第5話

 ガチャ――バタン!

「おうみんな。ゴメンゴメン、お待たせ」

「おっ、! やっと戻って来た! トイレにしては、随分と長かったじゃん」

「って、イツキ……」

「誰? その子」

 訳も分からず、無理やり連れてこられた別室。顔面蒼白な僕を見るや否や、早速問いかけてくる人物。緑髪の奇抜なショートヘアに、筋肉隆々な両腕が白のTシャツ越しでもくっきりと目立っている。けれどルックスはあどけない、そんな外見をした一人の少年。

 そして、そのとなり。一切言葉を放たず、ただ静かに長い脚を組み、アイスコーヒー片手にジーっとこっちを見つめる黒髪ストレートの男性。サラッとしたその長髪から覗き見るクールな視線に、背筋が凍りそうになる。明らかに僕よりも年上だろう。

 ポタッ……。床にしたたるジトッとした冷や汗。曇った僕のメガネ越しには、奇抜な格好をした三人が取り囲んでいた。

 こうして完成した、クローズド空間での三対一の構図。「お前、わかってるよな」とまるでカツアゲにでもあっている感覚を覚え、厄災を暗示するように僕の膝は初期微動みたくガタガタと震え始めていた。

「ちょちょちょ、みんな」

も、も。そんな表情で見つめるから、この子ビビっちゃってんじゃん」

「ゴメンな、ビビらせちまって。怖がらなくて全然大丈夫だからさ」

 ビクついている僕の両肩にパンッと手を添え、紅髪の青年が優しく諭して見せた。

「紹介するよ。あそこの緑髪のマッチョが、ドラムの優達(ユウタツ)で、そっちのクールに決め込んだ黒髪ロングが、ベースの集(シュウ)」

「んでもって、俺がこのバンドのリーダーで、ギターの樹(イツキ)だ」

「バ……バンド!?」

「っそ! じつは俺たち、Clair(クレール)っていうヴィジュアル系のロックバンドやってんだよね」

「クレール?」

「っそ! つってもまだ始めたての、言っちゃえば弱小アマチュアバンドなんだけどさ」

 僕を連れて来たその青年は、「クレール」というバンドのリーダー「樹」だった。


 聞けば、樹(久留米樹:くるめいつき)と集(須賀集人:すがしゅうと)が最年長の二十歳で、優達(優木達也:ゆうきたつや)が十八。十六歳の僕は、この中では最年少。

「そういや、名前聞いてなかったね。キミ、なまえは?」

「え? あ、ああ……ええっと……。ひ……枚方、奏汰です」

「奏汰か! いい名前じゃん」

 いい名前――はじめて言われた。

 はにかむ破顔。トイレで見かけた第一印象とは打って変わって、気さくな樹の態度に少しずつ……ホントに少しずつだが、身と心が徐々に解きほぐされていく。

「なあ樹。で、その子どうしたの? 急に連れてきたりなんかしてさ」

「ああ、そうだったそうだった」

「集、優達。ちょっとお前たちに、聞いてほしいんだ」

 そう言うと樹はニタっと白い歯を見せ、僕にマイクを差し出した。

「さっきのインヘヴンのバラード曲、もっかい歌ってみてほしい」

「えっ?」

 するとこちらの返答を待たずして、樹はデンモクを操作し、該当の曲を送信する。

『♪……♪……♪……』

 間髪入れず、即座に流れ始める前奏。

「え? ちょ、ちょっと! 何ですかいきなり」

「いいからいいから」

 焦燥する僕を見るや、樹が笑顔で近づいて来た。そして震え強張る肩を叩き、グイっと抱き寄せるようにして腕を回すと、ボソッと耳元で囁いた。

「手なんか抜いたら、

「ヒャッ!?」

「さっきみたいに本意気で、なッ」

「っ……は、はい……」

 何が何だかサッパリの中、樹が見せた裏の顔。

 やっぱりだ。こんなの、形を変えた新手の恐喝じゃないか。だが樹のその気迫に無残にも白旗を上げるしかなく、僕に逃げ場はなかった。歌わないと、死。

 乱れた呼吸を整え、スッと大きく息を吸い込む。そして痙攣をごまかすように、強くマイクを握った。


『――雨に打たれ……』

 あぁもう、緊張する。今すぐに逃げ出したい。何だって、こんなことに。

 けれど、困惑する心情からは断絶されたように。歌声はリズムに合わせ、言葉を紡いでいく。感情とは裏腹。それでも必死に、必死に何とか歌詞を追いかけながら。

 途中僕は彼らのほうにチラッと視線を流し、様子を伺ってみた。

「「「………………」」」

 先程までとは異なる、一変した空気。微動だにしない姿勢。凝視を止めない六つの瞳。

 それはグラスの中で、カランと溶け揺れる氷の音すらさえも許さないほどに。

 樹たち三人は何かに全集中しているような、そんな様子で僕の歌に耳を澄ませていた。

 そうして訪れたラスト終盤。僕は再び渾身のファルセットを喉奥から解放させた。 

「ハア……ハア……ハア……」

 終わった。熱い。無性に喉が渇く。通常の何十倍もカロリーを消費した気がする。

 まさに、息が詰まるような数分間だった。

「ありがとう、奏汰」

 僕を慰めるような、樹からの乾いた拍手。

 一方他の二人は未だ黙ったまま、反応が無い。

「なあ集。それに優達」

「お前ら、どう思った?」

 すると樹は主語も目的語も無い意味深な問いを、二人に対し投げかけた。

「…………」

「や、やばいかも」

「まるでエルみたいに、イイ声だ」

「な! だろ優達。で、集のほうはどうよ」

「…………」

「……ま、悪くないな」

「ハハッ。ったく、相変わらず素直じゃないな。でもまあ、イイってことだよな」

 そうして何かを確信めいたような表情で、樹は僕の方へ振り返った。

「なあ、奏汰」


「――俺たちと一緒に、バンドやらないか?」

「いや、というより……」

「俺たちクレールの、ヴォーカルをやってほしい」


「え……」

「えええええっっ!?」

 僕の身に起きた出来事。その一言は僕にとって、浮世離れで、非現実的で。

 二度目の青い稲妻が、脳天から落下した瞬間だった。

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