第40話 ウサ子を助けてください

 サンドウィッチに唐揚げ、卵焼きにブロッコリーとミニトマト。簡単だけど、楽しいお弁当らしいお弁当。を、大きめのランチボックスに詰め込んだ。それから、水筒にジュースも忘れずに。


 遊園地自体、果たして何年振りなのだろうか。


 子供の頃の遠足を思い出すように、俺の気持ちは多分3人のうちの誰よりもわくわくうきうきしていたように思う。


「着いたらすぐお昼になっちゃうかもね」


 満嗣さんの言葉に、ふと気づいた。そうか、そうだよな。


「着いたら、すぐお昼にしましょうか」


「うん、おひるー」


「そうね」


 満嗣さんが、ウサ子の頭を撫でた。


 遊園地まで、満嗣さんが車を出してくれた。


 一番近くの遊園地は、幼児向けの規模の小さいローカルなタイプ。お陰で、平日なのもあって空いているうえに、お弁当を食べるための小さな広場もあった。


 そこにレジャーシートを引いて、作りたてのお弁当を並べた。場所も近いし、さっき作ったばかりだから、お弁当はまだほんのり温かくて変な感じだ。



「こんな事だったら、家で食べてきてもよかったかもしれませんね」


   と俺が苦笑いを見せると、満嗣さんはお弁当の唐揚げを摘みながら


「ほか弁みたいでいいじゃない。お弁当でもあったかい方が美味しいわよ」


  と返してくれた。


  少し作りすぎたかもしれない俺特製のお弁当は、残らず綺麗に片付いた。


  ウサ子も雰囲気に呑まれたのか、いつも以上に沢山食べていた。


 「ウサ子、少し休憩したら何か乗ろうか?」


  食べた直後だし、と思って休憩を促したのだが、ウサ子は待ちきれずに走り出した。


「あれ!  あれ!」


  ウサ子が指差すのは、メリーゴーランド。小さいながらに、華やかな馬が上下に動きながら回る風貌は、魅力的に見えるのだろう。


「懐かしいわね、メリーゴーランド。私も子供の頃、好きだったな」


  いつもクールな顔の満嗣さんの表情が、柔らかく揺れた。正直、ドキッとした。


「じゃあ、皆で乗りましょうか」


「この年で、なんだか恥ずかしいな」


  満嗣さんの照れた笑いが、また愛おしく思えた。


「そうですよね、でも俺乗ってきますね。ウサ子のために」


  満嗣さんは「見てるわね」とその場を離れようとしたのだが、それをウサ子が引き止めた。小さな手にしっかり握られた、満嗣さんの服。


「ウサ子、我儘言ったら迷惑だよ」


「まーまーも、のるの!」


  まーまー……ママって、お前! なんて事を!


「あの、満嗣さん、違うんですよ。ウサ子、なんか勘違いしてて!」


  俺はなんとか誤魔化そうと、必死に弁解しようとした。超絶美人で、キャリアウーマンで、しかもまだ付き合って間もなすぎて、俺自身受け入れきれないのに……なんてことを!  いくら子供でも、許されることと許されないことがあるのだと教えなければ!


  しかし、俺の心配をよそに、ウサ子は頬を膨らませたまま、握ったその手を話さない。


 「満嗣さん、すみません。すぐに言い聞かせます」


  けれど、満嗣さんはウサ子と同じ目線になるよう、ウサ子に向き合って座った。


「そうよね、せっかくだもんね。皆で乗ろうか。パパとママとウサ子ちゃんと」


  ウサ子は、満嗣さんに頭を撫でられて、嬉しそうに笑った。


「満嗣さん……」


  正直、俺は呆気に取られた。


「ママ、だって。ママになる事なんて、無いって思ってたのに。ウサ子ちゃん、なんでママって呼んでくれたのかな」


  珍しく満嗣さんの顔が赤らんで見えた。


「はっ!  ママなんて、柄でもないっ!  擬似よ」


  それでも、嬉しかったのかな。ツンっとそっぽ向いた顔は、さっきより紅潮した上に柔らかかった。


「満嗣さん、ママになるのは嫌ですか?」


「私は、この仕事の為に人生捧げようと思ってたのよ。人並みの生活も幸せも憧れはしたけど、人並みの生活が私の幸せとは限らないんじゃないかなあ、なんて。私には私にしか出来ないことがあるから、それを貫くことが私には優先すべき事だとそう思ったわけ。でも、ママって呼ばれると嬉しいものね。私にも、母性があったんだ……」


  俺は、ロボットの事なんてよく知らない。それがプログラムでなんとかなるものなのかどうかもわからない。けど、少なくとも満嗣さんは元々人間だった訳だし、心も頭も人間なのだ。母性が無いはずがない。


「それを貫きながら、ママになるのは難しいんですかね。どっちの幸せも手に入れるのは、欲張りですか?  人は元々欲張りなものだし、2頭追うのもなんて諺もありますが、そんなの単なる諺な訳で。満嗣さんなら、十分にそれを手に入れられるって思うんですけど、どうでふか?」


  俺達の話が長引いてしまったせいか、ウサ子がメリーゴーランドの前で手を振る。丁度動きが止まり、現在の利用者が降り始めていた。


「あんたとなら、出来るのかな。でも、それでウサ子ちゃんが許してくれるなら……私は……」


  満嗣さんは、言葉を止めてしまった。ウサ子の元に歩み寄る。相変わらず、ママと言うよりキャリアウーマンと言った足取りなのだけれど。


  満嗣さんの、本当の心って。俺はもっと彼女の深いところを理解してあげたい、そう思った。目に見えるものじゃなくて、もっと深いところがあるような気がする。


  メリーゴーランド、コーヒーカップ、動物の歩行ロボット、観覧車。ウサ子がまだ小さいから、乗れるのはこの辺りだけだった。どれもレトロで時代遅れで、デートにはつまらない物ばかりだと思う。現代の遊具なら、バーチャル体験型遊具が殆どだから。けれど、この雰囲気が好きだという人も少なからずいるのだから、このローカルでレトロな遊園地はまだ残っているんだろう。


  ウサ子が乗りたい物を何度か乗って、あっという間に夕陽が射した。


   最後に、もう一度だけど観覧車に乗り込んだ。何度乗っても、ウサ子はどれも初めてみたいな反応をする。


「ウサ子、これで最後だよ。ウサ子が、1番好きなのはメリーゴーランドだったのかな」


  人が殆どいないせいで、乗りたい放題状態だったので、メリーゴーランドには本日5回は乗った気がする。


  けれど、ウサ子は首を傾げて即答はしなかった。


「んとねえ、んとねえ、かんらんちゃしゅきだよー」


「今乗ってるからだろ?」


  俺は笑った。


「ちがうよー! パパもママもいっちょだからだお!」


  そうだね、大人になるとちょっとした事、当たり前のことに気付かなくなるんだ。


   皆一緒に顔を合わせて乗れるのは、観覧車だけなんだ。


「ウサちゃんは、私がママでいいの?」


  ウサ子は、満嗣さんに抱きついた。 


「まーま、だいちゅき」


  満嗣さんの表情が、悲しそうに揺れた。


「お仕事ばっかで、ごめんね」


  けれど、ウサ子は強い子だ。


「おちごとしゅる、まーまもだいちゅき。パパいっちょだから、だいじょーぶ」


  ウサ子の方が、きっと俺よりずっと満嗣さんの事をわかってるのかもしれない。ウサ子が何故満嗣さんをママに選んだのか、それは何故ウサ子が俺をパパとして選んだのかに近い愚問なのかもしれない。


「満嗣さん、もう考えるのは止めましょう。満嗣さんが、ご迷惑じゃないのなら」


「迷惑な訳、ないじゃない」


  こんな美女と野獣みたいな夫婦もありかな。



  翌日、G地区への行くために満嗣さんの車に、俺もウサ子も乗り込んだ。


  昨日話を聞いた時とは変わって、満嗣さんの表情は少しばかり険しく見えた。満嗣さんも、俺と同様あまり気が進まないのかもしれない。


「ウサ子ちゃんは、私がちゃんと見てるから安心して」


  それは俺に言うより、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。


  車は窓ガラス越しに見慣れない風景を映しながら、どんどん進む。重苦しい車内の雰囲気が伝わるのか、ウサ子も大人しくぬいぐるみを抱きしめて座っていた。


   コンクリートの壁と有刺鉄線の薄汚れたレトロで重々しい壁が見えた。







  壁伝いにその先を行けば、鉄の扉の前で車を停めた。


  暫くして、その扉が開けられた。


「ここが研究所ですか?」


「そう、見た目は原始的だけど、刑務所よりセキュリティはキツいわ。最新の認識システムで、もう受付完了したみたいよ」


「すっげ」


「ここには、人間しかいないんでしたっけ」


「みたいよ。私も、正直来たの初めてだし。ここには人間の研究員しかいないし、安全性の問題なんじゃない」


「そういう事ですか」


  確かに、非力で脆い人間には、必要な事だろうと納得した。


  重々しいのは、外観だけだった。中の建物は真っ白の綺麗なビル。シンプルで無機質なデザインが、病院みたいだけど。


  満嗣さんは駐車場に車を停めると、俺達を先導して歩き始めた。不安がったウサ子が、俺にしがみつくので、俺はウサ子を抱いてそのあとに続いた。


 「お待ちしてました」


  迷うことなく歩いてきたのは、白衣の若い男。若いと言っても、30歳半ばくらいだから俺より上だと見える。


「この子が例の」


「事前に伝えてある通りよ。簡単な検査だって聞いてるわ。検査内容は全て私の了承を取って頂戴。それから、無理に実行しないで頂戴。それと……」


  男は、困ったように苦笑いをした。


「信頼されてないんですね、わかってますよ。ご安心ください」


「心配なだけよ」


  それを世間では信頼してないと言うのだが……俺は内心、そう思いながら男の顔を見た。目が合ったので、軽く会釈した。


「では、こちらにどうぞ」


  俺と満嗣さんは、それに従って続いた。


  案内されたのは、それなりの大きさのモニターがある休憩室のような部屋だ。広さは恐らく6畳くらい。真ん中にダイニングテーブルと椅子が用意されていて、そこの上にインスタントの飲み物とポットとお菓子が用意されていた。


「ここでお待ちください。お手洗いは、出て右の突き当りです。モニターで検査の様子が確認出来ます」


「休憩室?」


「雑務室ですかね。常に、目を話せない状況はありますから。チャンネルは、この子の検査室に合わせておきますので、他は見ないようにしてくださいね。極秘ですから。まあ、念の為リモコンはお渡ししませんけど」


「仮にも警察ですしね」


  男は笑った。


「そんな、捕まるようなヤバい事はしてませんよ」


  男は、ウサ子の頭を撫でた。


「えっと……ウサ子ちゃん、だっけ。じゃあ、パパはここで待っててくれるから、検査に行こうか」


  ウサ子は嫌そうに首を振ると、俺にしがみついた。


「ウサ子に、今の状況はわかりませんよ。俺が言い聞かせます」


  俺だって怖いさ。信用し切れない。けれど、必要な検査なのは確かだ。満嗣さんが攻撃的なのも、どこかこの異様な雰囲気を感じているからかもしれない。


「ウサ子、待ってるから。ウサ子に病気がないか、お兄さんが診てくれるんだよ。いつものお姉さんと違うし、いつもの場所と違うけど頑張ろうね。パパ見てるから、なんかあったらパパを呼んで」


  ウサ子は、少し間を置いて、こくりと頷いた。


  ウサ子が俺の手を離れ、男の手の中に収まった。なんだろう、これで最後かもしれない嫌な気持ちになった。


「では、また後程」


  男は何事にも動じない様子で、ウサ子を抱いて部屋を後にした。


「本当に、大丈夫ですかね」


  俺の口から、ぽつんと本音が零れた。 


  満嗣さんは、テーブルの上のお菓子を手に取るとそれを食べた。


「信じるしかないじゃない。なんかあったら、すぐ助けに飛び込むわ」


「そうですね、その為にここにいるのだし」


「まあ、最初はウサ子ちゃん以外は入館禁止みたいな事言ってたんだけど、あんまり私がうるさいからきっと、気を使ってくれたのね。まあ、その辺は信用出来るんじゃないかな」


  と、思いたい。


  暫くして、真っ暗だったモニターに電源が入った。真っ白な服に着替えさせられたウサ子の姿が映し出された。


  ずっと見ていたけど、心電図的なものやレントゲンみたいなものとか、そういう基本的な検査の姿か映っているだけだった。


  特に心配はしていなかったのだけれど、夕方くらいになってから、先程の男が険しい顔で部屋に来た。


「柏木さん、直ぐに検査をして頂けませんか?」


「は?」


  満嗣さん自身も意味がわからないと言った顔で、眉間にシワを寄せながら疑問符しか出せなかった。


  俺は俺で、黙ってその場にいるしか出来ない。


「何よ?」


「ウサ子ちゃんから、例の物質が見つかったのですが……これが少々厄介でして。後程詳しく御説明致しますので、大至急検査を」


「お、俺は……」


「人間には影響がありませんので、このままこちらでお待ちください」


「あの、ウサ子は?」


  俺の質問を無視して、男は満嗣さんを引っ張るようにして部屋を出て行ってしまった。


  俺は、とりあえず椅子に座った。衝動的に、気付かないうちに立ち上がっていたようで。


「なんなんだよ」


  本当に、何が起こってるんだ。


  全てが終わった頃は、日が変わろうとしていた。


  先程の男が現れ、ウサ子は返せないと言った。隔離だ。


  幸いと言っていいのだろうか、満嗣さんから例のウィルス?は発見されなかった。


「御説明致します」


  男は改まったように、話を始めた。


「近頃、騒ぎになっている奇病をご存知ですね。先日、柏木さんからボディのご提供を受けまして、あちらも併せて研究させて頂いておりました。極秘で研究チームを立ち上げ、この件についてはここの研究所の一部しか知り得ません。また、今回の事も一部しか知らせておりません」


「どういうことですか?」


  俺は、堪らず問うた。


「はい、ここの研究に篠山なるものがおりまして……こちらとしても、疑うところがあったのです。彼は太一、ですが誠太ではないかと」


「それで、彼の正体を暴くため、とか」


「品のない言い方にはなりますが、その通りです 」


  篠山太一さんは、篠山誠太さんだった。恐らく、そういう事なのだろう。幾らアホな俺でもなんとなく察しがつく。


「篠山誠太は、表向き救世主でした。しかし、裏の顔は違うと言うことを誠太である時から一部の人間は気付いていました。研究途中のナノマシーンを持って行方を眩ませた時、来るべき時が来た。という感じでした。そして、再び今度は太一と名乗って現れた。私は、わかって受け入れました。彼を止めなければならなかった、それが自分の使命だと思っていたから。やはり彼は、私の予想していた通り、道を誤って進んでいたのです。あの頃から……きっと、既に誤っていた」


「あの、貴方は?」


「申し遅れました。丹波(たんば)です。篠山の親友でした。親友だったから、わかるんですよ。彼だって」


「…………」


「私も人間、彼も人間。誤魔化す事なんて出来ませんよ。桜木さんになら、分かるでしょう」


  そうなのかな。俺の返事を待たずに、丹波さんは続けた。


「私は篠山が行方を眩ます前に、念の為ナノマシーンを少しだけ盗んでおいたんです。私には彼ほどの解析は出来ませんでしたが、それなりの事はわかりました。彼の開発したナノマシーンは、体内で独立したメカニックのように動き、力を出す。破壊することも修復する事も可能ですし、それは自らを作り出す、言うところの細胞分裂と同じ働きをするのです。彼があの小さいナノマシーンにどうプログラミングしたのか。恐らく電磁波か何かだとは思いますが、そこまではわからなかったのです。ですが、彼はそれを破壊するために使うことを選んだのです。機械は自立し、独立し、増えすぎた。人間が優位に立つ為の筈が、人間が地に落ちる結果となった。バベルの塔が破壊されるように、それは訪れた。修復する役目が必要なのだ。と、以前酔った勢いで零した言葉が本音この結果だったのです。修復すること、破壊することではなく、優れ、敬われる事でも彼なら実現できただろうに」


「それで、ウサ子は……?」







  怖い答えだった。


「ウサ子ちゃんそのものが、そのナノマシーンです」 


「篠山を逮捕するわよ」


「彼は誰より優れた研究者です。道を誤わなければ、英雄にすらなれる本物の天才だ。彼を、改心させて英雄にする事を、私は望みます」


「彼がそれを望むかどうかよ」


  「直ぐに、捕まえますか?  そして、報道しますか?」


「先ずは、話をしてみたいわ。逮捕は免れないけど、処分はそれからよ」


  暫くの沈黙の中、丹波さんは立ち上がった。


「篠山を呼んできます。彼は、この事を知りませんから」


「あの、ウサ子は……?」


「今のままでは、お返しする事が出来ません。ウサ子ちゃんをなんとか出来るのは、篠山だけです。私には、力がなく。申し訳ない」


  丹波さんの声に表情はなかった。きっとこの件はまだ、丹波さんと俺達しか知りえないのだろう。


  丹波さんは、部屋を出た。


「満嗣さん」


「予想外の展開ね、正直私も困ってるわ 」


「ウサ子を……」


「ウサちゃんを助けるのは、私も最優先だと思ってる。けど、あの子そのものがナノマシーンだなんて……」


  その先の言葉が見つからないのは、俺も同じだった。


  1時間くらい待ったと思う。


  部屋に篠山さんと丹波さんが現れた。


「あ!  桜木さんでは無いですか」


  篠山さんは、少し動揺したような素振りを見せたが、何食わぬ顔で会話を始めた。


「どうされたんです?  というより、よく私の勤め先がわかりましたね。話があると、丹波さんから言われて来たんですが、まさか貴方達でしたとは」


「篠山さん、お勤めご苦労様です。凄い人だったんですね」


  何を言っていいかわからず、天気がいいですね、みたいな事しか言えない俺。満嗣さんは、俺の前に手を翳した。少し黙っていなさい、の合図だと思った。


「篠山太一は、既に亡くなってるわ。篠山誠太、よく誤魔化しきれると思ったわね」


  満嗣さんの挑発にも似た発言に、篠山さんは動じなかった。


「けれど、事実騙されていたでしょう。今の今まで。やっと見つけてくれましたか」


「あんた、わざとやってたの?」


「ええ、勿論」


「何のために?」


「さあ?  かくれんぼみたいなもんですよ」


「あんた……舐めんじゃないわよ」


「舐めてなんかいませんよ、失敬ですね。ただね、私だって暫く隠れていたんですから、少し楽しみたかったんですよ


。ところで、ママのご気分はどうですか?  いいものでしょう」


  篠山さんは、にっこり笑った。


「こんな凄いものが作れるのに、なんでこんな酷いことに使うんですか……篠山さんは、本当は悪い人じゃないって、俺は今でも信じています」


「どこまでもお人好しですね。私は、桜木さんのそういうとこ、大好きですよ。時々、うざくはなりますけど。でも、好きですね。人間らしくて。信じるのは勝手ですが、私は自分の目的を達成しようとしているだけです。どうぞ、逮捕してください。私は構いませんよ。かくれんぼは終わったのですから、次は私が鬼になりましょう。本当の鬼にね」


  本当の鬼、とは。嫌な予感がした。俺は、俺に出来ることをした。必殺、土下座だ。


「ウサ子を、助けてください」


「そんなにあの人形の事を想ってくれるんですね。私の研究が、成功したとの結果で、本当に嬉しいです」


  俺はイラッとしたが、床に付いている手をぎゅっと握って我慢した。そうでもしないと、篠山さん殴ってしまいそうだった。


  バシイイイイイン!!


  俺の頭上で、激しい音がした。


  見上げると、険しい顔の満嗣さんと頬の赤く腫れた篠山さんが向かい合って立っていた。


「あんた達には、単なるプログラム、人工知能かもしれないけど、それを人間では生命って呼ぶんじゃないの。ロボットを怨むのは勝手な個人の感情でしょ。それに救われた者だっている。それは、人間同士だって同じ事のはずよ。あんたみたいな力のある人間が、その感情を剥き出しにしてどうするの」


「貴女は、私に何が言いたいのですか?」


  満嗣さんの代りに、今まで黙って見ていた丹波さんが答えた。


「篠山。改心してくれ……頼むから。お前なら英雄になる事で、敬われる事で、復讐出来るだろう」


「それでは、済まされないんだよ。俺の持つ感情は」


「哀しいのね」


「哀しいさ、だがそれを乗り越えた」


  これが、本当に乗り越えたと言えるのだろうか。


「お願いです、ウサ子を助けてください。篠山さんがウサ子の、本当の親だって知ったから俺はこうしてお願いしてるんです。俺の出来ることなら、なんでもしますから。どうか」


「桜木さん、面白い人ですね。ですが、貴方に出来ることなんて何もありませんよ。残念ですけど」


「篠山、ナノマシーンにプログラミングする方法を教えては貰えないだろうか。それで、俺が今回の事件を事故でまとめる。それで罪が軽くなれば、その先の事は俺が引き継ぐ。お前がロボットを助けたくないのなら、それでいい。この部署のリーダーとして、俺が償う。けれど、この研究自体はお前のものだから、結果はお前が償ったのと同じことだから」


「綺麗事は、やめてくれます?  俺がいつ償う、償いたい、後悔していると泣き言言ったんだ?  丹波、お前はいつもそうだよ。昔から、ちっとも変わっていない。それが正義感だというなら、何の価値にも得にもならないから考え直した方がいいと思うよ」


「あんた、目的も達成出来ずに死罪になるわよ」


  篠山さんは、笑った。


「俺の目的が世界征服だとでも思ってる?  そうだね、そんな中二病な考えもあるわな。けど、本気でそう思ってる訳がないだろ。俺はお前達ほど甘くないんだ。俺がやったと発表したらいい。寧ろ、そうしてくれた方が好都合なんだ。事故でも構わない。人間は怖いんだ。機械達は恐れる、暴走する。そしたら、俺の研究がこれまで以上に大いに役に立つだろう。大義名分とは、よく言ったものだ」


  本当に、もうどうしようもないんだろうか。


  パパ、パパと呼ぶウサ子の顔がうかんだ。


  昨日まで、平和だったのに。


「どうか、ウサ子を助けてください」


  俺には、これしか言えなかった。


  しかし、悪は栄えないともよく言ったもので。


  突如、数名の警察官が篠山さんの後ろの扉から現れ、彼を逮捕してしまった。


  呆然とする俺の前に、あの川田さんが満嗣さんの前につかつかと現れ、敬礼した。


「お疲れ様です」


「ご苦労、よくやってくれたわね」


「柏木警部の作戦があったからこそですよ!」


「あんた達が頑張ってくれた結果よ。私は、手助けしたにすぎないわ」


  俺には状況が飲み込めない。


  篠山さんが連行された後、奥から白髪の老人が現れた。


「ウサ子ちゃん、でしたね。あの子は、こちらでプログラミングの改正が完了次第送り届けますので、ご安心ください。詳しくは、柏木警部の方からお聞きください」


  俺は何も言えず、満嗣さんを見上げた。


「ごめんね、驚かせてさ。でも、もう大丈夫だから」


  訳がわからないけど、満嗣さんの大丈夫に救われて、俺の全身から力が抜けた。


「また、腰抜かしてるんじゃないでしよーね」


「情けない男。こんな奴やめて、自分と付き合ってくださいよ」


「うるさいわね。あんたは私の最高の後輩でしょーが!」


  川田さんは不満そうながらに、てれていた。


  外に出ると、パトカーが数台待機し、施設を出ていくところだった。その1台のパトカーの中に、篠山さんの後ろ姿が見えた。


「さあ、私達も帰りましょ。もう、夜が開けてもおかしくないわよ」


  夜明けまでには、まだ時間があるのは確かだった。それでも、凄く凄く長い1日がようやく終わったと実感するには十分な時刻だった。


「疲れたね。説明しながら帰ろうか」


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