第3話 狼王は薬師契約をお望みです

 ぷにぷにとしたかわいらしいエルナの手を握り、忠誠を誓う騎士のように片膝をついたオルリアは、一心に彼女を見上げ、薬師契約を持ち出した。


 薬師契約はいわば、自分を最優先として薬師活動をすると誓わせる契約だ。


 彼女が王宮に常駐する薬師になってくれれば心強い。

 加えて、魔女であり症状の詳細を知る彼女がいれば、万が一のときでも、人を傷つけることなく対処できると判断したのだろう。


 きちんとした生活に戻りさえすれば、絶世とうたわれるかんばせでエルナを見つめ、握る手に力を籠める。


「頼む。私が順調に王の役目を果たすには、お前が必要だ」

「断る。私は王族も貴族も嫌いだ。断固として絶対に嫌だ」


 だが、どうにかして手を離してもらおうと試みるエルナは、腕を引きながら頑として拒絶した。彼女が的確な薬と引き換えに追い出そうとした背景には、自身の不得手も含まれていたようだ。


「強情な。王の願いが聞けないというのか」

「きみが真っ当な王なら、一万歩譲って可能性があったかもしれないがな。嫌なものは嫌なんだ。私はもう二度と王族貴族などとは関わり合いになりたくない!」

「ならどうしてタングリーは受け入れる!? 不公平だろう!」

「タングリーは不可抗力だ! 最初は貴族だと知らなかったんだ! 友達と認定されてしまった以上、今さら無下にできん。それだけだ!」


 先程までの緊張感に満ちたやり取りはどこへ行ったのか。

 エルナの手を離さぬまま立ち上がり、もう片方の手を机についたオルリアは、身を乗り出して強情なエルナと言い争う。


 とばっちりを受けたタングリーは何か言いたそうな顔をしているものの、口を挟める隙が無い。

 腰元まで無造作に伸びた長い髪をさらりと垂らし、オルリアはもう一歩詰め寄った。


「うみゃあっ!」


 だが、それに抗議の声を上げたのは、エルナの膝で寛いでいた蝙蝠の羽を持つ猫っぽい生き物だ。

 シャドラという魔法生物である黒シャドラのクリュエは、突然垂らされた髪の毛のカーテンにご立腹な様子で、猫パンチを繰り出している。


 途中、絡まった髪に爪が引っ掛かってさらに不機嫌そうだ。


「みゃ、みゃあ……っ」

「邪魔したようだな猫。だがこれは大事な交渉。少し黙っていてくれ」


 取れなくなった右手をじたばたさせるクリュエの手を取り、髪から外してやったオルリアは、魔法生物にも容赦なく断言する。


 機嫌を損ねたクリュエはエルナの膝を飛び降りて、日向ぼっこをするもう一匹のシャドラ・キジトラのリーファの元へ。なぜかリーファの首元に頭を預け、枕のように扱ってクリュエはパタパタとしっぽを揺らす。

 よほど機嫌が悪いのだと、エルナは察していた。


「さて、邪魔はいなくなった。そしてお前の心情も分かった。だが、王族だろうが貴族だろうが、困っている者に手を差し伸べるだけの度量はあるのだろう? ならば妥協点を探ろう。何があれば我慢できる? 金か?」


 まるでクリュエの件などなかった顔で、オルリアは再度エルナのかんばせにに詰め寄る。

 心なしか生き生きとし出したディープレッドの瞳は綺麗で。

 嫌そうに身をよじると、今度はおとがいを掴まれた。


 最早交渉というより口説く奴の態勢だ。炎のような瞳を細め、エルナは毅然とした態度で彼の交渉を拒絶する。


「人を金の亡者みたいに言うんじゃない。妥協も何も、きみの症状は薬で抑え込める。私が傍にいてやる必要性は微塵もない。それによく考えろ? きみは狼を得た自分を異端と思い引きこもっていたのだろう。過去数世紀に渡り、異端のレッテルを浴び続けてきた魔女を、よく王宮に招こうなどと言えるな」

「それについては私が完璧に守ろう。どんな悪意からも、事象からも、ずっと傍で守ろう」

「断る! もう助けてくれタングリー……」


 いっそ本当に口説くような甘い言葉で誘うオルリアに、困ったエルナはソワソワと様子を盗み見ていたタングリーに助けを求めた。

 親友が幼馴染みを口説……いや、交渉する姿を直視できなかったのだろう。

 半べそをかき始めたエルナに、タングリーはようやく口を開く。


「オルリア、一旦その辺にしてやってくれ。流石に可哀想だ」

「黙っていろ、タングリー。私はこの交渉が成立するまでやめない。つまりは王宮へも帰らない。悪循環だろう、さあ妥協しろエルナ。なんならこのまま抱いて帰ってもいい」

「いやあっ! 私は王宮なんて嫌だ! それに……ほら、王宮でこの子たちは飼えないから無理だ! 諦めてくれ」


 背の高いオルリアと小さなエルナ。随分と身長差があるせいか、いっそ小さな子供のように見える仕草で、彼女は別の方向性を探る。


 不得手を理由に引いてくれない以上、もっと確実な理由を見繕おうとしたようだ。

 だが、日向ぼっこに興じるシャドラを一瞥したオルリアは、


「こんな猫など連れて行けばいいだろう。問題ない」


 にべもなくその抵抗を却下する。


「問題大ありだ。クリュエとリーファのほかに、もう一匹虎サイズのシャドラがいるんだ。大型シャドラは欧州国際連盟魔法部が許可した敷地以外では飼えない。シャドラ規制法に引っ掛かるんだぞ! 大問題だ!」


 すると遂に「シャドラ規制法」などという、魔法族にしか分からないような法律まで引っ張り出した彼女は挙句、「定期的な街への薬師活動」、「薬草園の手入れ」と、どんどん理由を積み重ね、心の壁を厚くする。


 湯水の如き拒絶と却下の応酬に、止めに入ったタングリーが追い出され、二匹のシャドラも奥の寝室へ消えたころ、オルリアは大きく息を吐いた。


 どうやら十ヶ月も引きこもった彼が言い合いをするには、一時間が限界だったのだろう。ぐらりと体が揺れて、彼は慌てて抱き留めるエルナの腕に落っこちた。





「……タングリー、居るか?」

「イタッ」


 扉を開けた途端、ゴンという鈍い音が響く。


 力尽きたオルリアを窓際のソファに寝かせ数分。

 危険がないかを確かめるように、二匹のシャドラが彼を踏みつけてくんくん嗅ぐのを確認したエルナは、追い出されたと思ったら、なぜか玄関扉の目の前にいたタングリーに目を瞬いた。

 鼻をぶつけたらしい彼は、もんどりを打ってしゃがみ込んでいる。


「すまない。怪我はないか?」

「らいじょーぶ。オルリアはどうした?」


 慌てて腰を落とし、赤くなった鼻をさすってやると、彼は目を逸らして問いかけた。

 出血がないことを確認したエルナは、シャドラたちに潰されている彼を振り返り、


「力尽きた」

「は?」


 ソファで眠る彼を指す。

 眉間に深い皺を寄せたオルリアは、苦しげに目を閉じていた。

 引きこもり上がりの言い合いに体力が尽きたのだろう、彼女はそう言っていた。


「面倒だが、目を覚ますころには日も落ちている可能性が高い。このまま一晩預かろう」

「いや、一人暮らしの女の子の家に男を泊めちゃダメな気が……。メメラばーちゃんもいないんだし。それよりどうするんだ、薬師契約」

「ん……。タングリーはどう思う? 私は絶対に嫌だが、念のため第三者の意見を聞きたい」


 そのまま三段だけある玄関前の石段に腰を下ろすと、エルナは隣に落ち着いた。


 二年前まで共に暮らしていたエルナの祖母に「行儀が悪い」と怒られたものだが、二人はよくこうして他愛のない会話をしていたものだ。その癖が出ているのだろう。

 ぎりぎり触れない距離で隣り合う彼女を見つめ、タングリーは口を開く。


「……そうだな。確かにエルナがオルリアの傍にいてくれたら、あいつは薬だけじゃない安心感を得て、王としての役目に集中できると思う。でも、エルナが俺以外と仲良くしている姿はあんまり見たくない……かな」

「仲良く? 仕事なのにか?」

「男って生き物は単純だから、献身を好意と勘違しちゃう奴もいるんだよ。その昔、怪我した俺を一生懸命手当てしてくれたエルナに、俺が惚れているようにな」


 不思議顔をする彼女の頬に触れ、タングリーは呟く。

 もちろん国のためにと二人を引き合わせたのは彼自身だが、その胸には微妙な葛藤があったのかもしれない。

 目を見開いた後で、エルナはごほんと咳払いをした。


「……気持ちは嬉しいよ、タングリー。だが私は異国の魔女だ。その想いには応えないと言っただろうに。早く普通の女の子をめとるといいよ。もちろん、あの王にもほだされないが」

「好きでいるのは俺の自由と俺も言った。だから俺はこれでいい。だがまぁ、エルナもそうだがオルリアも強情だからな……。俺はお前が負けるに一票入れておくわ」


 ポンとエルナの頭に手を乗せ、タングリーは最終的に笑う。

 告白までして関係性が崩れないのも不思議だが、彼らの中では折り合いがついているのだろう。大きな手が乗った頭の方に視線を向け、エルナは頬を膨らませている。


 態度も言葉遣いも不遜だが、彼女はどこか子供っぽい。そこがかわいいのだとタングリーは思っていた。


「むー。納得いかん……」



 そうして話すうちに日差しがゆっくりと傾き始め、伸びる影が長くなる。

 結局、目を覚まさなかったオルリアにタングリーも雑魚寝を決め込み、日が落ちた。


 何とも騒々しい一日。


 だがその夜――半月の光がカーテンの隙間からわずかに差し込む深夜。

 オルリアの目覚めによって、もうひと波乱が起きたのだ。

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