小さな国で郵便物が届くのは、どんなに遠くても出してから三日後だ。グレースが襲われたのは夜だから、配達員が手紙を取りに来るのはその翌日。グレースは気が動転していて、すぐにでも助けを求めたはずだ。つまり、グレースが顔を切りつけられたのは七日前。サカシマ・リュウが殺されたのと同日ってことになる」
「サカシマがグレースの顔を切って、何らかのかたちで返り討ちになった……」ムアが思案顔になって言った。「どうしてサカシマは、グレースの顔を傷つけたりしたの?」
「殺したいのであれば、顔よりまず首や胸部、腹部を狙う」とギルバート。
「これは僕の推測に過ぎないけど、さっきも言った通り、彼は君に交際を迫っていた。顔を傷つけることで、自分につり合わない君を手に入れられると思った」
「でも、イニシャルのついた脅迫状は?」エリーヌが苦し紛れに言った。「強迫状には、誰かが姉さんの顔を傷つけたってことが、はっきり書いてあったわ」
「あれもグレースが書いたのか?」ジョルジアがハイトに尋ねる。
「いや。あれは筆跡を変えて書いたにしても、ちょっと違い過ぎる」
「じゃあ誰が……」
「簡単なことだ。二件目の被害者の名前は、イレネー・シャミナード。イニシャルはⅠ・C。Ⅰ・Cは、横棒を三本書き加えればH・Cにできる。あれは強迫状でもなんでもない。『傷ついた横顔』っていうのは、単に傷付いた表情のこと」
「ってことは、『薔薇のブーケ』は、文字通り薔薇の花束。ただの変態ジジイからのラブレターだったってことか」ジョルジアは納得したように言った。
「だからカーターは、あの脅迫状をランプにかざしていた。加筆の跡を見るために」
「なるほどな。で、どうだったか訊いたか?」ハイトは首を振った。
「訊いてない。でも、カーターが言ってたでしょ?『サカシマ・リュウはペンネームで、本名はグレースかも知れない」って」
「あのパツキンこけし、わかってたのかよ……」
「でも、証拠がないわ」グレースの表情は落ち着いていた。「私がサカシマさんを装って、自分宛に手紙を書いていたなんて」
「僕は全文を読んでないけど、手紙の字はかなり乱れていた。左利きの人は横線を押して書くのに対し、右利きの人は引いて書く。横線が湾曲しているのは、右利きの人が左手で書いた証拠だ」
「サカシマ・リュウは左利きだ」ギルバートが言った。「右手に腕時計をつけていた」
「だったら、オーナーだって右利きよ……」グレースは蚊の鳴くような声で反駁する。
「いや。アームストロングは、たぶん両利きだろ」ジョルジアの言葉に、ハイトが頷く。
「そう。婦人は食事をしているときや、文字を書いているときは右手。でも、感情的になって手振り身振りをするときには、左手が主軸に動いてる。元は左利きなんだ」
「じゃあ、まったく別の誰かだわ……」グレースがうつむく。
「——エリーヌも右利きだよ?君たち姉妹は、最初からグルだよね。互いを疑い合うような証言をしたのは、あくまで四件の殺人と、グレースの顔の傷が関係のないことを強調するため。エリーヌがグレースを襲うフリをしたのは、あのときのグレースの表情からして、エリーヌが勝手に判断したことだ。どうしてかは知らないけど」
「もしも仮にあなたの言う通り、私がサカシマさんを殺していたとして、どうしてルチェルトラに情報提供する必要があったんですか?」グレースは角の立たない、温和な口調で言った。
「私が証言していなければ、この事件が連続殺人であるということもわかっていませんでしたよね。私がサカシマさんを殺したのなら、わざわざ安全な身を危険に晒す必要がありますか?」
「それは、君が事務所に来たときに何度も言ってたよね」
ハイトはそれに、優しく答えた。
「君が本当のことを言えば、被害者が浮かばれるって。ある意味だけど、サカシマが殺した三人の被害者たちは、君と関係をもったために殺されたようなものだ。君はそのことに罪悪感があった。せめてサカシマ・リュウの犯行だということを、ルチェルトラに暴いてほしかった。被害者の遺族がほぼ全員死んでいる今、それが、君にできる唯一のことだから。でも、君は妹の生活のために捕まるわけにはいかない」
すると、玄関の方から低い声が聞こえた。
「ヒヒヒ、やってるねぇ」
「あ、ニヘラ野郎!お前今まで何やってたんだよ!」
「イレネー・シャミナードの家に行っていた」カーターはジョルジアにそう答えると、ドアのへりにもたれかかって言った。
「サカシマ・リュウの手紙の内容だが、詩の部分はダン・ドゥルイットの著作のほぼ丸写しだった。普通の人間が、変態サイコ野郎の文章を装ったってバレる。その点、本物をパクるってのは賢い考えだ。ドゥルイット博士は科学者の顔とは別に、詩人の顔もある。その著作も、名前は知られているが内容を知っている奴は少ない。内容を知らなければ、怪しいと睨んで本文と照らし合わせることもしねぇ。ましてやルチェルトラの人員は五人。俺ならバレない方に賭けるね。ついでに言っとくと、シャミナードの自宅に同じ本があった。貸出記録には、半年前にあんたの名前も入ってる」
カーターはそう言うと、貸出記録のカードをグレースに向けて横向きに飛ばした。グレースの身体に軽く当たり、ひらりと床に落ちる。
「題名は?」カーターが尋ねると、グレースはカードを見ずに答えた。
「『セルペンテの悲劇トラジェディア』です」
「正解」カーターはニヤリと笑った。
「姉さん……」エリーヌが呟く。
「以前シャミナードさんに見せてもらったことがあって、それを覚えていたので盗みました。私は本は読めないのですが、主語だとか、地名だとか、サカシマが書いたように書き変えることぐらいはできます。サカシマが私に性的な手紙を送りつけていたことにすれば、ストーカーっぽいですし、その方が殺人犯として疑われると思って」
「じゃあ、認めるってこと?」ハイトが尋ねると、グレースは静かに頷いた。
「——はい。三件の事件はサカシマが犯人で、私が彼を殺しました。サカシマは犯行の証拠を残していないので、手紙を偽造しました。オーナーが私の部屋に無断で立ち入っていることには、前々から気付いていたんです。だから、そのときを見計らって、まとめて机の引き出しに入れておきました。そしたら案の定、持って行ってくれました」
「私も……!私も、姉に協力しました……」エリーヌが身を乗り出して言った。「彼の犯行を暴いてもらうためには、姉自身が証言せざるを得ません。そのとき、顔の傷は弊害になります。どう考えても、普通の日常生活で負うような傷じゃありませんから。当然事件性が疑われ、姉が連続殺人犯にされる可能性がありました。そこで、顔の傷は事件とは切り離すかたちで有耶無耶にしようと、姉と一緒に策を講じました」
「存在しない弟のイニシャルを利用した」ハイトが言うと、姉妹はうつむいた。
「さっき、君たちに『弟が見つかった』って言ったときの反応を見て確信した。二人とも驚いてはいたけど、まったく嬉しそうではなかった。むしろ困惑と猜疑心が渦巻いていた。君たちに、弟はいないよね」
「はい。お店の書類には、もしかしたら手当てが付くかなと思って、出来心で嘘を書きました。期待していませんでしたし、実際手当ても付かなかった……私はサカシマの手紙を左手で偽造していますし、エリーヌに書かせるにしても、左手では似たような崩れ方になってしまうと思いました。だからと言って、普通に書かせるわけにもいかない。筆跡は変えることを意識して書けば、素人の目にもバレるものかと。ですから、まったく違う誰かの書いた字でないといけませんでした。そこで、シャミナードさんから頂いた手紙を利用したんです。彼のIの書き方は独特で、加筆するならEかHでないと不自然だった……Eはエリーヌだし、そのとき、出来心で書類に書いた弟の名前を思い出したんです」
グレースは正直に答えた。
「君たちの証言じゃ、アンリ・カステルは死んでるし、君は妹を疑っていて、妹は君の自作自演を疑っている。それ以降、君を襲う人物が現れなければ、顔の傷の件は有耶無耶になる。よっぽどのことがない限り、ただの障害事件にルチェルトラはいつまでも関与しない。僕たちにアームストロング婦人が怪しいと言えば、事情聴取からサカシマの手紙も、H・Cのイニシャルの正体も出てくる。すべては、サカシマの犯行を暴かせるため、君がサカシマを殺したことを隠すための芝居だった」
「はい。すべて、あなたの仰ったとおりです」
グレースは、サカシマ・リュウを殺害したときのことを語りはじめた。
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