第30話 たいせつなもの、たいせつなこと
案の定、満嗣さんとの食事の時間は、あっと言う間に終わってしまった。
美味しいと言ってくれたデザートのババロアも、食後のコーヒーも俺には味気ないものだった。
ただ、苦しい、切ない気持ちだけが胸を締め付けるよう。時間だけが流れていくように思えた。楽しくありたいのに、どうしてもあれなくて。最後なのに……きっと、多分最後なのに、俺は本当に罰当たりだ。
*****
あいつの名前、なんて呼んでいいんだろうか。などと、ぼんやり考えた。玄関のチャイムの前で、ふと指を止めて、あいつとかあんたとかカモノハシだとかそんな呼び方しかしてなかったことに気付く。
桜木? 霞? なんかそれもなあ。
やっぱり、あいつはあいつで、あんただ。あいつは、カモノハシに似てる。いわゆる、癒し系ってやつかな。最初は間抜けって意味だったけど、今ではすっかり私の癒し系。
どうでもいい事を一通り考えたら、よしっと気持ちを決めてチャイムのボタンを押した。
暫くして、足音と共に無防備に扉が開けられた。
おいおい、そんなに無防備に開けたら危ないわよ。と呆れたけれど、扉の向こうの間の抜けた表情に思わず笑ってしまった。
どうやら、私を宅配便と間違えたようだ。
「思っていたより、早かったので」
そんなに早かったかなあ、とも思ったけれど、ここ数日泊まり仕事だったので、時間の感覚がずれてしまってたようだ。
事故で人間だった時の記憶が殆どないものの、その感覚だけは脳がきっちり覚えているようで、時々身体と脳が混乱するかのような違和感を覚えるのは未だになくならない。人間からロボットになった人間にはよくあることで、それが不便だと言う人も居るようだが、私は自分が人間だったと思い出せる大事な名残だと思っている。
お腹が空くという感覚はない。
食べなくても生きてはいける。
食べることが趣味になった今となっては、いつ食べるかという楽しみは失ったも同然なのだが。
疲れすらない私の身体。
けれども、あいつに私は疲れたと嘘を吐いた。
疲れたってなんだったっけ。きっと、今みたいな事を言うんだと思ってる。
人として、私が落ち着ける瞬間が欲しいとき。
そんな時にいつも巻く、古いマフラーと同じにおいを感じた。
私の大事なマフラーと、あいつも、私にとっては同じ感情を与えてくれる貴重な存在なのかもしれない。
あいつの作ったカレーは、とても美味しかった。優しい味がした。暖かい味がした。一生懸命作ってくれたんだろうな、と思ってふと見上げると、向かい合わせに座ったテーブルの向こうで、不安そうにあいつが見ていた。
カレーの感想を月並みな言葉で伝えると、あいつは照れたのか不自然にカレーを食べ始めた。
それを見たウサちゃんも、真似してカレーを一気に食べようとしていた。
ふと、このちっちゃなレディが羨ましく思えて、思わずいいなあなんて眺めてしまった。
そしたら、それに気付いたあいつが、心ってやつについて語りだした。
それが、悔しいくらい素敵だなと。やっぱり、月並みな言葉しか言えない自分が悔しいのだけど。
その後、デザートを頂いたのだけれど、それもすっごく美味しくて。
料理の美味しさもだけど、それ以上に一生懸命作ってくれたことが嬉しい。
プログラムは、毒にも薬にもなると思う。
あいつが言うように、心にもなれば、悪にでも善にでも変わるし、当たり前や特別の区別でさえ簡単だ。
私が警察になって、市民のために尽くす事は、当たり前だから感謝されない。プログラムでそうなっているし、警察になるロボットの大半の理由も正義感や理想のためだったりする。それすら、誰かのプログラムかもしれないし、何かで学習されたプログラムの影響なのかもしれない。
だから、私自信も感謝されるとは思ってもいなければ、期待だってしていない。
故に、私も仕事としてこなすだけ。ただ、淡々と。それが、当たり前になっていたのに。
「満嗣さんには、本当に感謝してるんです」
なんて言う。感謝される喜びを、あいつは教えてくれた。
「私は、感謝されることなんてしてないよ。それが、仕事だからさ」
と言うと、あいつは決まって必ず悲しそうな目をするのだ。
「満嗣さんには仕事でも、俺は感謝してますから。勝手に感謝させてもらってます。満嗣さんは、気にしないで」
私の胸は、ちくちくと痛む。
食事は食べ終わったが、私が早く来すぎたので、時間はまだまだ早かった。
帰るのも寂しいなと思っていたら、あいつがコーヒーを淹れてくれた。
「あの、こんな狭苦しい生活感丸出しの落ち着かないところですけど、もしよかったらゆっくりしていってください。出来る限りのおもてなしは、しますので」
私は、笑ってしまった。
「なあに、ホテルみたいなんだけど」
「こんな、汚いホテルありますか。相当、お疲れの中来て頂いたんで少しくらい、ゆっくりしてもらえたらいいなって思ったんですよ」
「ありがとね。もう、ゆっくりしてるよ。寝ちゃいそうなくらいね」
ロボットでも、うとうとした気分になるときくらいある。ここは、落ち着く。あいつの隣は、妙に落ち着くのだ。
あいつが、ふと何か言い掛けたときに、インターホンが鳴った。
誰よ。
*****
食事を終えると満嗣さんを、一旦ソファに誘導した。小さいけど、ソファの方がゆっくりできると思うし、このまま帰ってもらうには名残惜し過ぎるのが正直なところである。
それを誤魔化すフリをしながら、コーヒーを淹れてわざと引き延ばそうとした。
我ながら、せこいとは思う。
せこいついでに情けないのが俺らしく、ソファに誘導したものの上手く話題すら掴めずで、何度も口にした台詞しか出せなかった。
満嗣さんに、感謝している事を伝えると、いつもクールにかわされてしまう。今日もそうだった。けれど、いつもとは少しだけ違って、ちょっとだけ照れたように笑ってくれた。
「私こそ、感謝しなきゃね。ただ、仕事してただけで、それが当たり前だって思ってたから。なんか、照れちゃうな。どうして良いんだろ、私」
好きだって伝えたら、なんて言われるんだろうか。
きっと、冷たい目で俺を見ながら身の程知らずと答えるんだろうか。
それとも、笑って流されて、帰るねって永遠にさよならされるんだろうか。
それとも、はっきりごめんなさい。が聞こえるんだろうか。
いずれにせよ、もう決めたことだ。
このどれかが返って来ることは予想が出来るのだから、今のうちに覚悟はしておこう。というか、十分覚悟してきたはずだ。弱気になっていても仕方がない。
俺は、大きく深呼吸した。
満嗣さんの名前を呼ぶと、彼女は俺の方を見た。最後かもしれない、自然な表情。
そして、言おうとしたところで、インターホンが鳴った。
「誰かしら? 宅配便?」
俺より先に、満嗣さんが玄関の方を見ながら呟いた。
「あ、そうかも」
何か届く予定はないのだけど、あるとしたら実家からの何かだろうか。
にしても、このタイミングで来なくてもいいのに。
無意識に溜め息が落ちる。
「すみません、ちょっと見てきますね」
「うん、気にしないで」
俺が玄関のドアを開けると、その向こうに立っていたのは篠山さんだった。
「あ、すみません。お邪魔……でしたよね」
篠山さんは、苦笑いを見せた。
邪魔でしたよ!
思いっきり、邪魔してましたよ!
とは言えず、俺は外に出て満嗣さんに聞こえないよう玄関の扉を閉めた。
「今、丁度来てて……これから決めようと思ってたんですよ。どうされたんですか?」
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