第18話 夜空

 楽園エデンは他にもある。

 それがわかっただけで大きな収穫だ。問題は楽園エデンヴァルハラが楽園エデンエリュシオンとどういった関係にあるか、だ。

 友好的な関係だった場合、俺の素性は明かすべきではないだろう。

 なにせ堕とそうとしているのだから。


「一つだけ確認させてもらってもいいか?」

「なんでしょうか?」

「ヴァルハラと友好関係にある楽園エデンはどこだ?」


 一つあるなら他にも幾つかあってもおかしくはない。この質問だけで多くの情報が得られる。

 

「一つ、楽園エデンアルカディアはヴァルハラと志を共にしています」


 楽園エデンは三つ以上存在する。

 ヴァルハラとアルカディアは友好関係。

 そして最後、ヴァルハラはエリュシオンと友好関係ではない。敵対関係であるかはわからないが、今はこれだけ分かれば十分だ。

 これなら俺が元エリュシオンの隷属兵だと明かしても問題なさそうだ。


 ホタルの言葉に俺は安堵の息を吐いた。


「それは良かった。なら俺も自己紹介を。俺はK5895。元楽園エデンエリュシオンの隷属兵だ」


 エリュシオンの名前を出した瞬間、ホタルの表情に警戒の色が宿った。どうやらエリュシオンの悪評は他の楽園エデンにまで伝わっているらしい。

 思わぬ収穫だ。


「勘違いしないでほしい。だ。俺の目的は楽園エデンエリュシオンを地に堕とすこと。それが死んでいった同志たちと俺自身の悲願だからな」

楽園エデンを堕とす?」


 ホタルは呟き、再び考え込む。そして口を開いた。


「あの……K58……。……ごめんなさいその前に。これはお名前ですか?」

「識別番号だ」

「識別番号……? お名前は?」

「ない」


 断言するとホタルの表情が曇った。


「そんなことまで……」

「呼びにくかったら呼びやすい呼び方をしてくれ」

「では、名前を考えましょう。そうですね……」

 

 するとホタルが俺の顔をじっと見てきた。


「……ケイさんというのは安直ですし」


 なにやら名前について真剣に考えているらしい。

 

「いや俺はそれでも……」

「ダメです!」


 思いの外、強い否定が飛んできた。

 

「名前というのは大切な物です。適当に決めていい物ではありません」

「そ、そうか? まあ好きにしてくれ」


 ホタルは結構長い時間考えていた。

 あーでもないこーでもないと呟き、やがてこちらを向いた。


「決めました。漆黒の髪から連想して夜空ヨゾラ。しかし終末において夜は忌み嫌われています。ですのでソラさんというのは如何ですか?」

「ソラ……か。それならヨゾラでいい。俺は楽園を堕とすんだ。忌み嫌われるぐらいの名前が丁度いい」

「ですが……いえ、わかりました。ヨゾラさんとお呼びしますね」

「敬称は不要だ。ヨゾラでいい」

「わかりました。ではヨゾラ。私と共にヴァルハラに来てもらえませんか?」

「……理由は?」

「すみません。楽園ヴァルハラの機密に関わることですので私の口からは言えない決まりなんです。ですが、ヨゾラと私たちヴァルハラの目的は一致しています」

「……」


 考えるまでもないことだ。

 俺一人ではエリュシオンに入る事はできない。いずれかの転移ポータルを使おうとしたところでバレてしまうだろう。いくら強大な力を得ようと侵入できなければ、堕とすことなんて出来るわけがない。

 よって、どこか別の勢力に取り入る必要がある。

 

 それが目的の一致している勢力ならば利用しない手はない。願ったり叶ったりだ。


「わかった。夜が明けたら案内を頼む。それまで身体を休めておいてくれ」

「はい。それとあの……ヨゾラ。大変言い難いことなのですが、一つお願いを聞いて頂けませんか?」

「なんだ?」

「すみません。不躾なお願いですが、血を分けて頂きたくて……」

「血……?」

「はい。実は……」


 ホタルは事情を話し始めた。

 どうやら固有遺物なんてものがあるらしく、ホタルはその適合者なんだとか。そして固有遺物には強大な力を得る代わりに代償の存在する物がある。

 ホタルの固有遺物、紅血剣Bloody Vermilionも代償が存在するらしく、使用後は飢餓感に似た吸血衝動に襲われるのだとか。

 今は必死に我慢している状態らしい。


「その……頂ければ身体も回復するので……」


 なにやら色々と言い訳をしていたが、血を与えるぐらいなんて事はない。エリュシオンでも度々、研究やらなんやらで血を抜かれていた。


「ああ。わかった。どうすればいい?」

「すみません。抱き起こしてもらえますか?」


 言われた通りホタルを抱き起こす。すると弱々しい力で抱きしめてきた。


「……ありがとう……ございます」


 ホタルは耳を真っ赤にしながら一言、俺の耳元でそう呟く。

 直後、首筋に鋭い痛みが走った。ホタルの喉が鳴り、身体から血が抜けていくのがわかる。


 どれだけそうしていただろうか。不意にホタルが離れた。


「……すみません。吸いすぎました。……とても美味しくて。身体は大丈夫ですか?」

「ああ。特に問題はない」

「そうですか……」


 恥ずかしそうに視線を逸らすホタル。

 確かに結構長い時間吸っていた。


「味って人によって変わるのか?」

「……え? そうですね。いつもはリリー……仲間に頼んでいるんですが、彼女はもっと甘い感じです」

「なるほど……」


 聞いておいてなんだが、特に意味のない会話だったことに気付いた。


「吸血衝動とやらは収まったか?」

「はい。おかげさまで。少し安静にしていれば動けるようになると思います」

「なら見張りは俺に任せて寝ておけ」

「すみません。お願いします」


 ホタルは再び横になると、目を瞑った。よほど疲れていたのだろう、ものの数秒で寝息が聞こえてきた。


 ……さて。


 俺は俺でやることがある。

 検証だ。知識では力の使い方は分かっている。だが実際に使ってみるとやはり違うだろう。

 その差異を知っておくことは大切だ。できる限り調べておきたい。

 

 ……それにしても、ヨゾラ……か。


 名前なんて個人を識別できれば不要。そう思っていた。だが、いざ持つとなかなか悪くない。

 俺はふとそんなことを思った。

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