4日目 海の見える町へ


 朝から雨。でも、折りたたみ傘を常備していたので問題なし。

 同じホテルを二泊したので、今回も朝はバイキング。トマトスムージーも飲めた。おいしかった……。


 さて、戻ってからテレビをつけると、『王様のブランチ』がやっている。今の沖縄では放送していない番組だが、昔放送していた時は、出版物を紹介するコーナーがやっていたので、たまに見ていた。

 荷物をまとめながら、今日もやるかなぁと思っていたら、背筋さんが登場して驚く。当時の新刊『穢れた聖地巡礼について』のPRとインタビューを受けていた。テレビに出るのが初らしい。「髪の毛の色が、明るい!」が第一印象だった。


 そんなこんな、部屋の片づけをして、ホテルの部屋に置かれていた近くの牛タン屋さんの割引券、これを使えるお店でお昼にしようと思う。しかし、チェックアウトの後に、そのチラシを部屋に置きっぱなしになっていたのだと気付く。取りに戻ってもいいですかとフロントに言おうかと思ったが、流石に図々しかと諦める。

 それから仙台駅に。ここで仙台を出る。と言っても、向かうのは空港線の先の美田園駅。だが、電車の乗り方が全く分からなくて、近くの女性の駅員さんに尋ねたくらい。初歩中の初歩の質問だったと思うのだが、モノレールしかない島からやってきたのだから、勘弁してもらいたい……。


 はい。ここで急に出てきた「美田園駅」。実のところ、伊坂さんともジョジョとも無関係の場所だ。ただ、この美田園駅がある名取氏は、東日本大震災で甚大な被害を受けた地域である。

 宮城に行くのなら、そういうところにも触れておこうと、旅行プランに組み込んでいた。電車で揺られていくうちに、段々と緑の多い地域に入っていく。途中、金色の稲穂が揺れる田んぼが見えて、そういう光景を初めて見たため、非常に感動した。


 さて、美田園駅のすぐ前のホテルへ。チャックインの時間ではないので、荷物を預けて、フロントのソファーで少し休んでから出発。まだ昼食は食べていないが、牛タンの加工所と販売所があるのを見つけたので、そこへ向かった。

 とはいっても、歩いて行ける距離ではない。じゃあ、とちゅでタクシーを拾おう、と思ったのだが、歩けどあるけど、タクシーが来ない。これはどういうことだと焦りながら、通り過ぎたコンビニに戻って、タクシー会社の電話を調べてから呼んだ。雨が降っていたとはいえ、暑かったので、めちゃくちゃ汗だくになる。


 タクシーの運転手さんに、ここに行きたいんですと説明すると、知っている場所のようなので、そのまま向かう。到着後、お金を払おうとしたところで、運転手さんが気付く。「ここ、閉まっていない?」と。

 どうやら、私が行きたかったお店はこの年に移転したばかりで、運転手さんが送ってくれたのは、その移転前のお店だったようだ。いやー、教えてくれる優しい運転手さんで良かったと思いながら、移転後のお店に到着。……後日、この話を母にして、「道間違えた分、余計な代金を支払っているじゃない」と言われてしまった。


 とまあ、色々あったが牛タン加工場に到着。外にはバーベキュー用の広場もあって、そこの屋根付きのところで牛タン弁当を食べる。雨もまだ降っていたが、濡れはしなかった。それから、家への牛タンのお土産も買って、冷凍で送るように手配する。

 食後はまた歩いて、閖上という地区の資料館「閖上の記憶」へ。その目の前には港があり、海があった。今は雨も降っていて、灰色になった海に、ギリギリまで近づいて、この海が、色々のみ込んでいったんだなぁとぼんやり考える。


 閖上の記憶は、当時の被災者の方々が、実際に当時のことを語ってくれる場所になっている。それから、町の歴史や津波被害などを紹介するビデオも上映していた。津波が何もかもを押し流していく瞬間を、ほど近い屋根の上から移した映像は、非常に来るものがあり、涙が出てきた。

 被災者の方々ともお話する。名取市にある仙台空港を撮った航空写真を、東日本大震災の前後で見ると、空港の周りが本当に何にもなくなってしまったことが一目で分かる。仙台空港が国際空港で規模が大きかったため、もしもの時の備えがちゃんとしていたから、空港から出られない人たちも寝泊まりできたらしい。


 そこにいたおじいさんに、次は名取市震災復興伝承館に行く予定なんですと話すと、車で送ってもらうことになった。途中、津波が到達した位置と同じ大きさで建てられた慰霊碑を見る。小高い丘の上に立っていて、こんなのが来たのかとまた恐ろしくなる。

 伝承館は、子供たちが作ったジオラマを中心に、震災から復興までの年表、個人個人の被災時の記録をまとめた本などが置かれていた。閖上というのも、大きな水路に因んで、伊達政宗がつけてくれた地名だと知る。しかし、三陸沖地震の伝承はあっても、「閖上には津波は来ない」というねじ曲がった言い伝えのせいで、地震の後も逃げる人が少なく、被害者は宮城の中でも屈指の人数になってしまったらしい。


 私を送ってくれたおじいさんは、家は流されてしまったものの、ご自身とご家族は無事だったらしい。だが、避難所の周囲の人たちは、自分の家族が亡くなった、あるいは行方不明という状況で、その人たちにどう声を掛ければいいのか、を思い悩んだという。

 そのおじいさんに、ホテルまでも送ってもらいながら、景色について話す。田んぼの稲穂が綺麗だった、私の地元では、イグサの田んぼはあるけれど、ああいうのは初めて見たと話すと、ここら辺は津波の後の塩害の影響で、作物が育つまで土を埋め立てたりするのも一苦労だったらしい。何気なく見える景色にも、復興までの道のりが見えて、その重みを感じる。


 ホテルに戻る。自分の部屋に荷物を置いて、ラウンジで『マリアビートル』の続きを読む。……まったく話題に出していなかったが、読み進めていたのだ。ラウンジで紅茶を飲みながら、『マリアビートル』を読み終える。

 一回、部屋に戻り、持ってきていた『ジョジョリオン』の二十六巻を読む。こちら、最終巻の一巻前。仙台で読みたい! とは思っていたけれど、このタイミングになってしまった。


 夕食。近くに居酒屋とかあるけれど、一番近いコンビニに寄って、オムライスとおつまみのソラマメを買う。ホテルのラウンジに戻って、オムライスをもそもそ食べる。宮城での最後の晩餐なのだが、あまり関係ない。

 それから、お酒も無料サービスであったので、おつまみと一緒に、それをいただく。柚子の焼酎割を作って、自分の部屋で、YouTubeの令和ロマンチャンネルを見ながら飲み食いする。


 そんなこんなで、仙台で過ごす最後の夜は過ぎていった。
























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