「あやめ」

「……お母さん」

「さっき赤川（あかがわ）さんって人から連絡が来た」

「えっ」

「これから調査を手伝いに行くんだよね？　話を聞いて、赤川さんは何となく信頼できそうな気がしたの。だから、気をつけてね」

「……うん。いってきます」

　あの日と同じ０時すぎに家を出た私は、高校へと向かった。

　裏門にはみかと赤川さんがいた。

「お、来たね」

「あやめ、大丈夫？」

　お母さんと気まずい状態だということはみかには話していた。

　私を心配するみかに平気な顔を作って「うん、大丈夫」と答える。

「赤川さん、家に連絡してくれたんですね」

　訊ねると、赤川さんは頭をぽりぽりと掻（か）いてぎこちなく答えた。

「あー、うん。一応正式な探偵事務所に変わりはないし、あんたが怪我をしたのは事故で、その調査に協力してもらうって形で話をしておいた方が親も安心するだろ？」

「はい。けど、まさか納得してくれるとは思いませんでした」

「そのことだけど……」

　赤川さんは私を見据（みす）えた。

「あたしは遠藤（えんどう）さんの家のことを知っているわけじゃないけど、ちゃんと話をした方がいいと思うよ」

「……何をですか」

　彼女はそれ以上何も言わなかった。

　分かってる。ちゃんと分かってる。ちゃんと話すべきだって。けれど、まだ今は覚悟ができていない。

　裏門前で赤川さんは、私とみかに１枚ずつ縦長の紙を手渡した。

　表面には、何て書いてあるのか読めそうで読めない古風な文字が書かれていた。

「万が一の時はこの札（ふだ）を自分の身体に貼って。一時的にだけど妖（あやかし）が寄り付かなくなるから」

　お札を鞄（かばん）に仕舞い、学校を見上げる。

　あの日と同じ夜の学校。けれど、あの日いたはずの場所に死んだ妖（ひと）はいなかった。それはあの黒い妖がこの場所にいることを証明している。

　霊乂（れいがい）探偵事務所で赤川さんが説明してくれた。

　あの黒い妖は他の妖までもを襲っているのだと。見境なく襲うほどに凶暴になってしまっている。だからこそ、黒い妖がいると他の妖は寄り付かなくなるらしい。

「おそらく、未練の正体は『復讐』で間違いないだろうな」

「一体誰に復讐を……」

「そこまではまだ分からない。だからこそ、もう一度会いに行かないといけないんだ。たしかもう夏休みに入っているんだったな？　生徒の数が極端に減っている今のうちにどうにかしないと被害がもっと増える。それに、あんた達が儀式をしたことで現世（うつしよ）と幽世（かくりよ）との繋がりが濃くなってしまっている。つまり干渉者関係なく妖は現世に干渉することができる状態なんだ。だから未練を晴らす為に妖はどんどん集まってくる。さっき真琴（まこと）に見に行ってもらったけど、今は黒い妖が集まってきた妖を次々と喰ってるみたいだから、あたし達も用心して行かないと危険だ」

　妖を喰う？　つまり妖を襲うというのは、喰べるという意味なのか？

　赤川さんの話に対してみかは「うーん」と不思議そうに唸（うな）る。

「けど赤川さん。うちらはたしかにこっくりさんをしようとしてましたけど、実際には始める前にあやめの様子がおかしくなったので、それが原因とは思えないんですよね」

「そうなのか？」

　たしかに、みかが始めようとしたその直前には既に黒い妖が出てきていた。

「こっくりさんということはあんた達、最初の言葉を言ったりもしてなかったか？」

「最初の言葉？」

「こっくりさんこっくりさん、どうぞおいで……ってやつだよ」

「最後まで言う前に黒い妖は現れたはずです──」

　私が答えると同時に「あっ」とみかが声を上げた。

「言ってた。うち、言ってた」

「え？」

「始める前にスマホを見ながら読み上げてた。もしかして、それが……」

　そうか、そうだった。始める前にみかが最初に言う言葉をスマホで調べて読み上げていた。あの時点から既に儀式は始まっていたのか。

「間違いないな。こっくりさんの始まりは硬貨に指を置いてからじゃなくてその言葉からなんだ。はあ、まったく。言霊（ことだま）を舐めすぎだあんた達」

　赤川さんは呆れてため息を洩らした。

　そして私達に人差し指を伸ばし、

「いいか？　これが終わったら二度と馬鹿な真似はするなよ？　儀式なんてろくなことが起きないからな」

　彼女が私達に厳しく当たるのも当然だ。儀式をしたことで妖達が現世に干渉できるようになったということは、もしもあの夜あのまま２年３組に居続けていたら、干渉者の私だけでなくみかまでもが危険だったということだ。

　遊び半分で降霊術を行なうべきではなかった。

　真っ暗な校舎をスマホのライトを頼りに進んでいく。

　相変わらずライダースジャケットにジーンズの赤川さんは、汗ひとつかかず涼しげに先頭を歩いていた。

「そういえば、矢神（やがみ）さんは？」

　矢神真琴、昼間に事務所のソファーで寝ていた左腕のない男の子。あのイタチの妖のリオンちゃんといい、まだよく分からないまま私達は今に至る。赤川さんは「ああ、真琴は後で来るよ」とだけ返事をした。

　私もみかも蚊帳（かや）の外のようで、黙って彼女についていくことしかできなかった。

　途中、何度か怯えている妖（ひと）を見かけた。黒い妖に怯えているのだろう。あれ以来、みかの側にいたあのおばあさんも見かけなくなっている。もしかすると、黒い妖に喰べられたのかもしれない。

　……喰べるというのは言葉通りでの意味なのだろうか。幽世には現世のように喰べるという概念があるのか。話を聞いている限り、幽世は死後の世界に近い場所のようだし、肉体から離れた魂の具現体だというのならそういった概念はなくなっているのではないだろうか。じゃあ、喰べるって一体……。

　その答えを、丁度（ちょうど）赤川さんは説明してくれた。

「幽世というのはいまだに解明されていない場所だ。当たり前だよな、視える人とそうでない人がいるんだから。だから、そこに存在する妖という生き物も謎に満ちているんだ。妖と言っても色んな奴がいる。ただそこに立っているだけの何もしない妖、現世にいる存在を見守っている妖、そして他の妖やあたし達みたいな干渉者を襲う妖。襲うだけのものもいれば、喰うものもいる。喰うっていうのは空腹を満たす意味で行なわれるものじゃなくて、エネルギーを蓄（たくわ）えるという意味で行なわれているとあたしらは考えている。その証拠に、喰う妖は凶暴な奴がほとんどだ」

　彼女の話を聞いて、私は昔のことを思い出した。

「私、子供の時に妖怪にあったことがあるんです」

　その話はみかにも話したことはなかった。みかは「えっ」と小さく声を洩らした。

　赤川さんは黙って耳を傾けてくれていた。

「昔、母の実家に遊びに行った帰りに嵐に巻き込まれて、あまり設備が整っていない山道を走っていたところで土砂崩れにあって、車ごと押し流されたんです。気がついたら辺りには父も母もいなくて、私だけ車から投げ出されたんだと思います。それで、父と母を捜している時に、私の目の前に突然巨大な妖怪が現れたんです。まるで狐のような姿をしていました。化け狐なんじゃないかって」

　もしかしたらそれは、色んな妖を喰べて凶暴になった妖だったんじゃないか。

　廊下に響く私達の靴音。しばらくして、

「嵐……かぁ」

　赤川さんは一言そう呟いた。

　その先に続く言葉はひとつもなくて、ただただ靴音が続くだけだった。

　彼女が向かっているのは、私達の教室２年３組だった。

　黒い妖が現れた最初の場所。

「ここに、いるんですか？」

「気配はここから濃く感じる」

　２年３組のドアを開く。

　途端、今までに感じたことのないほどの気配を身体中で感じた。

「何これ……」

　目の前の状況に、私の身体は震え始めた。

「あやめ……」

　みかが手を握ってくれる。

「こいつ、随分と喰いやがったな」

　震えが止まらずその場に崩れた私をよそに、赤川さんはづかづかと教室の中へと入っていく。

　教室の中はまるで地獄絵図だった。教室の後ろ半分は闇で埋め尽くされていて、目を凝らすとその正体が巨大なヘドロのようなものであることが分かる。それは常にうねうねと動き続けていて、至る所から人の腕のようなものがまるで助けを求めるかのように突き出ていた。ううん、実際に助けを求めていた。

「助けて」「苦しい」「死なせて」「怖い」

　そんな声がヘドロから聴こえてくる。

　これがあの黒い妖？　あの日とは比べ物にならないくらい大きくて、気持ち悪い。

　こんなの、化け物だ。

　私は耳を塞いでぎゅっと目を瞑（つむ）った。

「……烏丸（からすま）さん、遠藤さんを連れて外に出ていて」

　赤川さんの指示に従って、みかは私の肩を寄せて廊下を引き返した。私は、何もできないままみかに連れられた。

「あやめ、ごめんね。こういう時、うちは何もできない。せめてあやめの見てるものが見えたらいいのに」

（……そんなことない）

　声は出なかった。

　みかを心配させたくないのに、哀しませたくないのに……。

　階段を降りて、廊下を進んでいく。

「ねぇ、あやめ」

　みかは私の名前を呼んだ。

「うちね、あまり裕福な家庭じゃなくてね、三姉妹だからお姉ちゃん達を高校に通わせるのが精一杯だったんだ。夜中にお父さんとお母さんが話してるのを聞いて、うちを高校に通わせる余裕がないことを知って、けど、うち高校に行きたくて……お父さんとお母さんに酷いこと言って家を出てっちゃったんだ。おばあちゃん家（ち）近かったから、いつも家出した時はおばあちゃん家に駆け込んでた。高校行きたいっておばあちゃんに言ったら、おばあちゃんが学費を出してくれたんだ。それで通えるようになったんだ。……おばあちゃんは去年、家の階段から落ちて頭を打って亡くなった。おばあちゃん家の階段はかなり急で、それに手すりもなかったから危険だったんだ。おじいちゃんは早くに亡くなってておばあちゃんひとりで暮らしてたから、お父さんもお母さんもバリアフリーにした方がいいって言ってて……。だからね、うちが高校に行きたいなんて言わなかったら、そのお金で手すりの工事だってできて、階段を使うときにはちゃんと手すりを掴んで……、そしたらね……、おばあちゃん、死ななかったんじゃないかなって……ずっと考えてて……。ねぇ、あやめ。……おばあちゃん、うちを恨んでないかなぁ」

　震えた声でみかは私に訊いてきた。初めてみかの気持ちを知れた気がして、少し嬉しく思えた。みかがこっくりさんをやろうなんて言った理由がわかった。おばあちゃんに会いたかったんだね。自分を恨んでいないか聞きたかったんだね。

　みかのそばにはいつも頭から血を流したおばあさんがいた。じっとみかを見つめていた。悪意は何も感じなかった。こっくりさんをやろうと話していた時も、あのおばあさんは全力で止めようとしてくれていた。

　そうか、おばあさんはみかのことをずっと見守っていたのか。

「大丈夫、きっと恨んでなんかない。だって、いつもみかのそばにいたんだから」

「……ほんとに？」

「うん」

　みかの表情は見えなかった。ただ、隣で鼻を啜（すす）る音が聴こえていた。

　そのおばあさんが黒い妖に喰べられたかもしれないことは言わなかった。だけど、きっとあの妖をなんとかすれば、助けられるかもしれない。

「みか」

「ん？」

「もう大丈夫」

「……そか」

　みかからそっと離れて、私は一度深呼吸をした。

　そして、踵（きびす）を返したその時だった。

　ばりぃんと、硝子（がらす）の割れる音が廊下内に響き渡った。

「ひゃあっ」

「みか、行こう。きっと赤川さんだ」

　みかを連れて、廊下を駆ける。

　硝子の音は上の階から聴こえた。きっと２年３組だ。そして硝子が割れた後、外の方から呻き声が聴こえた。窓から外に出たんだ。だとしたら、あいつは今グラウンドにいる。

　校舎の外に出て、私達はグラウンドまで走った。

「いた、赤川さん！」

　グラウンドに黒い妖と赤川さんがいた。

　黒い妖は更に大きくなっているように感じた。

　地面に両手をついた赤川さんの周囲を、薄い膜のようなものが囲っているのが視えた。黒い妖はその膜の中に入ることはできなかった。きっとあれが結界というものなのだ。

　私の声に反応したのか、黒い妖は私とみかの方に向きを変えた。

「おいこらあたしを無視してんじゃねえぞ黒ヘドロが！　遠藤さん烏丸さん！　そっから逃げろ！」

「え、なになになに！？」

　戸惑うみかの手を握りしめ逃げ出そうとしたその瞬間、私の足がもつれて転けてしまった。その間も黒い妖はこちらに近づいてきていた。あの時より動きが速い。逃げ切れないと判断した私は、急いでお札を探した。鞄の中を弄（まさぐ）る。けれど、なかなか見当たらない。ちゃんと分かりやすいところに仕舞うべきだった。

　ようやくお札を見つけた時にはもう目の前まで奴が来ていた。

　辺りが一瞬にして闇になる。間に合わない。

　まただ、またこんなことに……。

　どうにもできなくて、私は目を瞑った。

　静寂は束の間だった。

「ふぅ、間に合った！」

　男の人の声。聞き覚えがある。

　ふっと目を開けると、目の前に広がったその光景に言葉が出なかった。

「大丈夫だった？」「あやめ！　大丈夫？」

　ふたつの声が重なり合う。それは、みかには視えていないことを意味する。

　はっと我にかえり、みかに「大丈夫」と答えてから、私は彼に目を向けた。矢神真琴に。

「どういうことですか……」

　昼間と同じ制服姿の矢神さんは「あー」と頭をぽりぽりと掻く。その仕草は赤川さんとよく似ていた。だけど、事務所にいた時の矢神さんとは明らかに違うところがあった。

　彼は浮いていたのだ。浮遊していたのだ。まるで死んでいる人と同じような気配も感じた。そして、そんな彼には左腕があった。

「大丈夫かあんた達」

　こちらへ走ってきた赤川さんが矢神さんを見上げ「来るのおっそ」と舌打ちをした。

「ごめんって。見つけるのに苦労したんだ」

「え、あの、え？　そこに誰かいるんですか？」

　きょろきょろと見回すみかを見て「あ、そっか」と、赤川さんは矢神さんの方を指差す。

「今ここに真琴が浮いてるんだ」

「……え、浮いてる？　矢神さんが？　…………え？　どういうこと？」

　ますます戸惑うみか。やはり矢神さんに対しての説明は雑だ。

「え、うちに見えないってことは、もしかして亡くなったんですか……」

「まぁそう思うよな。違う違う、ちゃんと生きてるよ。真琴はな、干渉者じゃないのに幽世に干渉することができる人間なんだ」

「え、どういう……」

「こいつは幽世に行く力があるんだ」

「幽世に行く力？」

　どういうことだ？

　幽世は未練を残して死んだものしか行けない場所ではないのか。

　赤川さんは「んー」と少し唸ってから、こう続けた。

「体外離脱って聞いたことないか？」

「たいがいりだつ？」

「……肉体から魂が抜けるあれですか？」

　首を傾げるみかのかわりに私が答える。

「そうそうそれだよ。『魂抜（たまぬ）け』って呼ばれることもある」

「……え、じゃあ矢神さんって、今魂だけの状態ってこと？」

　みかの問いに赤川さんと矢神さんはこくんと頷く。

　浮遊した矢神さんの状態はたしかに体外離脱と言われるそれのイメージによく似ていた。

　ないはずの左腕があるのは、そこが幽世だからなのだろうか。赤川さんは言っていた。『肉体を離れた魂は自身で姿を形づくる』と。だから左腕のあった姿を思い浮かべることで、彼は幽世の中でだけ両腕のある姿でいられるのかもしれない。

「今、矢神さんの肉体は？」

「事務所のソファーで寝てるよ」

　と、赤川さんは答える。

　それを聞いてふと、昼間の光景を思い出す。

「もしかして、昼間に寝ていたのって……」

「学校の様子を見に行ってもらってたんだ。あんた達が事務所に来たのと入れ違いでな」

　ということは、霊乂探偵事務所に着いた直後にタイミング良く赤川さんがドアを開けたのは、私達が事務所に来たところを見かけた矢神さんが赤川さんに知らせてくれたから？　私が黒い妖に目を奪われた時に赤川さんがすぐに助けに来られたのも、もしかして彼が……。

　矢神さんが体外離脱体験者だったことに少なからず驚きはあった。

　けれど、今私の中でそれ以上に心を奪われていたものがあった。それは、さっき黒い妖に襲われそうになった時に助けてくれて、そして今その妖と闘っている白い妖にだった。

　牙を剥き出して黒い妖に噛みついている４足歩行の妖。神々（こうごう）しく輝く白い毛並みに長い胴体、そして鎌のように伸びた鋭い爪。風が吹き始めて、体温が次第に奪われていく。その姿は、あの日私の前に現れたあの妖怪とよく似ていた。

「……化け狐」

　あの日の光景が浮かぶ。

　雨風が吹き荒（すさ）む中、自然の流れに乗るように現れた妖怪。

「違うよ遠藤さん」

「……え？」

　赤川さんは私の視線の先の白い妖の方を見つめて言う。

「あんたが昔遭遇した妖は化け狐じゃない。それは、旋風（つむじかぜ）に乗って現れ、鋭い爪で様々なものを切りつけていく妖。時には人を、時には妖を、そして時には神を。奴が通ったところは嵐が吹き荒れ、鎌のように鋭く伸びた爪は人々に恐怖心を植え付けた。そしてこう恐れられた。悪神（あくじん）『鎌鼬（かまいたち）』と」

　鎌鼬……。あの妖が、あの日私達を襲った妖。そして……。

「あんた達家族を襲ったのはリオンかもしれない。けど、襲おうと思って襲ったわけじゃない」

「……」

　……え？　今、リオンって言った？

「リオンって、事務所にいたイタチのことですか？」

「そう。あの子だよ」

「けど、今のあの姿は……」

　事務所にいたのはただのイタチだった。もふもふの可愛いイタチ。鎌鼬とは似ても似つかない姿だ。

「事務所で会ったリオンは本来の姿じゃないんだ。いや、ある意味本来の姿なのかもしれない。あの姿は現世にいた時の、ただのイタチだった時のリオンの姿だ」

　赤川さんの話に耳を傾ける。

「鎌鼬は大昔からずっと幽世にいた妖だ。それも現世に干渉することのできる干渉者でもある。触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、その五感全ての干渉者なんだ。力が強大故（ゆえ）に人を巻き込んでしまうことはある。だけど、リオンの獲物は基本的に妖だ。それも他の妖を喰う凶暴な妖を狙う。本能なのか、それともリオンの意志なのか、それはわからない。

　鎌鼬は普段は姿を現すことはない。いや、動きが速すぎて視えないんだ。だけど２年前にリオンはあたし達の前に現れた。大怪我を負った姿で。そんなリオンを助けたのが真琴だった。魂抜けした真琴がリオンに触れたその瞬間、リオンは力を取り戻したんだ。なぜかはわからない。けど真琴が幽世に行き、リオンのそばにいる間だけ数分間リオンは鎌鼬の本来の姿に戻ることができる」

　話を聞いて、私はふとあのニュースを思い出した。

「２年ほど前に眼球を抜かれた事件が多発したのって……」

　私の言いたいことを察してくれた赤川さんは頷いた。

「多分あんたの考えてる通りだよ。それまで妖による被害が事件として報道されなかったのは、リオンがそういった凶暴な妖達と闘っていたからだ。だけど、怪我を負い力を失ってから妖の被害は増えるようになってしまった。それがあの不可解事件が多発した原因だ」

　この子が、被害を抑えてくれていたのか。

　そして矢神さんに出会って再び闘う力を取り戻したリオンは、今も闘い続けている。

　だったら、リオンは……鎌鼬は、私達の味方なのだろうか。

「あれが……鎌鼬」

　みかはグラウンドの方を見つめながら呟いた。私は目を見開いた。

「視える……の？」

「うん。はっきりと見える」

　そうか。五感全ての干渉者だから、本来視えない人にもリオンの姿は視えるのか。きっと事務所でのリオンが視えなかったのは、力を取り戻していない状態だったからだ。

「闘ってるんだね。黒い妖と」

「うん。闘ってる」

　黒い妖は呻き声を上げながらヘドロに塗（まみ）れた腕を何本もリオンめがけて伸ばしていく。いつの間にかリオンの背には矢神さんが乗っていて、まるで一緒に闘っているようだった。リオン達は、ヘドロに塗れた腕を華麗にかわしながら、時には鎌で直接、時には風のように斬撃を飛ばして腕を切り落としていく。リオンが動く度（たび）に風が舞い、重力を感じさせない流れるようなその動きは、まるで竜のようだった。

　切り落とされていくヘドロに塗れた腕はばたばたと地面に落ちて、まるで自らの意思を持つようにもぞもぞと動き出した。

「な、なにあれ」

「大丈夫だ。あれを見ろ」

　赤川さんは蠢（うごめ）く腕を指差す。

「あれって」

　ヘドロが次第に流れ落ちていき、腕の形が崩れていく。徐々にその形は人の形へと変わり、ヘドロは溶けてなくなった。

　ヘドロに塗れた腕の正体、それは妖達だった。きっと今までに喰べてきた妖だ。その中には、普段学校で見かける妖の姿もあった。

「これがリオンの力だ。鎌鼬の鎌はあまりにも鋭いが故に切られたことにすら気づかない。その上器用に鎌を扱うことができるんだ。今、リオンは黒い妖が喰ってきた妖だけを切り離している」

「……そんなことが」

　話している間にも、リオンは黒い妖から腕を切り落とし続けている。

　徐々に、徐々に、その黒い妖の姿が小さくなっているのが分かる。

　赤川さんの話と、リオンと矢神さんの姿を見て、私は思い出したことがあった。

　土砂崩れでお父さんとお母さんとはぐれた後、私は２人のことを呼び続けた。だけど返事はなくて、その時１本の大木が私めがけて飛んできた。きっと風で吹き飛ばされてきたんだと思う。私は叫んだ。怖くて怖くて泣き叫んだ。

　その瞬間に、リオンは私の目の前に現れた。神々しく輝いた姿のリオンは私を見つめて、そして颯爽（さっそう）と去っていった。

　私の後ろには、真っ二つに割れた大木があった。

　あの後すぐにお母さんが来てくれて、私は助かった。

　当時は怖くて気がつかなかったけれど、きっとリオンが私を助けてくれたんだ。

　悪神として恐れられてきたかもしれない。だけど、あの子は人を襲う妖なんかじゃない。私はそれを信じようと思う。

「……遠藤さん、違ったよ」

「え？」

　赤川さんは呆然と佇（たたず）み、黒い妖を見つめている。

「黒い妖の正体は人じゃない」

　リオンによって、黒い妖に喰われた妖達は多分全部切り離された。

　リオンは一瞬にして黒い妖のそばに現れ、鎌を振り上げた。そして、黒い妖めがけて振り下ろした。これが最後の一撃だった。

　黒いヘドロのみがすぱんと切れ、どろどろと崩れ落ちていく。

　姿が現れる。

「……犬だ」

　小さな子供と同じくらいの大きさの、泥に塗れて痩せ細った犬の姿が現れた。

「犬？」

　みかは私達の視線を追って、その先を見つめながら言う。

「犬がいるの？」

「うん。黒い妖の正体は犬だったみたい」

「それって……もしかして」

　みかが何かに気づいたその時、後ろで声が聞こえた。

「ゴロー」

　後ろを振り返ると、ひとりのおじさんが立っていた。