第11話 ミートパイとコンポート




 昼になる頃には、二日酔いから回復し歩けるようになった。まだ胃の不快感は残るが我慢できる範囲だ。


 俺はアンを連れて市に向かっていた。アンに飯を奢ると言って、連れ出したのだ。これで今回のことは貸し借り無しだ。先ほど、そう言うと、アンは優しげに瞳を瞬かせた。


 今日は驚くほど快晴で、とても気持ちいい。散歩日和というやつだ。進む足音も軽快に聞こえる。


 隣を歩くアンを盗み見ると、今すぐにでもスキップをしだすのではないかという浮かれた顔をしていた。俺と出掛けられて嬉しいらしい。


 ……全く調子狂うなぁ。


 どんなにひどい態度を取っても、どんなにつれない返答をしてもこいつは俺を見限らない。それどころか俺に対する愛情は、日に日に増していってるように思う。

 高い宝石や色とりどりの花束を送られるより、一緒に出掛けたり、手を繋ぐことが何より嬉しいと、アンは言う。あいつの願いはいつだって素朴でささやかだ。それが何より、俺の心を苛むとこいつは知らないだろう。……知らないままでいて欲しい、と思う。


 俺の視線に気付いたアンは、はにかむように笑った。

 


 ***



 市に続く大通りを歩いていると、赤みがかった金髪の男がこちらに向かって歩いてくることに気が付いた。ジャックだ。

 俺はずんずんと足を早めて、迎え撃つ。アンは慌てて後に続いた。


腐れ落ちろクソ野郎こんにちは


「おい、今日会って初めての言葉がそれかよ」


 ジャックは嘆息を漏らした。そのピンピンした姿にいらっとする。こちとら、ひどい二日酔いにみまわれたのに、この野郎。


「……俺なりの挨拶だ」


「シロー、お前の中の挨拶ってどうなってるんだ」


 ふんと、顔を背ける。

 くいくい、控えめに腕を引っ張られる。視線を下に向けると、アンが悪戯をした我が子を咎める母親のような目付きで俺を見ていた。目の前に人差し指を立てられた。


「めっ。口が悪いぞ、シェロ」


「うるさい。後、めっとか言うな。ガキじゃねぇんだから」


 ずびし。


 アンの頭に手刀を入れる。あぅ、と小さい呻き声が聞こえた。アンは恨めしそうに頭を押さえて、上目遣い。

 

「こ、こら! お前、姫様に何てことをっ!?」


 ジャックはさーっと青い顔になった。止めようとするジャックを制したのは、アンだった。緩やかに首を振って、言葉を紡ぐ。


「いや、良いのだ。これはシェロの愛情表現だから」


「何が愛情表現かっ!」


 ずびし、ずびし。


 あぅあぅ。


 こいつ良い音がなるな。少し楽しくなってきた。ご褒美にグリグリと頭を撫でる。


「……んっ、しぇろ」


 鼻にかかった甘える声。うっとりと恍惚の表情。アンは先ほどまでチョップを入れられていたことをすっかり忘れているようだった。やだ、こいつチョロくない? 悪い男に騙されそう。何だかとても心配になってくる。


 そんな俺たちのやり取りを見て、ジャックは何とも形容しがたい表情でなるほどと頷いた。


「……ただの痴話喧嘩だったか」


 痴話喧嘩じゃない。

 適当なことを言うな。このどこを見てそう言うんだ。お前の目は節穴か。そんな思いを込めて、睨み付ける。


 ジャックは両手を上げて降参のポーズ。


「へぇへぇ、悪うございました。もう、お腹一杯だこんちくしょう。見せつけやがって」


「意味わからんことを抜かすな」


「自覚ないのも考えてものだな」


 やれやれと、ジャックは腕を振って苦笑いをひとつ。それから、アンに向かって深く頭を下げる。


「これ以上、お二方の逢い引きを邪魔してはいけませんので、私はこれで失礼します。では、良い一日を」


「うむ。気遣い感謝する。其方も良い一日を」


 仰々しく頷いたアンは、さりげなく、しかし大胆に俺と腕を組んだ。ジャックは颯爽と去っていく。俺は憮然とその後ろ姿を見送った。


「あいつ勘違いしてやがる」


「……何をだ?」


「ただ飯を食いに行くだけなのに、逢い引きとかおかしいだろ」


「ん? いや、年若い男女二人で共に出掛けて食事をすることを一般的に、逢い引きと言うのだと思うが」


 なんと言うことだ。

 俺は戸惑いを隠せない。生まれたての小鹿のように、ぷるぷると震えながらひとつ提案をしてみる。


「……飯食いに行くの」


「止めないぞ」


 全て言わせて貰えなかった。


 ーーああ、無情。


「ほら、もう行こう。お腹が寂しく泣きそうだ」


「……おう」


 組んだ腕を引っ張るようにアンは歩き出した。

 俺は短く返事をした。時には諦めも肝心だ。

 そう、男は潔くあるべきなのだ。


「シェロ、ミートパイを食べよう」


「……分かった」


「ふふっ、楽しみだな」


 ぎゅっと、アンは組む腕を寄せた。


 それを払うでもなく、俺は歩みを進める。それよりも重要なのは、俺の好物を一番に選ぶアンだ。俺が奢るって言っているのに、自分の好物ではなく俺の好物を食べたいなんて。

 くそ、なんだか負けた気分になる。やられっぱなしは性に合わない。


「……リンゴのコンポートも探すか」


「うんっ!」


 アンは、幼い子どものように元気よく頷いた。無意味に幸せそうだった。それが眩しくて、俺は思わず目を細めた。




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