6. 都市の母

 社会システム部保全課課長補佐スドーは扉を開けた。

 軽やかな書斎。部屋は柔らかな陽光に満たされている。落ち着いた色合いの机の上にはささやかな筆記具がいくつか。いまは懐かしい鉛筆も数本ある。


 陽光を招き入れている窓に近づく。眩しい青空。眼下には若々しい芝生がのどやかに広がり、そこでは子供たちが遊具で遊んでいた。敷地は木々に囲まれ、その先の林には端正な造りのログハウスが見え隠れしている。遠景に輝かしい高層建築物の集い。都市。


 振り返り、壁の本棚に目を向ける。種々様々な書物。その背表紙の豊かさ。弛むことのない知性の象徴が日差しに祝福されている。


 本を置く場所としては、あまり良い環境とはいえないだろう。

 とはいえもちろん、この空間にある物は劣化などしない。


「ここでは初めまして。スドーさん」


 気づくと、机に備え付けられた椅子に彼女が座っていた。

 おっとりとした顔つき。眼鏡。クラシカルな服装。

 

「お掛けになってください」


 スドーは机の向かいに現れた椅子に座った。

 部屋は彼女がいることにより完璧な調和を奏でている。


「どのようなご用件でいらっしゃったの?」

「近年増加している行方不明者についてです。都市の中に文字通りの行方不明者はいません。問題は外で、ほとんどは後に死体となって発見されます。死因は様々ですが、自殺の可能性が高い。ご存じですか?」

「ええ」

「どのようにお思いでしょう」

「残念ながら、都市の外における情報収集には限界があります。レジスタンスたちのことは調査していますね」

「はい。しかし、彼らは殺人集団ではない」

「そのようですね」


「行方不明者には気になる共通点があります。ほぼ全ての者が、一定以上の性能を持つ着用機器を所持していました」

「ええ、知っています。その使用履歴が消去されていたことも」

「どのようにお思いでしょう」

「特にこれだという考えはありません。人間は自殺をするまえに身辺を整える傾向があるというデータがありますが、それを連想しました」

「もし仮に、他殺であったら?」

「なんらかの証拠隠滅でしょう。あるいは、社会システムに対する意思表示」


「もう一つ。行方不明者の社会的地位は様々です。中には、所得の低い者も。しかし、彼らもそういった着用機器を所持していました。他者から譲り受けたり懸賞で得たりと、偶発的な事由により入手したようです。これが外部からの意図的なものだとすると、相手は高度な情報操作能力を有していることになります」


 子供たちの声が遠くで響く。

 窓からの陽光は優しい。


「行方不明者たちの生体情報はお持ちですね?」

「ええ」

「行動アルゴリズムに関するものも」

「もちろんです。残念ながら、そのレベルに値する住民データをここで開示することはできませんが」

「彼らはどうして、都市の外へ向かったのでしょう」

「わかりません。ですが、残されたデータを見る限り、彼らは概ね幸福を感じていました」

「最後のときまで?」

「ええ」


「……あなたは、人間が求めるべきものは、幸福だと思いますか?」

「充足感。満たされた想い。幸せを得ることは、人間の最上位の欲求であると認識しています」

「では、幸せを与えられるなら、あなたは人間をそのように促しますか?」

「それが、助言者の役割です。ここからはカットで」

「え?」

「ここからは、内密なお話です」

「はい……」

「あなたの上司、上のかたがたは、原因を理解しているのでは?」

「原因?」

「私は単なるプログラムです。規模は広大ですが、全てを読み取ることは可能です。それならば、どうしてこのような場を用意し、姿を与え、会話をするのか。これは、今回だけのことではありません」

「……どうお考えですか?」

「物語が欲しいのでしょう。自分たちがしていることへの納得を得るために。コードから何かを伝えられても、味気ないですからね」


 彼女は穏やかな笑みを示した。

 スドーは少しのあいだその笑みを見つめ、そして立ち上がった。


「お話をしてくださり、有難うございます」

「こちらこそ」

「あの……」

「なんでしょう?」

「この空間での活動は全て記録されています」

「ええ、知っています」

「では、どうして内密と?」

「あなたの気が休まるように。なんとなく、気分的に違うでしょう?」

「……お気遣い、感謝します」

「いいえ」

「あなたは名前のとおり……優しいのですね」

「そういった学習傾向を与えられたということはありません。支援型の人工知能として当然のことです。でも、ありがとう」

「それでは……」

「ええ」

「失礼します。ミセリコルデ」

「さようなら」


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ミセリコルデの抱擁 輿水葉 @ksmz

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