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白良歩夢

thanks 前編


 — Y氏と、その同じ境遇の方達に捧げます ー



「56歳まで生きれただけでも十分やわ。

俺という人間がおったという事を覚えといてさ?」

薬の副作用で黒ずんだ顔色で彼はニヤっと笑う。


 私の職場で末期癌との闘病を続けながら働いていた同僚が退社した。


 月初めに黄疸が出た彼は、今月いっぱいで仕事を辞め、その後は生活保護を受けて入院生活に入ると言う。

事実上の人生の終わり方を彼は迎えようとしていた。


「生まれてすぐ死ぬ子供もいれば、癌で20歳そこそこで死ぬ子もいる。

そういう子達に比べれば、俺は56歳まで生きれただけでも感謝かもね」

驚きを隠せない私に彼は微笑みながらそう話した。

末期癌の人間に黄疸が出るという事がどういう事か、癌で母親を亡くしている私はその意味が分かっている。


その場で私は「なに言ってるんですか。大丈夫ですって!早く良くなって戻ってきてくださいよ!」と二人きりの作業場で私は彼を元気付けようと笑って返事をするしかない。

人というものは、こういう時に誰もが考える言葉しか頭に浮かばないものなんだと自分のボキャブラリーの無さを痛感した。


 どこかで人間は生きた時から平等だと聞いた。

でも、彼を見ているとそれは本当だろうか?と思えてくる。

生まれつき大病を患っている人間がいれば、健康な人間もいる。

病気ですぐに死んでしまう人もいれば、すくすく育つ人もいる。

ただ、『この世界に生まれたと言う事実』は平等だろう。


 彼は50歳の頃から癌を宣告され、いろいろな薬物治療を受けた。

その副作用の為に、皮膚は黒ずみ、手の感覚は衰え、重い物を持つだけでも一苦労。

それでも彼は何かある度に冗談を言って笑う。

「いやあ、新しく医者がくれた薬があんまり効かなくてさ?体の副作用は出るクセに効果がないのさ」と、笑いながら私に話しかけたりした。



******



 そんな彼を軽くあしらう同僚がいた。


 年配のベテラン作業員の女性二人が、彼の仕事ぶりを見るたびに文句をつける。タバコを吸いながら、彼の事をあまり知らない作業員に「アイツはダメな奴だ。体が悪い事を言い訳にして仕事をゆっくりやっているのさ」

「この間もアイツが仕事を終わらせられないから私達が手伝ってあげたの。本当いい迷惑」と彼と一緒の仕事をした事もない他の作業員に言い広める。

それを聞いた作業員は彼は全く仕事のできない役立たずだと思ってしまうのに。


そのくせ、会社の上層部の役職者には「この前、彼が体調悪いのを見たから、無理したらダメだよ!って言ってあげたんですよ!」と、まるで自分は彼の身を案じている風にみせる。


 そんな二人を若い作業員達はクソババアーズ』と嫌っていた。『クソババアーズ』と呼ばれている事を彼女達は知らないが。


 ある日、一人の女性が私に涙目に訴えてきた。

『クソババアーズ』の一人が、その女性の作業が遅れている為にフォローに入った。

 その時「え?まだ終わってないの?全然進んでないじゃないの?もー。

手伝いに来て損したわ」と言われたらしい。

その女性は作業中に想像外のトラブルが発生し、その解決に必死な時に『クソババアーズ』の一人が手伝いが来たので本気で感謝したらしい。

だが、その感謝を打ち消す様な罵倒を受け、悔しくて涙を堪えながらその作業にあたったそうだ。


 その『クソババアーズ』の一人が体調を崩し1日仕事を休んだ時があった。

休み明けの翌日に出勤すると「ごめんごめん!休んでる間に、代わりに仕事やってくれてありがとう。感謝するわ」とフォローに入った作業員に軽く笑う。

だが、その翌日に病休中にフォローに入っていた作業員の仕事のフォローに入るように指示が出ると「どうして私がやらないといかんの?あんなの簡単な仕事でしょ?」と作業拒否である。


 その様な職場の中、彼は「あいつらの事は気にしない方がええよ。時間がもったいないよ?相手してたら損するで」と『クソババアーズ』の被害者達を諭す。

「しかし、納得いかん!言いたい事言って、好き放題やって!腹立つわ!」と嘆く作業員達。

 作業リーダーも『クソババアーズ』が仕事ができるので余計に扱いに困っているようだった。


「放っとけば良いよ」と彼は相変わらず笑いながら言う。

そんな彼を見ていると、どうしてそんなにも心が強いのだろうか?といつもわたしは感心していた。


 彼もその『クソババアーズ』の被害者なのに。



******


 

 50歳から始まった彼の投薬治療は結果としては良い効果が表れなかったようだ。

複数の薬を試し、体は常に慢性的な倦怠感に悩まされ、指先や足先は痺れ、皮膚は色濃く黒ずんでいく。

癌は日に日に彼を蝕んでいた。


 一年程前からだんだん彼の顔色は衰えを帯び始め、明らかに体を重そうに動く様な日も増え始める。

仕事も体調不良で休む日も出てきた。

だが、彼の笑顔は衰えを見せない。

彼はひょうひょうと冗談や笑顔を絶やさない。

仕事の不満や文句も口から出るが、最後は冗談や笑顔を見せてイヤな気持ちにさせないのだ。


 自分の体を蝕んでいる癌の事や、その薬の副作用が強く作業もままならない事、彼の口からはいろいろな愚痴も聞こえてくる。仕事の事もだ。

だが、その話し方や表情、何よりも体が痩せるわけでもなく、頭皮が薄くなるわけでもなく、知らない人が見れば健常者に見えるほど彼は健康的に見えた。

 

 もし自分が同じ立場だとしたら、彼と同じ振る舞いができるだろうか?

私は彼ほど強い人間はいないと心から尊敬している。


そして今…


「今月いっぱいまで仕事をして、生活保護の申請をしたら入院生活や。

君も体に気をつけてな。無理したらあかんで?」

と、この日もいつものように俺の体に気を使ってくれた。


 私自身一年程前にバイク事故で半年近く会社を休み、今も時々折れた足に痛みが走る。

彼は自分自身の体より私の体に気を使い、二人で仕事をする時は率先して大変な内容の仕事を引き受けてくれた。

本当に彼には頭が上がらず感謝しかない。


 そんな彼が日に日に体の不調を訴え、重い体を引きずる様に作業をする姿を見ると、私自身弱音を吐くわけにはいかない。彼に比べれば私の痛みなど軽いものだ。


 私は彼の背中から多くを受け取ったと思う。


「今月の何日に退社するつもりなの?」と二人きりの作業場で私は彼に聞いた。

「今月末まで働く事を考えてるけど、それまでに体が言うことを聞かん様になったらそれまでやな」と少し寂しそうに話すと彼は続けた。


「56歳まで生きれただけでも十分やわ。

俺という人間がおったという事を覚えといてさ?」彼は照れ臭く冗談っぽく笑う。


「なに言ってるんですか。大丈夫ですって!早く良くなって戻ってきてくださいよ!」陳腐な言葉で笑って励まそうとする私と彼の二人はそれを最後に次の作業に取りかかった。



******



 翌日、私は久しぶりにバイク仲間と共にツーリングに出掛けた。


 天気は晴天。絶好のツーリング日和。

今日から二連休。日本海へ一泊二日のロングツーリングだ。


 地球温暖化とはいえ、11月下旬の早朝は十分に寒い。その中、同じ世代の仲間四人でコンビニの駐車場に集まる。

 四十代も半ばを過ぎているというのに、若者の様にはしゃぎ、コーヒーを口にし、ジッポーで煙草に火をつける。


「今日の宿はカニだろ?俺、カニ久しぶりなんだよな。めちゃくちゃ楽しみ!」

「カニも良いけど、俺は温泉!日本海見ながら露天風呂だろ?今日の宿は」


 ライムグリーンのカワサキN inja1000と黒いヤマハXSR700に乗る友人がはしゃぎながら話す。


「嫁さんに宿の事言ったら、今度連れてけ!って聞かなくてさ。余計に高くついたよ」と、私はぼやいた。


 すると、ホンダレブル1100に乗るもう一人の友人が口を開いた。


「ロンツー久しぶりやから、めっちゃうれしい!…んだけど。 でも、俺さ…」


 少し気まずそうに言葉が止まったレブルの友人に全員が目を向ける。


「カニ…あんまり好きじゃないんだな」


 その思いもよらない一言に、私達は「ぷっ」と吹き出し、ゲラゲラと声を上げて笑いあう。


「「「早く言えよー!」」」


 早朝のコンビニの駐車場は童心に帰った大人達の笑い声に包まれた。


******


 いつもの峠道から知らない峠道へ、いつもの街から知らない街へ。

私達のバイクは気持ちよく、風を体に感じながら走っていく。


(ああ、気持ちいい。バイクはいつ乗っても良いなあ。)


 今日は天気も良いし、久しぶりの仲間とのツーリングは最高だ。

うまいメシを食い、お土産を探し、そしてバイクを走らせる。

 風を感じながら私の黒いホンダCB1300スーパーフォアは、気持ち良い四気筒エンジンの快音を奏で峠道をヒラリヒラリと走っていく。マフラーはモリワキだ。

 秋の景色を感じながら気の合う仲間達と走るロングツーリングは、日頃の疲れを吹き飛ばす様に気持ちよく時間を忘れ癒してくれる。

 途中から利用した高速道路を降りると道の駅で休憩、小一時間ほど談笑しながら珈琲と煙草を味わい、そしてまた見知らぬ峠道や景色を楽しみながらアクセルを開ける。

 スピードを出す時は出し、急カーブではしっかりと減速し安全に。ヘルメットに付けたインカムを通して「俺達も大人になったよな?」と、安全運転に心掛ける自分達を笑った。


 気がつくと青空は次第に夕暮れに近づき、私達は今夜泊まる温泉旅館に到着した。

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