第32話 俺も死ぬ

 考えてもみたら、ディナーの時にシャンパンを飲んでいた。


 酔いが回ったせいで少しぼんやりしながら、会計を済ませて外に出た。


 俺が飲んだのは、モスコミュール1杯。満嗣さんは、ジントニックとムーンライトを飲んでいた。俺に遠慮したのか、その2杯だけだ。


「俺に気を遣わなくてもよかったんですよ。もっと、飲んで貰っても」


「そういうつもりじゃないわよ。どんなに飲んでも酔わないもの、楽しめたらそれでいいの」


 たわいもない雑談をして、気付けば日が変わりそうだった。


 俺は、途中まででも彼女を送ろうと一緒に歩きだした。満嗣さんは部下に送って貰ったらしい。帰りはタクシーだと言っていた。タクシーが拾える場所まで、歩くことにした。


 外の空気は、少しひんやり感じた。人工なんだろうけど、都会で不自然に光る星は相変わらずだった。


 タクシーを拾うために歩いた路地を抜けて、再び路地に入ると小さな公園があって、その先を抜けると大通りに出る。大通りは眠らない都会を象徴するかのように、ネオンと人と自動車が昼間と変わらず行き交っている。


 夜を意識させるのは、あの公園を過ぎた路地くらいまでだろう。


 まだ勇気を出せない俺は、公園でふと足を止めた。


「あの、最後にコーヒーでも飲みませんか? 俺買ってくるんで、公園ででも」


 満嗣さんは頷くと、無言のまま公園に足を向けた。


 俺が急いで自販機で缶コーヒーを買って戻ると、すっかり寂しくなった公園のベンチに座る満嗣さんが居た。

 俺が缶コーヒーを差し出すと、彼女はそれを受け取ってくれた。


 満嗣さんが礼を言ってくれる前に、俺は告げた。


「好きです」


 と。他に色々考えたけど、シンプルにその4文字しか言えなかった。


 満嗣さんは、無言で立ち上がって俺を見た。


「あんたは、私の何を好きになったの? 見た目? スタイル? それとも、役職?」


 俺はシンプルに答えた。というか、唇がガクガク震えて、細かい事が言えなかった。


「満嗣さんという人が好きです」


 彼女は、このまま俺の前から居なくなるだろう。背中を見送るのも辛いが、満嗣さんの顔がどうしても見れなかった。彼女のヒールの足音が、近付く。頬に、そっと手が添えられたので俺は歯を食いしばった。


 けれど、その次の感覚は頬に受ける痛みでも耳に響く怒声でもなく、唇に触れた柔らかい感触と甘い声だった。


「霞にも、ちゃんと彼女出来たじゃない」


 全身が燃えるように熱くなり、頭がくらくらする。気付いたら、俺はその場にへたり込んでいた。直ぐに立とうとしたけど、全身の力が抜けて、動けなかった。


「どうしたの?」


「こ、腰が抜けて……」


「やだ」


 まさか、こんな展開になるなんて思ってなかったせーだ。


 ずるい。


 けど、幸せなずるさ。


 俺、満嗣さんのファンに知られたら殺されるだろうな。まあ、いいか。それなら。


「なんで?」


 信じられなくて、俺はつい質問してしまった。


「撤回しようか?」


「いえ、このままで! お願いします」


 満嗣さんが、いつもの笑みを浮かべた直後だった。


 なんと表現していいのか。


 強制的に電源が切られたように、一瞬にして彼女の身体が地面に崩れた。


 俺は全身から血の気の引く音を聞いたように思った。


 急いで彼女の身体を起こすと、彼女はまるで人形のようだった。息も音もないのだ。ただ、ピンクの目だけが無機質に真っ黒な空を見据えていた。


 俺は震える手で携帯を取り出し、何度か落としながら救急車を呼んだ。


 満嗣さんは、人間で言う死亡の状態だった。


 ただ、満嗣さんは人間ではないので、急遽応急処置と修復作業に取りかかるという。


 ロボット病院で、俺はそれを待つことにした。病院に着いてから、篠山さんに連絡を入れた。暫く、帰れそうにないのでウサ子をお願いします、と。


 ああ、神様は、なんて残酷で意地悪なんだ。


 そう思うと、何に祈ったらいいのかがわからない。



*****



 朝方、医者が俺の前に現れた。


「ご関係は?」


「こ、恋人です」


 で、いいよね?


 医者は淡々と告げた。


「ボディは90%破損しておりまして、修復は不可能です。幸い、保証期間中のようですので、状況的にも交換もしくは修理して頂けるでしょう。代わりのボディが届き次第、脳を移し変えます。幸いだったのが、脳が人間だったことですね。もし、完全なロボットでしたら、お亡くなりでした」


「じゃあ、大丈夫と」


「一応」


「原因は?」


「不明です。ただ、なんらかの原因で一瞬にして細胞の役目をなすナノマシーンがショートしたとしかいいようがなく。ボディ自体の不良かもしれませんが、あのボディは非常に高価なものですから、それも考えにくいとは思うのですが……我々もあまり診た事のないタイプですので」


「……大丈夫なら、いいです」


 医者は、一礼してから治療室へと戻っていった。


 入れ替わるように、ナースが現れた。


「えっと、ご家族の方? ですか?」


「恋人です」


 で、いいよね??


「柏木さんのボディですが、交換してもらえるみたいですよ。在庫があるそうで、今日の昼過ぎには届けてもらえるみたいです」


「あ、ありがとうございます」


 なんだか、電化製品みたいな物言いがイヤだ。


 けど、これが現実で……仕方がないのはわかっているから、俺はぐっと堪えた。


「今、彼女はどうしていますか?」


「今は、脳だけ保護しています。原因が分からないので、あのボディに入れておくのは危険ですし。脳としては眠っていますから、夜にでも迎えに来てあげてください」


 脳だけって、どんな気分なのかな。


 そうですか、と手放しでは喜べなかった。


「近くに、いたいんですけどいいでしょうか?」


「いいですけど、柏木さんにはわかりませんよ? あなただって、柏木さんとはわからないと思いますよ」


 俺は、いらっとした。


「わかるとか、わからないんじゃなくて、近くにいていたいんです!」


 少し強い言い方になってしまったとハッとして、すみませんと頭を下げた。


「人間って、不可解ですね。別にいいですけど」


 ナースは不快な表情で、俺を満嗣さんの部屋へと案内した。


 満嗣さんの病室というより、ただ機械の繋がれたカプセルに脳味噌がプカプカ浮かんでいる物がずらりと並べられた研究室のような部屋だった。


 その中の一つを、ナースが指した。物のように。


「あれです。では、機械にはくれぐれも触らないでくださいね」


 怒るのもバカらしくなった。こういう扱いは慣れているから。


 俺はナースを一礼して見送ると、満嗣さんの前に座り込んだ。


 脳味噌が何か反応をしてくれる訳じゃないけど。


「満嗣さん、次は何が食べたいですか? 今度、家に遊びに行ってもいいですか? 俺、満嗣さんの恋人って言っちゃいましたよ。怒らないでくださいね。あと、戻って忘れたとか知らないとか無しですよ。ドッキリだったとかいわれたら、俺まじ死にますからね。で、呪いますからね。そういえば、なんとなく思い出したんですけど、俺満嗣さんが持ってたマフラーとよく似たやつ昔持ってたんですよ。なくしちゃったんですけど、今も持ってたらお揃いでしたね。今度探しときます」


 聞こえていないのはわかっている。無駄な事もわかってる。きっと、病院中で頭がおかしい人間だと思われているだろう。この状態の満嗣さんを、心配だとか大変だとか思うロボットが居ないことはわかっている。ボディ交換と変わらない作業だと聞いているから、ロボットからしたら着替えと変わらないなんてことない作業なのだろう。それでも、俺は安心できないのだ。


 側にいることしか、今の俺にはできない。



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