満腹戦士アライグマ

 オークション開始から15分。 

 警備スタッフへの巡回ルートの指定は解かれ、適宜会場を警備せよとの大雑把な指示に変わった。トラブルは会場内でしか起きない。主催者側はそう考えたに違いない。

 しかし、スカスカのタスクリストと裏腹に庭園内に残った人影が多い。オークションの参加客のはずが会場入りしない彼らを無視するわけにもいかない。休憩時間は遠いとわかると被り物の白兎が重たく感じてくる。

 疲労に押し潰されまいと、僕は積極的に21階を歩いた。幸いなことに人混みが解消されたおかげで庭園内は広く、またそこそこに人がいるので気も緩まない。

 上から見たときと異なり、庭園内はちょっとした迷路だ。22階まで幹を伸ばし枝を茂らせた何本もの樹木が独りでは到底取り囲めない太さで視界を遮る。

 樹木を避けるよう敷設された道が方向感覚を奪い、現在地を有耶無耶にする。

 極めつけは21階内にある高低差だ。目視でわからない程度のアップダウンが距離感覚や疲労感を誤魔化すせいで、実際の敷地面積以上に広いと錯覚してしまう。

 そして、迷い込んだ先には花壇や展示エリアが待ち構えており、“自分たちは珍しい植物です”、“ここはMM市にはない気候です”、“私たちの生態を感じてください”、“こんな植物を育てているのは凄いでしょう”と、自己アピールの強い説明文が僕達を出迎える。確かにホテル内にいながら異郷を歩く気分に浸れるが、個人的には設計者の意志が強くて辟易する。

 もっとも、会場に残る客たちは連れ合いとの話に華を咲かせるか、リストバンドを通してオークションの状況を確認するのに忙しいのか、庭園へ関心を向ける素振りもない。どうやら庭園は背景ですらないらしい。


 客を横目に歩き続け迷路を抜けるとエントランスホールの裏にでた。エントランスホールの床面よりも数メートル低く、花壇の左右に向けて木製の上り階段が設えられていた。

 見たことがない景色に戸惑うが、よく観ればこの階段は他の通路と異なり、22階の真下に作られている。エントランスホールでの催し物用に作られた舞台裏の死角だろうか。

「リンじゃないか。久しぶりだね」

 頭の中の地図と現在地をすりあわせていると、鶏頭の同僚が階段をおりてくる。両手には紙コップに山盛りのフライドポテト。

「シイバ…さん?」

「シイバでいいよ。上下関係があるわけじゃない。食べるかい?」 

 シイバは器用にヘルメットを緩め、首元のからヘルメットにポテトを押し込んでいる。

「食べられてるんですか? それ」

「もちろん。飲み物も食べ物も自由自在だよ。警備は体力仕事だからね。食べられるときに食べないと」

 意見はもっともだが奇怪かつ怠けているように見える。

「サボっちゃいないよ。巡回はしているさ」

「飲食スペース目当てでエントランスに?」 

 シイバは紙コップを持ったまま、両手をヘルメットの横に挙げた。身振りが大きいことで、無表情の鶏頭でも驚いたように見える。シイバを見ていると人の感情表現は表情に限らないことを思い知らされる。

「失敬な。会場外で敢えて警備を厚くするなら此処に決まっているじゃないか」

 その自信がどこからくるのかわからない。僕は腕組みをして周囲に目をやった。21階の庭園内は死角が多い。客の細かな異変をみるなら庭園内を歩くのが効果的だが、22階から全体を観たほうが全体は押さえられる。

「1カ所だけ見回っていてもトラブルを見逃すんじゃないかって顔だね」

「顔は変わりませんよ」

「そんなことはない。俺が驚いたのはわかったろう?」

 それは彼のリアクションが派手だから……

「キミも俺の表情がみえたってことだろう。それにここが警備の要なのは俺だけの意見じゃない。階段を上ってみなよ」                         

 シイバに誘われ階段を上り、エントランスホールにでる。ホールに並ぶテーブルには、未だにリスのヘルメットを被った給仕係がホテル内から食事を運んでいる。

 リスたちの運んできた温かい食事をホールに残る客らが手にとり、談笑の合間に食べている。ホール外周では動物頭のスーツたちが客の様子を眺めている。

「ほらね?」

 シイバが腕組みをして背筋を伸ばす。だが、これは結果として集まってしまっただけではないのか。

「まだ疑ってるなぁ。疑い深いぞリン」

 褒められてるのか貶されているのか。反応に困って後退すると、ブーツのかかとが硬い何かにあたった。振り返ると僕の後ろには黒いスーツの大きな背中があった。どうやら相手の足を踏んでしまったらしい。

「すみません」

 相手は背中を丸めてふごふごと息苦しい音を立てる。怪我をさせたとは思えなかったが、僕は相手の顔を覗きこみ、今度は本当に驚いて飛び退いた。

 丸めた背中の反対側ではアライグマが首元に山盛りのスパゲッティとフライドチキンを詰めこんでいたのだ。

「んんっん!んん!」

 こちらに気づいたアライグマはフォークをもった左手を僕に向けて、なにやらもごもごと声をあげる。そのまま数秒呻くとアライグマは皿とフォークをテーブルに置き、緩んだ首元を整えた。隙間から食べ終わった鶏の骨を取り出すのも忘れない。

「すまんすまん、誰かに話しかけられるなんて思わなくてな。どうした? 仕事か?」

 スーツに動物頭のヘルメット、アライグマの大男は僕やシイバと同じ警備スタッフだ。

「別に新しい仕事はないよ。彼が君のかかとを踏んだので謝りたいんだと」

「そうなの。ま、気にするなよ。歩いてりゃそういうこともあるだろ」

 アライグマは再び皿とフォークを手に取った。食事を続けるつもりらしいが、彼の皿に残っているのはチキンの骨だけだ。

「あ、あの」

「なんだ。メニューのおすすめならグラタンだな。一通り食べたが、あのグラタン、最上階のレストランでと同じ味がした。食べ放題なんか普通ありえないぜ」

「そうなの? 冷凍品だと思ってたけれど」

「他人の夢を壊すな。嫌われるぞ」

「そもそも君は最上階のレストランにいかないじゃないか」

「相変わらず酷い言い草だな」

 二人のやり取りを聞いて、僕はアライグマがシイバの知り合いだと気づいた。尋ねてみると、アライグマは3回目の警備スタッフ。シイバとは初回からの顔なじみだという。

「こいつは名乗るんだが、外で会っちゃったとき困るだろう。そうだな…今年はアライグマだから、アライでいい」

 名前を尋ねると彼はそう言った。言い分には一理あるのだが、僕の考えなど気にせずシイバが僕の名を告げる。アライは「シイバはそういう奴なんだよ」と笑い、僕の名を他に伝えないと約束した。そのうえで、彼は僕にも食事を勧める。

「警備スタッフは体力勝負だからな。緩んだすきに食べるべきだ。それにこの仕事で出る飯は美味いしタダだし損がない」

「そうそう」

 二人はそう言って客の少ない卓を回り並んだ料理を食べ始める。客も警備も文句は言わないがどうにも気まずい。

「それで白兎の彼は何を考えこんでるんだ」

「警備が此処に集まるのが疑問らしい」

「そりゃあ、飯だよ飯」

 食事狙いで寄ってくるのは二人だけだ。他の警備スタッフは卓に近寄らないし、そもそもヘルメットをつけたままで食事は困難だ。

「給仕の身にもなれよ。美味いものを美味いって食べたほうが嬉しいだろう。食に興味がない奴はその辺をわかってない」

 それは食事を楽しむための理由であって仕事中に食事を優先する理由ではない。

「アライ君、どうやら知りたいのはそういう話じゃなさそうだ」

 僕の肩にシイバが軽く手を添える。わかったような素振りなのがちょっと腹立たしい。

「他に何があるんだよ。今回は開場内の配置が良い。ここは唯一の出入口で食事処だ。飯と警備が両立する場所は他にない」

 確かに空中庭園から逃げるにはホールに繋がる廊下しかない。何があっても最後は此処を通るから警備が集まっているのだ。

「腑に落ちた?」

 シイバが僕の兎の顔面を覗きこむ。無表情な鶏だけどシイバが笑ったように見えた。

「事が起きたときにその場にいないのはまずくない?」

「警備に与えられた情報じゃ何がトラブルかわかんねぇだろ。その辺の給仕に泥棒が混ざってても見分けられないぜ。そもそも出品された商品の詳細すら知らないんだからな」

 アライはそう言って盛大に笑う。ここから先起こるトラブルは多かれ少なかれオークションに出品された商品に関わるだろう。僕ら警備スタッフの手持ち情報ではトラブルの当事者を見分けられない。

 一応、理にはかなっている。

「まあなんとなくわかった気がします」

「それは良かった。ところで、あそこの魚介のソテー食べたか?」

 離れるのも不自然で食事の話に戻ってしまう二人になんとなくついて歩いていると、唐突にアライが食事を止める。

「お待ちかねのトラブルだぞ二人とも」

 アライがこめかみを指で叩く。同時にヘルメット内に新しい通信が表示された。

――至急。至急。追加メッセージが届いたスタッフは20階指定場所に向かわれたし。なお、上記とは別に数名、会場側への配置転換を募る。希望者は返信を。

「会場スタッフってこと?」

「いいね。生オークション。珍しいぜ?」

 シイバは意気揚々と名乗りを上げる。他方、アライは余計な面倒はお断りだと20階へと走っていった。

「リン、興味があるならまずは飛び込んでみることだよ」

 違うんだ、そう言いたいのに言葉が出ない。代わりに僕の手は配置転換の希望を出していた。

――了承した。希望者2名は至急指定場所へ向かい、ツバメから引継を受けよ。 

「俺達だけらしい。縁があるな」

 まるで遊びにでも誘うかのようにシイバが庭園の奥へと駆け出していく。

 あまり深入りはしたくない。浮かんだ言葉を有耶無耶にして、僕は彼の後を追った。

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