第7話 無花果と膝枕
「シェロ様、さぁシードルをご用意致しました」
「おう、ありがと」
「こちらも一緒に召し上がり下さい」
ジャネットはそう言って、陶磁の皿に乗った干した無花果を差し出した。これは俺の好物で、いつもこれを常備してくれている。本当にできるメイドさんである。後でご褒美に胸を揉んでやろう。
豪華絢爛な客間の見るからに高そうなソファー、それに背中を預け受けとる。アンはそんな俺に寄り添うように座り、じっとこちらを見詰めてくる。
そんなアンを尻目に、俺はシードルを口に含んだ。
林檎の爽やかな香りが鼻を抜けていく。ここでは水が綺麗なものと言えないため、よほど貧しくない限りエールやワインを日常的に飲む。大人も子どもも関係なく、である。呑兵衛には嬉しい世界だ。
無花果を噛み込んで、思わず笑みが漏れる。うん、美味しい。
「……シェロは本当に無花果が好きだな」
アンは子どもを見守る母親のように笑った。
「少なくともお前よりは好きだな」
「むっ、またそんな意地悪言う……」
アンは眉をひそめる。
「うっせ、あと近いもっと離れろ」
「断る」
食い気味に言われた。
いっそ清々しいほどの速さだった。
俺は呆れてため息をひとつ。
「そう邪険にしないでくれ。私は貴公と一緒にいたいのだ」
「……ほんと、物好きな奴」
上目遣いで懇願してくるアンにそれ以上言えず、素っ気ない返事をする。
「そうだ。私は物好きな女だ。だからこそ、貴公と一緒になれる女は私しかいない」
「そんなことねぇよ」
「そんなことある」
またある、ないの応酬が始まる。
お互い一歩も譲らない。
ああ、ほんと足並みが揃わないな俺たち。
俺はふらふら千鳥足、アンはしっかり大地を足で踏みしめて。速さも歩き方も全く違うのに、それでも一緒に歩こうと、お前はいつだって真っ直ぐ言うんだ。
たが、俺にはそれが眩しくて、眩しすぎて転けそうになる。
……でも不思議と不快じゃないんだよなぁ。
それがなんとなく悔しかった。
「あー、止めだ止め! もう疲れた」
「シェロ……」
しゅんと、アンは肩を落とした。
俺が断固としてアンを受け入れないことに、しょげた顔。
俺はなぜだかこの顔に弱い。ガシガシと頭を掻く。
「おい、アン。疲れたから膝を貸せ」
「えっ? ……ああ、勿論だとも!」
俺の言葉を呑み込むまで、アンはフリーズした。それから言葉の意味を理解すると、頬を上気させて顔を輝かせた。すぐさま、ぽんぽんと、膝を叩く。
その変わり身の速さに苦笑する。現金なやつ。
頭をアンの膝に乗せる。
驚くほど柔らかい感触が、頭を受け止めた。まぁまぁ、悪くない。騎士として毎日のように鍛練し、身体は引き締まっているのにどうしてこんなに柔らかいんだ。ほんと女って分からない。どうやって出来てるんだ。
ふふっ、と嬉しくて堪らないといった笑い声が耳に届く。頭を優しく撫でられる。
「どうだ。心地は悪くないか」
「ん、まぁまぁだな」
「そうか。なら、とても良いということか。嬉しいよ」
「……そんなことは少しも言ってないだろ」
「シェロのまぁまぁは、昔から気に入ったときに口から出て来るんだ」
ぐうの音も出ない。なんせその通りだったからだ。
こいつ俺のことどんだけ見てるんだよ。俺のいったいなんなんだ。……あっ、一応許嫁だった。認めてないけど。
「違うからな。勘違いするなよ」
「はいはい、分かっているよ」
受け流された。
アンの癖に生意気だ!
俺はむぅむぅと唸った。それから、ぺちりぺちりと太股を叩く。
「ふふっ、すまない。そう拗ねないでくれ」
頬を撫でられる。
それから細く長い手が俺の手を掴んだ。
指を絡ませられる。
それがあまりに暖かくて、止めろとは言えなかった。
「……仲直り、できましたね。ようございました」
ジャネットの声が聞こえて、慌てて手を振り払う。危ない。絆されるところだった。
「そもそも別にケンカなんてしてない」
「……ええ、そうでございますね」
しれっと、答えるジャネット。
なんだか、そっけない態度。
これは……妬いているのか。可愛いやつめ。今夜は可愛がってやる。覚悟しろ。
「ジャネット、少し席を外してくれ。わたしはシェロと二人っきりでゆっくりしたい」
「っ、分かりました。では、失礼いたします」
ジャネットは一瞬目を見開くと、唇を噛んだ。深く礼をして、身を翻し足早に部屋を去っていく。
「さぁ、これで周りを気にせずに済む」
「……まったく、お前なぁ」
「ああ、許されよ。貴公はいつも素っ気ない。今ぐらい私を見てくれても良いじゃないか」
すがるような声。
手を再び絡めら取られる。
俺は思わず押し黙った。身動ぎするのを止めて、目を閉じる。
こういう真っ直ぐな思いに、弱い。
「……無花果。無花果が食べたい」
「うん。私が食べさせてやるとも。……これからもずっと」
誤魔化すように、無花果を要求する。
すぐさま無花果が口元に運ばれた。手ずから無花果を食べさせられる。甘酸っぱい無花果が、口の中に染み渡った。
「シェロ、美味しいか?」
「ん。まぁまぁ、だな」
その言葉を聞いて、アンは微笑んだ。
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