第21話

 小学生ぐらいの男の子が食卓へと向かっている。

 お腹を空かせているのだろう。ウキウキしながら畳の上を元気よく走り、やがて卓袱台ちゃぶだいの席に着いた。


 卓袱台には既に煮物や味噌汁、それからコロッケなどが並んでいる。

 父親、妹、祖父母が男の子を出迎えた。

 母親が追加の料理として焼き魚を、御盆を使って運んできた。

 もうすぐ、いただきますの声が響くことだろう。


「これは、誰かの記憶?」


 目の前で、知らない家族の夕食風景が広がっていた。

 私は彼らのすぐ横に立っている。だが、一家はそれに対して何の反応も示さない。

 ぼんやりと、過去の記憶にお邪魔させてもらっていることを、理解する。


「……出よう」


 この空間に、私がいつまでもいて良いとは思えなかった。

 この記憶の外に出るため、目をつぶって意識を集中する。

 集中する……。


「…………………………………………うわあ!!!」


 目を開けると。

 暖かい夕餉の風景から、寒々しい路地裏へ。

 そして、歩く影が目の前にいた。

 影に鼻は無いが、あったら息がかかりそうな程である。


「あ、帰って来た」


 私のすぐ横には優香がいた。

 美奈子と三葉は、何と言ったらいいか、立ったまま寝ている?


「歩く影を見たせいで、みんな記憶の世界に行っちゃったみたい。凜が一番最初に目を覚ましたんだよ。記録は一分ジャスト」


「え、ええ!? みんな大丈夫なの!? っていうか、うう……」


 私は歩く影から2,3歩距離をとる。そして観察。

 その姿はまさしく、暗闇が人の形をとったもの。

 じっと、こちらを見つめている。


「彼に、敵意はあるの?」


「ないよ。だからわたしは、平然とみんなが起きるのを待っている」


「優香はコミュニケーションがとれるんだね」


「なんとなく意思が読み取れる程度だけど。わたしと親和性があるから、かな? 共鳴しているというか」


 それからまた1分ほどすると、美奈子と三葉が覚醒した。

 さっきの私とだいたい同じような反応をした後。


「……オレが見たのは同棲中のカップルだった。服装的に秋ぐらいの時期か? アパートの窓から満月を2人で見てた。男が女の手を握ろうとしているんだけどなかなか決心がつかない。見てるこっちがヤキモキしたよ。とはいえオレが無理やり握らせるのも野暮だしな、って思ってたら目が覚めた。あの二人、あの後うまくいったのかね」


「私が見たのは夏の光景でした。子供たちが近くの川で水遊びをしていました。近くに新聞が落ちていたので見たのですが、今から100年前の日付でした。キラキラした水面に飛び込んでいく少年が、本当に楽しそうでしたね」


 うん? 美奈子と三葉は、あの家族とはまた別の記憶を覗いたのか?

 そもそも。

 どうして誰かの記憶が、私たちの心に混入してきたのだろう。


「――それは歩く影が思い出の塊だからだよ」


 疑問を優香へ話すと、彼女は事も無げに回答してくれた。


「思い出の質量が、影を見た人間に流れ込む。普通の人間だったらそのショックで気絶してしまう。わたしたちは色々準備をしていたから、そのまま記憶を閲覧することが出来たんだよ」


 すたすたと、優香は影に歩み寄る。

 その肩に手を置いた。


「今まで気絶した人を、歩く影は介抱してくれたみたい。風邪をひかないようにひっついて温めてくれたりとか」


 思ったより人間的な行動をしている!?


「優香さん。思い出の塊と仰いましたけれど……それでは歩く影は、誰の思い出なんですか?」


「ちょっと待ってて。歩く影が見せたいものがあるみたい」


 その言葉の後、路地裏に変化が起こる。

 それは、テレビのモニターに画像が映るようだった。

 いくつもの映像が私たちの周りに出現した。路地裏の壁、地面、何もない空中。数は20。

 

「これって……!?」


「はじまるよ」


 映し出されたのは、人々の記憶。

 20個の過去。


 コンビニ前でたむろする生徒たちと、それを注意する男性教師……ってあれ? 教頭先生だ。今より少し若いが、怒った顔はすごく怖い。


 二人の老夫婦が歩いてる。数秒後、おじいさんは一人になった。彼は寂しそうに笑いながら、それでもかつて二人で歩いた散歩コースを進む。


 どこかの家の室内で必死に赤ん坊をあやす父親と、それを見つめて微笑む母親。美奈子は「よかったな」と呟いた。


 学校近くの交差点。歩む老若男女。舞う桜、響く蝉の声、落ち葉、ちらつく雪。過ぎる春夏秋冬。


 一人の青年が電車に乗りながら、風景を眺めている。「行ってきます」と一言。どこか遠くへ行くのだろうか。ああ、彼は。さっきの食いしん坊な男の子だ。


「歩く影は、この街の思い出だよ」


 楽しそうに記憶を眺めつつ、優香はそう言った。


「この街に生きた人々の残滓は、影の中に溶けていく。そして永く永く、揺蕩いながら保存される。他の街ではどうかは分からないけれど、少なくともここでは、100年近くこの現象が続いているみたいだね」


「そうだったんですか……あ、でも気絶する事件が最近になって始まったのは何故でしょうか?」


「この写真が原因みたい」


 優香が取り出したのは、あの50年前の写真。

 あれ? 写真の男の子、顔にかかったボヤが薄れていく……。


「昔、一人の男の子が写真を無くした。理由は分からない。写真は少年の思い出となって、最終的にその記憶は影の中に取り込まれた」


「で、ずっとそれから影の中にあった写真記憶が、何かの拍子で外に出ちまったということか?」


「美奈子の言う通り。歩く影は写真を探していたってわけ」


 影の中の記憶は、映像だけではなく具体的な形をとることもあるわけか。

 というか。だとすると。

 私たちが何かをしなくても、影は今日この路地裏にやってきて、この写真を見つけられたということだ。


「余計なことしちゃったかな……」


「まあ、いいんじゃない。歩く影も迷惑がってないし、むしろわたしたちと会えて楽しかったみたいだよ」


 歩く影は右手でサムズアップ。

 左手には既に、50年前の写真を持っていた。

 言葉を喋れないだけでかなり感情豊かだな、この影。


 そう思っていると、影の黒色が薄くなり始めた。

 そのままあっさりと、消えていく。

 目的は果たしたのだ。確かにこれ以上ここにいる必要はない。

 彼は本来自分がいるべき世界、思い出の蔵へと帰っていったのだ。


 あの写真に写っていた男の子は、食いしん坊なあの子だった。

 この街が大好きだったんだろうな。

 なんとなく、私はそう思った。


「ねえ、みんな。ちょっといいかな」


「うん? どうしたの優香」


 優香は少しだけ何かを考える素振りを見せ、それから私たちに向き直った。


「わたしが世界を闇に包もうとした理由、聞いてくれるかな」


「……うん、いいよ」


 美奈子と三葉も、優香の言葉を待っていた。

 彼女の中で心の整理がついたのだろう。

 そして、いまこの場こそが最もふさわしいと、判断したのだ。


「闇の力が目覚めた時、最初に感じたのは『優しさ』だった。闇は苦しみも悲しみも受け止めてくれる。ただ静かに、心を癒してくれる。わたしはそう思ったの」


 光だけが人の救いではない、ということか。

 

「だから優しい闇を世界に広げようと思った。それがみんなのためになると思った……まあ正直、自己顕示欲だとかナルシズムもあったから、綺麗な考えだけじゃなかったんだけど……こういうのが頭の中で今までごちゃついていたから、うまく言葉にできなかったのだけど」


 それでも、優香はこれまでいっぱい考えて、自分の中の本心を見つけられたのだ。私はそれを尊重する。


「何もかも衝動的だったから、あの時に凜が止めてくれて本当に良かった。そうでないと、みんなに会えなかったし……ああ」


 ここで優香は空を仰いだ。

 私たちも、いっしょに夜空を見る。


「闇の優しさをどうやって説明したらいいか悩んでた。でも、もうみんなもわかってくれるよね? 歩く影と会ったのだから。暗闇はいろんなものを受け入れてくれるんだ。そしていつまでも……わたしたちの隣に居てくれる」

 

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