第2話:妹ができて僕を「おにいちゃん」と呼んでくれました

 軍事務所の掲示板を眺める僕の背後からあざけるような笑い声が聞こえてくる。


「よー、サトル。お前には世話になったなー」


 普通に名前を呼ばれると『サトル』に聞こえてしまう。

 名字のフォンティネットは『小さな泉』の意味。

 合わせて『小泉サトル』


 このダジャレのために農家のフォンティネット家を転生先に選んだのかと気づいたとき、女神様のシナリオへの信頼は大きく揺らいだ。

 

 僕を呼んだ声の主はデブのグスタス中隊長。

 以前の上司で部下の手柄の横取りと責任の押しつけが得意。


 勇気ある同僚たちが上層部に直訴する書状を出したとき「お前も入れとくから」と勝手に名前を加えられ、それ以来なにかにつけて意地悪してくる前世でいうならパワハラ上司だ。


「南部大戦以降は兵士も余り気味だから悪く思うなよ」

 

 七年前の南の魔王軍との大決戦。聖教会が送り込んだ討魔最終兵器の大聖女が魔王を相打ちで消し去って以来、大規模戦闘は減ったが職を失う兵士が増えたというのは皮肉な話だ。


「クビでも退職金が出るだけマシじゃないですか」


 隣でそう言うのは、やせっぽちのバルペス第三小隊長。

 三年後輩だが僕を飛び越して出世した今の直属上司。

 口だけは達者というヤツだが地方とはいえ貴族の出身。


 出世には家柄や出身が影響するのは、この世界でも同じだった。


「この三年、サトルさんはたいした仕事もしてないですから仕方ないですよね-」


 三年前から食糧手配や野営の設置などの後方支援担当に回されたが、段取りや根回しなど前世の経験が生きて評判は非常に良かった。

 それが気に入らなくて人事権を持つグスタス中隊長にワイロでも渡してリストラのリストに僕を加えたに違いない。


 これは不当解雇だ。労働基準局に訴えてやる。


 別れ際に心の中でつぶやくが、顔には愛想笑いを浮かべて通り一遍の別れのあいさつを口にする。


 文明に影響するようなことは全く思い出せないが、こんなふうにどうでもいいことは思い出す。

 それに性格と行動パターンは前世の影響が大きいようだ。


 アラフォー氷河期世代の安定志向、慎重、保守的、疲れた心を引きずって転生したら、いきったり、はっちゃけるのは無理だよなあ。


 その展開を変化させるのが特殊スキルなんだろうけど、僕は三人兄弟の長男。両親は五十近くで妹ができる可能性はもうない。


 特殊スキル獲得はとっくにあきらめていた。


◇◆◇


「兵士の十三年、結局は組織の歯車、モブだったな」


 南部と中部の境界になる大きな河の橋の上。

 背中にリュックと丸めた毛布、腰には長剣と短剣の旅姿で歩いてきた南を振り返りつつ昔を思い出す。


 村の領主が開いている剣術塾で優秀な生徒だったので、元騎士団の先生に推薦してもらって討魔軍になんとか合格したが、やはり前世の経験が生きる商人とか農地経営の道を選ぶべきだったかもしれない。


 魔族と戦う異世界転生らしい仕事、と選んだというよりも公務員で給与も悪くなかったから深く考えずに飛びついた。


 定職に飢えていた氷河期世代のサガだな。


 それでも、ムダ使いしなければ老後は安泰ぐらいには稼いだ。

 退職金と積み立てた貯金を金貨にしてリュックの底に隠してある。


 だけど、せっかく転生したのに前世とたいして変わらず組織の歯車やって、なにも成し遂げない平凡な人生を歩んでいる。


 同じような人生の二回め、すでに合計七十年か。

 健康と金があるのは救いだけれど、なんかちょっと飽きたかな。


 橋の欄干に頬杖ついて、河の流れを見ながら思わずタメ息が出る。


”助けて!”


 どこからか声が聞こえた気がした。


 なんだ?

 数メートル下、河の濁流に飲まれて黒いかたまりが流されてきた。


 子供?


 子供の顔がこっちを向き、手が僕に向かって伸びた。


 女の子か⁉


 前世で死んだ妹の美奈の姿が重なる。

 リュックと腰の長剣を即座に投げ捨て、子供が流れてくる方向に頭から飛び込んだ。


 待ってろ、僕が助けてやる!



 濁流の中、子供の腕をつかんだが一緒に強い流れに巻き込まて息もまともにできない。


 ……ヤバイ、なめてた。

 助けるどころか、こっちも危ないぞ。


 だったら、僕は二回合わせて七十年も生きてる。

 今も前世の繰り返しみたいな人生。


「僕は死んでもいい、僕の命やるから、お前が生きろ!」



 うぇー……、マジで死ぬかと思った。

 軽々しく死んでもいいとか言っちゃダメだな……。


 あえぎながら水から上がり、意識のない女の子を河原に横たえる。


 四、五歳か。

 肩まで伸びたこの国では珍しい黒髪。

 黒い半袖シャツに半ズボン。

 クマの顔がフタになっている大きな布のバッグを肩からたすき掛けで提げていた。


 胸を何度か押すとゲホッと口から水が出るが息が戻らない。

 女の子のくちびるを口で覆って人工呼吸を始める。


「こんなおじさんがファーストキスでごめんね」


 何度か息を吹き込む。

 やっと目が開いて大きな丸い目と黒い瞳が僕を見た。


 よかった……。

 きれいな目だ。この子、きっと将来美人になるな。


 怖いのかな。

 地面に座って僕を見つめて小さく震えている。


「もう大丈夫だよ」


 背中に両手を回してギュッと抱きしめてあげると震えが止まった。


 小さい子が怖がってるときはこうするのがいい。

 美奈もそうだった。


 体が冷たい。二人とも服も髪もビショ濡れだ。

 たしか、リュックにタオルが……。


「あーっ、荷物!!!」



 女の子をだっこしたまま必死で走ってたどり着いた橋の上。

 うっ、と息が詰まる。


 開いたリュックと剣、ぶちまけられた荷物が月明かりで見えた。


 いや、金貨は底に隠してるから……。


 リュックに近寄って女の子を降ろすと金貨を入れていた空の袋が落ちていた。


 ああ――、やってしまった……。


 腰の力が抜けてヘナヘナと座り込んでしまう。


「おじちゃん、どちたの?」


「お金……、全部……、なくなっちゃった……」


「ご、ごめんなしゃい……」


 なにが起こったか理解したのか。かしこい子だ。


 そうか、黒髪で美奈を思い出したんだな。

 何事にも慎重、むしろヘタレな僕が後先考えずに飛び込むわけだ。


 だけど、この子を助けなければ、こんなことには……。

 いや、ちがう。これでよかったんだ。

 僕がマヌケなだけだ。

 

「いいんだよ、別にたいした金じゃないから。ハハハハ……」


 ああ……でもだめだ。涙出てきそう。


 女の子は全てを察したように大声で泣きじゃくり始めた。


「ごめんなしゃい! ミーナが悪いんでしゅ、ごめんなしゃい!」


 えっ、美奈⁉

 ……いや、ミーナか。


「名前、ミーナっていうんだ」


 ミーナはうなずいて僕の手を恐る恐る握ってきた。


「おじちゃん、ごめんなしゃい……」


 こんなふうに僕の手を握って死んでいった美奈には、なにもしてやれなかった。


 でも、この子は生きている。

 前世も今もなにも成し遂げていない僕がこの子を、ミーナを助けた。


 女神様、これがあなたのシナリオでもダジャレでも感謝します。

 今度死ぬときは、今日のことを思い出して笑って死ねます。


 目から涙がこぼれて頰を流ていった。


 うわーん! とミーナが大きな声を上げて泣き出してしまった。


「おじちゃん、ごめんなしゃい! ほんとに、ごめんなしゃい! ミーナ、なんでもしゅるからゆるしてくだしゃい」 


「ちがうんだ、驚かしてゴメンね。泣いたのはミーナのせいじゃないんだ」


「おじちゃん、ごめんなさい。ミーナ、なんでもしましゅから、ゆるしてください」


 ワーン、ワーンと泣き続ける。


 困ったな、泣き止まない。どうしたものか……。


 なんでもするから許して……か。

 そうだな、なにかやってもらって、よし許した、とでもするか。


 この子も今日のことを覚えていてくれたらうれしいな。


「じゃあ、僕のことを『おじちゃん』じゃなくて『おにいちゃん』と呼んで欲しいな。それで毎晩おやすみのとき『おにいちゃん、ありがとう。今日もミーナは幸せでした』って言ってくれたら、ぜーんぶ許してあげる」


「おにいちゃん……でしゅか?」


 あっ、驚いた顔して固まった。

 じーと僕を見つめて、思いっきり顔をしかめる。


 ……完全にドン引きされた。

 毎晩感謝しろとか『おにいちゃん』と呼べとか、キモいオッサンと思ってる顔だ。

 慣れない人助けなんかするから調子に乗りすぎた。


「ごめん、今のは全部冗談! 忘れていいからね!」


「おにいちゃん!」


「えっ? あっ、はい……」


「……わかりました。なっとくしたわけではありましぇんが『いもうと』やらせていただきましゅ。まずは『いもうと』としてつくして、さっきのことばも、まいばんいいましゅ」


「い、いや、そんな重い意味じゃなくて……」


 突然、目の前にあの四つの願いの表示板が現れ、機械的な音声が響いた。


『第三ノ願イ、”オニイチャン”ト呼ンデクレル妹ガ欲シイ。クリア』


 えっ、女神様、こんなことでいいんですか⁉


*************************************

次回、第3話:『妹は魔法と料理が上手で胃袋つかまれて求婚しちゃいました』に続きます。


二人は野宿することになるがミーナは魔法が得意で作る料理は絶品、すでに花嫁修業を始めているのだと言うのだが……。


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