4. 秋に果て
数日後、抽選に当たり、老人ホームで働くことになった。
仕事の内容はそれほど多くない。たいていのことは機械がやるからだ。
老人たちの身だしなみを整え、散歩に連れていき、会話をする。
穏やかな仕事といえた。
黄に染まり空を覆う落葉樹たちの群れ。
エリュカは老人を車椅子に乗せ、公園を歩いていた。
視界にはいつも老人の後頭部がある。綺麗に櫛を入れられた白髪。その向こうに透けている地肌。ハンドルを押す手ごたえはいつも驚くほどに軽い。
たまに担当するこの老人はあまり話すことができず、話し掛けても反応することは少なかった。
「昨日は、何をした?」
「昨日は休みだったので、家でのんびりしていましたよ」
「そうか。のんびりか。いいな」
「あと、買い物をしました。珍しいジャムが売ってたので、買っちゃいました」
「なんの味で食べる?」
「え?」
「なんの味が好きなんだ? ジャムは」
「ああ、苺味が好きですね」
車椅子を止める。
老人はわずかに首を上げ、木々を眺め始めた。
こちらをちらりと見てくる通行人。動けないほどに老いた人が珍しいのだろう。
さきほどからそんな通行人ばかりなので、風景として消去しようと思ったけれど、距離が近すぎてできなかった。
散歩を再開する。
車椅子をゆっくりと押して。
裸の姿を空に晒す木々たち。
近頃、老人は更に話さなくなった。
「今日は寒いですね」
「……明日は来るのか?」
「明日? 明日はお休みですから、会えませんね」
「何を……」
「明日は……配信予定の音楽でも聞こうかな」
「うん」
「音楽、好きなんです。ギターを使った、激しい感じのが」
「学生の頃は、ちょっとバンドをやっていたんです。本当は、ドラムをやってみたかったんですけど、ピアノが弾けるって言ったら、キーボード担当になっちゃって」
「そこの先輩に、ギターの凄く上手い人がいて……教えてもらったりもしたんですけど、結局できるようにはなりませんでした。でも、その人のおかげでギターの凄さとか、面白さがわかって、そういう曲を聴くようになったんです」
返事はなかった。老人は項垂れている。
エリュカは車椅子を止め、様子を見た。
虚ろな目。
老人は既に息絶えていた。
たまにあることだから、と同僚が慰めてくれた。
エリュカはどのような返事をすればいいか、わからなかった。
玄関を開けると薄闇の中に無機質な自室のその光景がゆっくりと浮かんだ。
服を着替え、食事の用意を始める。
体は自然と動いた。
いつもどおりの行動をしていた。
ソファに腰を下ろすと、部屋の隅に置いてある母からの荷物に目が留まった。
封を開いたものの、中を少し探ったあとはそのまま放置してあった。
整理していると、よれている楽譜の紙片が見つかった。
学生の頃に、手書きで自作した曲だった。
クローゼットからアコースティックギターを引っ張り出し、ゆっくりと弾いてみた。
音を確かめるように。
しばらくして、エリュカはあることに気づき、驚いた。
自分が涙を流していないことに。
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