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第8話への応援コメント
とても読ませるエッセイでした。私も父が大好きなので、蜜柑さんの気持ちを思うとなんとも苦しくなります。
エッセイの内容と的はずれなことを言っていたらすみません。でも私から見ると蜜柑桜さんは語学も堪能で勤勉で、音楽の造詣も深いですし、人よりも優秀な才能をいくつも持っていてとてもすごいなぁと思っています。そこにいたるまでにたゆまぬ努力の過程があったのだろうとも感じています。
なので蜜柑さんがご自身を否定される言葉を口にするたびに、私はそんなことないよと思っています。
お父様も、そんな蜜柑さんのことを誇らしく思っていたように私は感じました。
私にも子供がおりますが、親になってみると、子供が頑張っている姿は何よりも嬉しいし心から応援したい気持ちになります。それこそ自分のことは後回しで全然いいって思います。自分の時間が取れなくても、子供の踏み台になっても、それでも子供がやりたいことに一生懸命頑張っている姿を見るとそれだけで報われた気持ちになります。これが見られるなら、自分の時間もお金も全部注いだっていいと思う、それが親の気持ちです。
だから蜜柑さんが留学をして立派に論文を書かれたことが何よりの親孝行だと思います。自分の子供が学問に爪痕を残してくれるなんて、親から見たら嬉しいし誇らしいことですよ。
なのでこの道を選択したことはきっと正解だったのだと思います。
あまりご自身を責めないでくださいね。
とても立派で愛にあふれたお父様のお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。
出過ぎたことを言って嫌な気持ちになってしまったらすみません💦
作者からの返信
結月花様
花さん、お読みいただきありがとうございます。花さんはすごく気遣いをなさるお優しい方なので、お読みになって困らせてしまっただろうかと実は不安になりました。
しかし、いつもとても心が楽になるコメントをありがとうございます。花さんもお父様と仲良しでいらっしゃるのですね。
私は成績こそ良かったですが、人間としては未熟だな、と常々思います。机上の勉強での知識は抜けるものも多いし、もっと人としてしゃんとしたいと思っているのですよね。
>「なので蜜柑さんがご自身を否定される言葉を口にするたびに、私はそんなことないよと思っています。
お父様も、そんな蜜柑さんのことを誇らしく思っていたように私は感じました。」
すごく嬉しいです。もし私が努力をできていて、それで父が喜んでいてくれたのなら、せめて良かったと思います。
>「なのでこの道を選択したことはきっと正解だったのだと思います。」
「留学をしなければ良かったか」と聞かれたら、簡単に答えられません。このエッセイで絶対に書くまい、と決めたのは、留学したこと自体を全面的に否定することと、それに対する父への謝罪でした。心中は複雑ですが、それを父に言ってしまうのは一番、父の気持ちを踏み躙ると思うのです。
そして父の言葉があるからこそ、仕事と小説と、やりたいと思えることがあるから自分は大丈夫なのだ、と思えますから、立ち止まることはしたくないと思っています。カクヨムなどWebでは、花さん含めて優しく交流してくださる方々がいるのも大きな支えなので、いつもありがとうございます。
花さんのコメント、出過ぎたことですとか、的外れとか、全くありません! むしろ花さんの温かな、心のこもったコメントを拝読して、朝から感謝で泣いてしまいました。本当にありがとうございます。
お返事文がうまく伝わるように書けているか不安もありますが、心からの感謝を込めます。お星様までいただき、ありがとうございました。
どうぞ花さんのご家族皆様がご健康でありますように!
第8話への応援コメント
たまに、本当にごくごくまれに蜜柑さんに対して同族嫌悪的な気持ちになることがあって、なんでだろうと長年不思議だったんですが、このエッセイを拝読してなんとなくわかったような気がします。
確かに思うこともいいたいこともありますけれど、それはわたしのいいたいことであって、現在の蜜柑さんには毒になってしまうかもしれないとも思うので、とりあえずそれは横に置いておきます。
ただ、いつか蜜柑さんがご自身を心からゆるしたいと思えるようになったとき、なにかしらお力になれたらいいなと思っています。どうぞ、ご自愛くださいね。
作者からの返信
野森ちえこさま
コメントしにくいだろうなぁというものにコメントをありがとうございます。読者様には昔の私だけでなく今の私も呆れられるだろうと思います。
自分の中には責める思いと許されたい思いが共在していると感じます。責めることで許されたいという甘えがあるとも。
不快にさせたらごめんなさい。
読んでいただき、星もコメントも、ありがとうございました。
第8話への応援コメント
応援コメントをメモに下書きしてから送っています。下手なことを書くと傷つけそうだし。そうでなくても僕は人の痛みに鈍感なので。
大切な人を次々に亡くされている、蜜柑桜さんに感じる影はそういうところにあったのかなーと。
ただ、まぁ、残された人間は生きていくしかありません。どんなに苦しくても時間は待ってくれませんしね。でも傷を癒すのも同様に時間なわけで、時間くんはそんなに悪い奴でもないです。
おそらく蜜柑桜さん自身は、これだけ大事な人を亡くした悲しみと、この思い出を失くしたくない気持ちとから否定なさるかなとは思うのですが、この傷もいつか癒えます。一区切りつく。それは五年後か十年後かもしれないし、明日か、もうすぐそこまで来ている来年かもしれない。
あれこれ書いて何が言いたいか分からなくなりそうだな。傷つけるかもしれませんが本題を言いましょう。
執着しているように見えます。多分、蜜柑桜さんが抱えている苦しみもそこから来ているように見えます。
執着はその気持ちに縋り付いているようにも見えるし、過程に対する結果を求めているからのようにも見えるし、あの時できなかったことへの後悔を自傷気味にじっと眺めているようにも見える。
まぁ、僕はカウンセラーにはならない選択をしたので人の気持ちなんか分かりませんが、傍から観測している蜜柑桜さんの印象は知り合った時から「仄暗いな」です。今日このエッセイを読んで「やっぱりな」と思いました。
この「やっぱりな」はニュアンス的には「僕と同類か」です。僕も高校時代に大切な家族を亡くしている。
ただ、まぁ、そんな僕も今ではだいぶ馬鹿になれました。悲しみなんて忘れたし、忘れたけれど、死んだ家族の想いや気持ちはずっと胸にある。「ああいう風になりたい」と思ってその家族のことを思い出せる。
繰り返しますが、残された人間は生きていくしかないです。時間は待ってくれない。でも時間が癒してくれる。
これも本題。時の流れに任せて執着を捨てるか、それでも流れに逆らって執着を通す覚悟を決めるか、どちらかした方がいいと思います。
僕の経験上、捨てた方が楽です。自由です。何かを失った? 得たものもあります。ただ、まぁ、根無草ですがね。
通すのは、死ぬまで通し抜いたら気持ちいいでしょうね。死ぬ瞬間のその報酬を当てに貫き通すのもありです。自分の芯もしっかり持てる。
捨てる側をやった人間なので、少しコツをお教えすると、完全に捨て切らないことです。悲しみや、気持ち、想いを心の小さな箱に入れて、小ささ故に日常的に存在は忘れるけども、たまに思い出して箱を開けて。全部捨てると片腕失くした気分になりますからね。まぁ、そういう気持ちを固めて捨てている人も見かけますが。
結果だけを見ない方が、求めない方がいいと思います。「父の最期に尽力できなかった」という結果よりも「父のように人に尽くそう」と思えれば(あるいは他の何かしらで父の生きた痕跡を残せれば)蜜柑桜さんも多少人生が楽になるのかな、なんて思いました。
まぁ、「父の痕跡」なんてのは子供がただ生きてりゃ残りますからそんなに気負わなくてもいいのですけれどね。僕は「父の痕跡」を選択的に消したい人間だから自分を刈り込まないといけない。これが辛い。
ま、僕のことはさておき。
蜜柑桜さんは頑固そうなので(というと逆張りしますか?)、多分執着を、結果を求めることを貫き通すのかなぁ、なんて、僕は予想します。大した付き合いもなかったのですけれど。茨の道ですね。頑張って。
これだけの告白、大変だったと思います。結果として、これを読んだ僕は今みたいな余計なお世話を焼きたくなりましたし、そういう意味では「結果」はあったのかなと思います。
あなたのお父さんの痕跡が僕の中にも残った。それだけでも、書いて良かったエッセイなのではないでしょうか。
末筆ですが、亡くなられた皆様のご冥福を。
そして蜜柑桜さんの魂が何かしらの束縛から(この束縛は誰にもありますけどね)救われることを。
作者からの返信
飯田太朗さま
とても真摯で心のこもったコメントをありがとうございます。
まず初めに、飯田さんの文の中で私が憤慨したり気を悪くした点は皆無であり、全体を噛み締めて読みました。
ありがとうございます。
そして飯田さんもご家族を亡くされたとのこと、言葉にするのは難しい想いをされたと拝察します。故人にも飯田さんにも、安寧を祈ります。
私がすでにここに書けた時点でだいぶ癒やされている状況だと思います。前は無理でした。まだ自分に対して怒りは完全に消えてないです。しかし渡航したおかげで代え難いものを得たのは確かであり、それを無為にしては本当に駄目だと思っています。
執着、その通りかもしれません。未練というより、それで戒めているのかな。それによって過去の自分の償いとしたいのかもわかりません。でもそれは自己本位で父の本意ではない気もします。
私もぐちゃぐちゃ上手い言葉が選べないので、迂闊な返答になっていたらすみません。しかし飯田さんは普段から、とても人のことを慮る方だと思っていますので、冒頭のようにお気遣いいただき心から恐縮致します。
そしていただいたコメントで、私が息をつけているのも本当です。
何だかうまく言えなくて、でも感謝を伝えたくて書いています。ありがとうございます。
第8話への応援コメント
とめどなく涙が溢れた後で、うまく感想が書けるか自信がないのですが。
一応私も修士課程まで進み、教採や臨採に落ちたふがいない己が嫌で嫌で仕方がなかった院生でした。面接の手ごたえがあってもやって来てしまう不採用通知が心に重くのしかかったため、「自分がどんなに頑張ったと思おうが、目標に至れなければ苦しい」の部分に強く共感できました。
「仕事で私の代わりはいくらでもいます。私でなくたっていい」の部分も、心をのぞかれてしまったかしらと思うほど、自分にとって身近な言葉でした。そう思うからこそ同僚から話を聞き、もっとうまくできるように試行錯誤しているのですけれど。自己肯定感の低さは、なかなか直らないのですよね。低いなりにうまく付き合ってあげようと、私は直すのをすっかりあきらめています。
小説にかける思いやお父さまへの感謝から、小説家になりたいと願ったときの純粋な気持ちを思い出しました。エッセイの形にして公開してくださったことに、深い感謝と敬意を表します。
作者からの返信
羽間慧様
重たい話を読んでいただきありがとうございます。慧ちゃんのコメントが、このエッセイを書いたことを肯定できる大きな力になります。
「月色」のクルサートルが物語終盤で口にする怨嗟は、この経験から来ているのだと思いますし、それに対する応えも自分自身が思うところです。
私の仕事は本当に労働条件からしても割に合わない部分はとても多いので、下手したら「使い捨てされている」と思ってしまうかもしれません。人に恵まれていることと好きだからなので、その意味でも私は恵まれていると思います。
慧ちゃんも似た感情をお持ちなのですね。しかし時々に「黒板」などを読ませていただく限り、とても真摯に向き合って仕事をなさっていると思います。彼らもいまは分からずとも、後々にけいちゃんの想いのありがたさを感じるはずと信じています。
父は、昔は踊ることがとにかく好きだったので、落ち込んでいる時に「踊ってるか?」と聞いてきました。自分からやりたいと思うことがあり、しかもそれを受け止めてくださる方がいるのは幸せなことだと思います。
慧ちゃんもいつも私の話を読んでくださり、ありがとうございます。このエッセイの読了とあわせまして、この場を借りて心から感謝申し上げます。
追記
レビューも書いていただき、恐縮です。最後の文がお心遣いを感じました。小説を読んでもらえたら父も喜ぶと思います。本当にありがとうございます。長々と失礼しました。