デジタルハート ~ホログラムの涙~

まさか からだ

第1話 こんなの僕ではない

 この世界では、人々の感情は「感情制御システム(ECS)」によって管理されている。ストレスや疲労はデータ化され、数値として可視化されることで、社会全体の安定が図られている。だが、僕にとってこのシステムは、まるで終わりのない監視の網だ。


 今日も仕事を終え、帰宅する。玄関に足を踏み入れると、目の前には家族のホログラムが微笑んでいる。妻と子どもの穏やかな顔、それが「理想的な家庭」を演じる仮想映像だと分かっていても、心のどこかで救いを求めてしまう。


 「おかえり、カイト。」


 妻のホログラムが話しかける。だが、その声はどこか冷たく響く。


 こんなの僕ではない


 僕はホログラムの食卓につき、夕食を演じる彼らをぼんやりと眺めていた。会話のデータは精密で、人間らしい感情を模倣している。だが、それに触れるたび、自分が何者か分からなくなる。


 「こんなの僕ではない。」


 本来の僕は、もっと感情豊かで、家族を愛し、笑顔を大切にする人間だったはずだ。だが、現実の僕はその逆。無表情で、感情の波が削られた存在に成り果てている。




 感情制御システムによって、僕の「感情安定指数」は毎日測定されている。その数値が一定を下回ると、仕事にも支障をきたすだけでなく、社会的信用も失われる。


 「カイトさん、最近の数値が良くありませんね。」


 職場の上司は、僕の指数を注意深く見つめて指摘する。彼の目には、数値以外の関心はないようだった。人間が数値で評価される時代。それを僕は受け入れることができずにいる。




 ある夜、ECSの通知が響いた。


 「警告: 感情安定指数が基準値を下回りました。」


 この通知が届くたび、僕は自己嫌悪に陥る。どれだけ気を付けても、数値が改善することはない。データ化された感情は、僕自身の意思ではなく、何か外部の要因に操作されているように感じる。


 「なぜ、こんな風になったんだ……」


 ホログラムの家族に問いかけても、返ってくるのはプログラムされた安堵の言葉だけだ。僕の疲労は、単なる肉体的なものではない。心の奥底に積み重なった感情そのものが、僕を押しつぶしている。




 ある日、ECSの専門医に紹介されることになる。そこで僕は、自分が抱える疲労が「仮想疲労症候群」と呼ばれる新しい疾患に該当することを知る。その診断が、僕の運命を大きく変えていく第一歩となるのだった。

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