【第二幕 来客】
霧に曇る空も仄かに赤らみ、多少の風情を感じるグレータウンの夕暮れ。
僕は、人けのない狭い通りに独り佇んでいた。通りの両側には、どれも同じような灰色の石壁と、建て付けの悪そうな扉が並んでいる。
そんな中、美しく光るステンドグラスの小窓が一つ。僕はその光に見とれて、思わず立ち止まった。
重厚感のあるボトルグリーンで塗られた扉。 右側の壁には、『Old lump』と白く書かれた表札——僕はしばらく考えてから、鹿角を象った木製の取っ手を前へ押した。
淡いオレンジ色の光が、にわかに
扉を開くとまず、右側にシックなマホガニーのカウンターが目に入った。中央の席に、ダンともう一人、黒髪の少女が座っている。
ロングスカートの乱れに微塵も配慮しない大胆な座り方が気になるが、どこか小動物を思わせる目鼻立ちだ。
ゆるいウェーヴのかかったツインテールに、黒のレースドレスを身に纏う姿は、大きな黒ウサギを連想させる。
「ヒヒヒ、やっぱきたか」
ダンが僕を見るなり言うと、少女は悔しそうに頭を抱えた。
「だあぁぁあ!!マジかよ!!」
可愛い顔をして、おっさんのように叫ぶ。
——(……は?)
僕は状況が掴めなかった。
「ほら俺の勝ちだ。さっさと出しなァジョルジア」
「なんだって私の勧誘した奴が来なくて、てめぇの勧誘した奴が来るんだよ解せねぇ!」
「ヒヒヒ、お前が誘うと
「馬鹿な……このニヘラ金髪野郎が一般人とコミュニケーションとれるほどマトモだったとは!!私の兄貴に褒めちぎられるという完璧な計画が……」
「つべこべ言わずにさっさと出しやがれ」
ダンが言うと、ジョルジアと呼ばれた少女は、盛大な舌打ちをして札をばら
「おらよ!!」
「ヒヒヒ、まいどあり。言ったろ?飢えたネズミはチーズの在りかを選ばねぇ」
僕の頭の中で、アームストロング婦人の言葉が再生される。
——あなた達みたいな下水道を走る害獣よりマシよ!
「『ネズミ捕り』って、そういうことか」
僕はダンの隣に座った。
つまり僕は職を失い、行き場のないドブネズミで、まんまと一日三食のチーズに釣られて捕えられたというわけだ。
「話の流れとはいえ、会ったばかりの人間を蜥蜴に引き入れようなんて妙だと思ったんだ。でも、そういうことなら納得できる。要するに誰でも良かったんだろ」
「ま、しいて言うなら理由は三つ。一つ、俺の嫌いな偽善者で、ちゃちな正義感の塊。二つ、ゴロツキにしては頭がありそう。三つ、あの仕事が苦痛そうに見えた……まあ、生涯感謝しときなよ。この俺が生傷負ってまで、転職の背中を押してやったんだから」
「え、なに。喧嘩売ってんの」
――(元はと言えばぜんぶお前が……)
「じゃあ、四つ目にその喧嘩イキりも加えとくか」
—— (うざ過ぎる……)
僕はダンに煽られ続ける未来が見えて、話題を変えた。
「ところで、ここがルチェルトラと何か関係あるのか? ただの酒屋にしか見えないけど」
僕は周りを見渡しながら言った。
「表向きはただの酒場だが、ここは知ってる奴なら誰でも知ってる、ルチェルトラの事務所だ。二階は食堂兼談話室、三階から上が俺たちの部屋になってる」
少しのあいだ沈黙が続いた。
僕は、言おうかどうか迷っていたことを口にした。
「——昼は、犯罪者呼ばわりしてごめん」
ダンは意外そうな顔をした。
「よく考えたら僕は、チェルトラのことを何も知らない。周りの風評や新聞に書いてあることしか知らないはずなのに、それを見聞きし続けているうちに、なぜか肌身に染みて知っているかのように、君たちのことを憎んでた。でも実際は、何も知らない」
ダンは僕の話をニヤニヤしながら聞いていた。ジョルジアも横目にこちらを見ている。
「僕は世間に擦り込まれた価値観で生きていたくないんだ。それに、上手く言えないけど、何か変化が欲しい——
「ヒヒヒ……」
ダンは口元を三日月のようにして笑った。
「いいねぇ、そのポエミーな語り口。俺の地雷めがけて派手なジャンピング・プレスきめてくるってことは、ここで働く素質がある」
「僕は何をすれば?」
「ここに持ち込まれる面倒ごとを解決するだけでいい」
「ずいぶんと簡単に言ってくれるじゃねぇかニヘラ野郎」
ジョルジアはダンを睨んで言った。
「人手が足りなくなきゃあ、おめぇもそのゴロツキも要らねぇんだよ」
「そっちは?」
僕は彼女を視線で示し、ダンに聞いた。
「ああ、この昆布髪女はジョルジア。こいつもルチェルトラの一員だ」
僕の席からは、ダンの後ろで殺気を燃やしているジョルジアが見えた。
「誰のつややかな黒髪が昆布だ……あん?ダシとって飲ますぞゴラ!!」
ダンはジョルジアを無視して続ける。
「俺はカーター」
「カーター?昼はダン・ドゥルイットって……」
「ああ、忘れてた。そういやぁ、そう名乗ったかもな」
—— (なんで僕はこんな奴を信用したんだろう)
「んで、あんたは?」
カーターはテーブルに片肘をついて聞いた。
「僕はハイト。ヘンリ・ハイト」
「ふん。私は尊敬する人達としか仲良くしねぇんだ」
ジョルジアはピシャリとした態度で言い放ち、僕とカーターからそっぽを向いた。
「そりゃどうも」
「てめぇは入ってねぇ!仲良くした覚えもねぇ!!」
すると、
――ごめんください。
ふいに玄関の扉が開かれ、二人の若い女が店内へ入ってきた。
一人は美しいブロンドの髪を、複雑な髪型に結っている。鮮やかなカシミアグリーンのドレスは、スカート部分に大きなボリュームがあり、全体的な雰囲気と華やかさが、彼女の職業を推測させた。
怪我をしているのか、左頬全体に大きなガーゼが貼られているが、それでも容姿の端麗さが窺えるほど、まさに絶世の美女である。
一方、もう一人は亜麻色のショートガウンに、水色のエプロンという庶民的な出で立ちで、乾燥に傷んだ茶髪も、後ろで丸く纏められているだけだった。
神経質そうな険しい表情をしていて、美人ではないが、不美人でもない。
今は安く大量生産されているレースも、まだ手編みのものを襟に使っていることから、僕には彼女の出自がなんとなく想像できた。
—— (夜を舞う高貴な蝶と、田舎から出てきたばかりの労働者……)
「あの。ルチェルトラの事務所は、ここで合っていますでしょうか?」
ブロンド髪の美少女が上品な口調で言った。
「え、ああ。そうだけど」
ジョルジアは二人の身なりを見比べながら答えた。
「私はグレース。こちらは妹の……」
「エリーヌです」エリーヌは険しい表情のまま、小さく頭を下げた。
—— (姉妹なのか……?)
驚いたのは僕だけではない。
グレースが続ける。
「私たち、相談があるんです。最近グレータウンで起きている、連続殺人事件について」
「あ?連続殺人?んなもん、今んとこ起こってねぇけどな」
ジョルジアは確認するようにカーターを見た。カーターが沈黙で肯定する。
「やっぱり……」グレースは二人の表情を見て、重い溜息をついた。
「新聞には『連続殺人』なんて見出しも、それを思わせる内容も、何一つ書かれていませんでしたものね。もしかしたら、情報を伏せる何らかの理由があるのかもしれない……そう考えていましたが、これではっきりと言うことができます。貴方がた
グレースの後半の発言は、ジョルジアとカーターに少なくない衝撃を与えたようである。
「これを見てください」
グレースが言うと、エリーヌは地方新聞『グレータウン紙』の切り抜きを四枚、カウンターテーブルに並べ始めた。
一枚目には黒焦げの焼死体、二枚目には切断された一対の腕、三枚目にはブクブクに膨れ上がった水死体、四枚目には胸を一突きにされた男の死体の写真が載っている。
「この事件……」
僕は、その四枚の現場を映したモノクロ写真に見覚えがあった。
—— (僕も『グレータウン紙』は、ゴミ箱から拾って読んでたから知ってる。確かどの事件も、ここ三か月の間に起きた殺人事件だ。被害者が全員男であるということの他に、殺害方法や被害者の交友関係に共通点はなく、遺体はそれぞれ別の場所で発見されている)
すると、ジョルジアが口を開いた。
「この四つのヤマは確かに、別個に起こった事件として、あたしらが目下調査中の案件だ。もちろん、連続殺人である可能性も考えなかったわけじゃねぇ。なんせ四件とも、三か月っつう短い期間中に起きている。だが、殺され方にも交友関係にも、共通点らしきものはゼロ。共通の犯人を示すような証拠もねぇ。それに、ガイシャの年齢はバラバラ。上は六十八で、下は二十一だ。犯人がぶっ飛んだ殺人狂でもない限り……」
ジョルジアの言葉を、カーターが遮った。
「——いや、イカレ野郎やショーマンほど証拠を残す。前者は性的倒錯などが絡んでより猟奇的になりやすく、殺害方法が過去のトラウマと結びついてパターン化しやすい。後者はむしろ、自分の犯行を知らしめたい」
「だからよぉ、ギャングの仕業じゃねぇの?っつってんだ。最近急に出てきて、何やら幅を利かせてる『夜明けの蛇』とかな」
「いいえ」グレースはきっぱりと言い放った。
「そのような推測は必要ありません。通常の捜査同様、関係者から当たればいいんです。なぜなら……その五人の被害者の男性は皆、その……私のお客様ですから」
「はあ?何だって!ガイシャは同じ
「ヒヒヒ、無許可営業か」
カーターが口角を釣り上げて言った。
「はい、その通りです」
「ど、どういうことだよ……?」ジョルジアはわかっていない様子である。
「——なるほど」
僕は気づいたら独り言を呟いていた。
「この街で営利目的の店を開業するには、領主宛に書類で申請し、許可を得なければならない。だけど、申請すると様々な税金が加算される。そこでグレースが働いている店のオーナーは領主に申請することなく、隠れて営業をしていた。蜥蜴の書類上、店は存在していないことになっている。だから共通点として浮かび上がらなかった」
言い終わると、なぜかカーターがニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「ふん。ま、わかってたけどな」ジョルジアが手遅れな見栄を張る。
「その方面の罰は甘んじて受け入れます」グレースは毅然とした態度で続けた。
「自分の罪が露見したとしても、被害者の人たちが顔見知りなだけに、知っていることをいつまでも黙っているわけには参りませんでした。私が捜査に協力して、少しでも早く犯人が見つかれば、亡くなった人たちも浮かばれます」
「——にしては、四人死ぬまでダンマリだったんだな」含みのあるジョルジアの言葉に、グレースの瞳が一瞬冷たく光った。
「怖かったんです。決意するまでには時間が必要でした。だって、そうでしょう?被害者たちを結びつける糸は、この私以外に何もないんです。話せば必ず、私が一番に疑われると確信していました。それに、お店が違法な営業していることを知りながら、働いていた件もバレてしまいますし」
—— (確かに。仮に四件の殺人が、彼女の言う通り同一犯による犯行であったとして、その事実が分かった瞬間、一番に疑わしくなるのは他でもない彼女本人だ。それに知人が殺されたからといって、すぐに自分が事件の関係者だという発想にはなりにくい)
「で、その顔はどうしたんだよ」
ジョルジアがグレースの顔に貼られたガーゼを指摘した。
「申し訳ねぇが、あんたが被害者たちを繋ぐ唯一の関係者となりゃあ、第一容疑者だ。わざわざ自白しに来たわけは知らねぇけどな」
「姉さん、早く本題に入ったらどうなの」
エリーヌが言った。
姉の優しく包み込むような声色とは異なり、どこか理知的で冷淡な響きがある。
「ここへ来た本当の理由は、事件の証言と引き換えに、護衛をつけてもらうためでしょう?」
「どういうことだぃ」カーターが訊いた。
「姉さん、顔の傷を見せて」
「——ええ」グレースは慎重に左頬のガーゼを剥がし取った。
妖精のように整った美しい顔が、無残にも深く引き裂かれている。あきらかに、刃物で人為的に切られた傷だった。
傷口が塞がって完治したところで、もはやその傷痕が消える望みは残されていない。
「お、おい……そりゃ、かなりひでぇな……」ジョルジアが同情して言った。
「九日前の夜。通りを歩いていて、すれ違いざまにやられました。顔は見ていていません。男か女かも、暗くてわかりませんでした」
「私はそれを、姉からの手紙で知りました。手紙が届いたのは三日前。実家の農場から駆けつけ、今に至ります」
「つまり、そいつが四件の連続殺人犯?そんで関係者のお前を殺そうとしてるってわけか」ジョルジアが言った。
「ただの通り魔って可能性は?」カーターが尋ねると、グレースは首を横に振った。
「こんなものが」カーターに白い封筒を手渡す。
「顔を切りつけられた翌日、私の部屋の引き出しに入れられていました。封筒には差出人の名前はありません。ただ……」
封筒の中身は、無地の便箋に書かれた脅迫状だった。僕はジョルジアとともに、カーターの手元をのぞき込んだ。
《我が愛しのグレース・カステル
昨夜は刺激的な夜でしたね。
あなたの傷ついた横顔は、霧のヴェールに隠れた月より美しかった。
次に逢うときは、あなたの胸に真っ赤な薔薇のブーケを。
H・C》
「うえぇ、ゲロいなこいつ……」ジョルジアは舌を出して吐き気をもよおす真似をした。
「『次に逢うときは、あなたの胸に真っ赤な薔薇のブーケを』……ってことはつまり、『次に逢うときはお前の胸を一突きにして殺す』か。このH・Cってイニシャルに心当たりは?」ジョルジアが尋ねると、グレースとエリーヌは顔を見合わせてから言った。
「「——いいえ」」
カーターは脅迫状を天井のランプにかざし始めた。かざしたまま表と裏をテキトウに観察し、封筒へしまうと、なぜか僕の前に差し出す。
「こういうのは、あんたが預かっててくだせぇ。所長・・」
—— (は……所長?)
「バッキャ野郎てめぇ!頭湧き腐ってんのかパツキンこけしぃ!ルチェルトラの所長はギルの兄貴だろうが!」
ジョルジアはカーターの髪を思い切り引っ張り、ロックパフォーマンスばりに振り回した。
「まあ、あなたがギルバートさんだったんですね!」
グレースが目を輝かせて僕に迫る。
「え、いや、違う……」
「あら、とぼけないでください」グレースはさらに詰め寄り、僕の右手を両手で覆うようにつかんだ。
僕はカウンターにのけ反る形となり、ドレスの胸元から雄大な谷間が覗いて見えた。青く透き通る大きな瞳が、僕の顔をまじまじと見つめている。
「どういうわけか、ここの領民たちはあなたを毛嫌いしていますが、私はあなたも
「なあ、こいつ……」ジョルジアは小声でカーターに耳打った。
「ああ。白昼夢にかかってねぇな」カーターも声を潜めて返す。
「どういうことだ?」
「エリーヌが言ってたろ?こいつらはド田舎の出身だ」
「あっ、そっか」
ジョルジアは納得して、ポカンと口を開けた。気が緩むと、途端に屈託ない少女の声になる。
グレースは、さらに僕に詰め寄って続けた。
「——どおりで。他のお二方と違って、誠実で謙虚で、いかにも聡明そうなお顔!」
「ヒヒヒ、悪かったな。不実で尊大で愚昧そうな顔で」
「よくわかってんじゃねぇか」自嘲的に嗤うカーターに、ジョルジアが毒づく。
「あの……僕は……」
「とにかく、私のお店に来てください!」
僕の話を、グレースはまるで聞いてくれない。
「あなたに是非問い詰めて欲しい人がいるんです」
グレースは強引に僕の腕を取り、店の外へと引っ張った。エリーヌが後に続く。
「え、あの……ちょっと」
「こっちですギルバートさん!」
グレースは玄関を出て左へ曲がった。
—— (だから、ギルバートって誰……)
僕は『Old lump』から引っ張り出される間際、この責任の所在と救助を求めてカーターを見た。
すると当人はカウンターから一歩も動かず、面白そうにニヤニヤとこちらを眺めている。
僕は、初めて自分のこめかみに青筋が立つのを肌で感じた。
しばらく姉妹に連れられて歩いていると、背後からジョルジアとカーターの声が聞こえだした。
一応はついて来ているらしい。
「お前、後でギルの兄貴に八つ裂きにされても生ゴミで処理するかんな」
「墓は建てろよ」
「三角コーナーにか?」
「俺は家庭用三角コーナーに収まる体積じゃねぇ」
「じゃあ路地裏のゴミ溜めだな」
「墓標はウイスキーの空き瓶でいい」
「……ゴミ溜めにゴミが立ってるだけじゃねぇか」
二人の独特な会話を背中に聞きながら、僕は不安に暮れる気持ちを、徐々に暗くなる灰色街に映していた。
同時に、ちらちらと燃えはじめる街灯のように、新たな変化に高鳴る鼓動も、胸にかすかに明滅していた。
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