第2話 覚醒

 何なのコイツ……!

 足場のビルが揺れるたび、胸の奥が冷たくなる。夜風が肌を刺す。

 ──今までで一番しつこい。

 何発撃ち込んだ? 十? 二十?

 それでも狼型ANIMAは、撃ち込んだ端から黒い瘴気で肉体を再生し、嘲笑うように咆哮し続ける。


「──《オクタ・バースト》ッ!!」


 八重に重ねた光弾が花火のように夜空で炸裂し、闇を白く焼いた。

 だが──影が揺らいだだけ。

 狼型ANIMAは、まるで人間の感情を嗤うかのように、赤い瞳を細める。


 その姿は、ほとんど “災害” の類だ。

 獣の形をしているだけで、心などない。ただ破壊するだけの存在。


「はっ……! しつこっ……!」


 飛び移れるビルはもう二つ。

 弾倉は残り一本。

 脚は震えている。手の汗で銃が滑りそうだ。


「……ルカ達は逃げられたかな。」


「──っ!?」


 視界を黒い影が覆い尽くした。

 狼型ANIMAの巨体が跳ぶ。音もなく、重力すら無視して。


 ──ドガァッ!!!


「ッぐっ……!!」


 鋭い爪が腹を抉り、体が宙に浮く。

 次の瞬間、地面が背中を砕き、肺の中の空気が一気に吐き出された。


 アスファルトが割れる。

 視界がぐらぐら揺れる。

 赤黒い血が口からあふれ出る。


 熱い。

 痛い。

 呼吸ができない。


「死ねない。……まだ、死んでたまるか……!」


 それでも、脚が動かない。

 奴は理解している。私がもう反撃できないことを。

 ゆっくり、ゆっくりと、巨大な顎を開いて近づいてくる。

 滴る黒い液体が地面を焦がし、硝煙と腐臭が鼻を刺す。

 恐怖が、喉の奥で形を持ち始めた。心臓が暴れ、鼓膜が痛いほど音を立てる。


「グルルルルル……。」


 視界が滲む。

 指が動かない。呼吸が浅い。

 世界の輪郭が音もなく溶けていく。

 死の静けさが、すぐそこまで来ている。


 ……ごめん。お父さん。お母さん。……ハルマ。

 思考が薄れていく。

 瞼が落ちる。

 その瞬間──


『「すまぬ。遅くなった。」』


 胸の奥で、炎が灯った。

 体中に熱が満ちていく。

 血の匂いが焼け落ちていく。


 光が、夜を裂いた。

 そこに立っていたのは──ルカだった。


『「大丈夫。私が護るよ。」』


 静かだけど、絶対に折れない声。

 紅い瞳が狼型ANIMAを射抜き、白銀の狐耳と尾の幻影がふわりと揺れた。


───────────────────


 敵意が震えるほど濃い。

 狼型ANIMAの瘴気に触れた瞬間、胸の奥で “何か” が目覚める。


 怖くない。

 むしろ──懐かしい。


 こいつを知っている。

 この力を知っている。


 だから逃げない。

 この存在と戦えるのは、私しかいない。


 ANIMAは、まるで「新しい獲物」とでも言うように首を傾げた。

 攻撃もせず、ただ嗤うように。獣の奥に潜む“意思”が、私を見透かす。


『「貴様、私を喰らう気だな?」』


 声は静かだった。だが、胸の奥で雷鳴のように響いた。

 私は紅丸を握り直し、呼吸を整える。

 瞳に宿るのは、恐怖ではない。赦せぬ怒りと、燃えるような決意だけ。


『「──狐火流きつねびりゅう紅狐一閃べにこいっせん】」』


 空間がひび割れたかと思うほどの轟音。

 紅い閃光が走り、ANIMAの右脚が音もなく消えた。

 黒い液体が滝のように飛び散り、地面を焼く。


 奴は咆哮し、再生しようと瘴気を噴き出す──だが遅い。

 ルカはもう目の前にいた。


 踏み込み。

 斬撃。

 跳躍。

 反転。


 腕が飛ぶ。

 脚が落ちる。

 尾が霧散する。


 狼型ANIMAが崩れかけた瞬間、ルカは静かに告げる。


『「私の友達に手を出した報いだ。」』


 紅丸の刃が朱に燃え上がる。

 炎が狐の尾のように揺らめき、九つの光が輪を描く。


『「──狐火流【九連灯篭くれんとうろう】」』


 九つの斬撃が、時を裂く。

 一閃ごとに、心臓が鼓動する。

 世界が軋む音とともに、ANIMAの命が削がれていく。

 最後の一撃が落ちた瞬間、すべてが静止した。


 黒い肉片が崩れ落ち、やがて拳ほどの黒い結晶だけが残る。

 瘴気が霧散し、夜の空気が一気に澄み渡った。


「……終わった。」


 膝が笑う。

 紅丸が淡く光り、粒子となって私の体へと戻っていく。

 息を吐いた瞬間、ようやく実感が追いついてきた。

 全身の力が抜けて、その場にペタリと座り込む。


『よくやったのう。記憶がなくとも身体は覚えておる。』

「ったく……あんた、誰なのよ。」


 頭の奥から響く声に、思わず軽口がこぼれる。

 本来ならあり得ない──自分の中に他人がいるなんて──だが、今はそれすらも自然に感じる。不思議なほどに。

 体の奥で誰かと呼吸を合わせるような感覚。

 懐かしく、けれど恐ろしくもある。


「ルカ……だよね?」


 背後から、掠れた声。

 振り返ると、月葉が呆然と立っていた。

 汗と血の跡。震える肩。けれどその目は、確かに生きている。


「うん。そうだよ。遅くなっちゃってごめんね。」

「あ、いや。そうじゃなくて……さっきの、何? あれ。」

「私にもよくわからないんだ。」


 嘘ではない。

 ただ、今なら言える──この声は、私の中の“誰か”であり、敵ではない。


『だから言うたであろう。わしはお主の片割れじゃと。』


 ……うるさい。勝手に割り込んでこないで。

 と、心の中で返した瞬間、遠くから聞き慣れた声が届いた。


「おーい! 根古叉、ルカ、平気かーっ!」


 イソトマだ。

 ボロボロのはずなのに、そんなことは感じさせない様子で駆け寄ってくる。

 月葉と目を合わせ、思わず息を吐いた。


「私は平気。ルカに助けられちゃった。」

「俺もだ。……お前、何者だ?」


 その問いに、言葉が詰まる。

 “何者”──自分でも分からない。

 けれど、胸の奥で小さく灯る光だけは確かにあった。


「ただの記憶喪失だよ。」


 笑うと、月葉とイソトマは顔を見合わせ、同時に肩をすくめて笑った。

 その笑いが、妙に温かい。

 心が少しだけ、軽くなる。


「なら行くところもないだろ。俺たちと一緒に来い。」

「うん! ルカがいてくれたら心強いよ!!」


 ああ──悪くない。

 ANIMAを追う彼らと行けば、何かが見つかるかもしれない。

 自分が何者なのか。なぜこの声が自分の中にいるのか。


「うん。これからよろしく。月葉、イソトマ。」


───────────────────


 朝の光が差し込み始めた街の片隅。

 夜の血戦が嘘のように、世界が静まり返っている。

 私は今、月葉とイソトマに連れられて、彼女たちの“アジト”へ向かっている。


「ここが、私たちのアジトだよ!」


 ──……え?

 そこにあったのは、どう見ても廃墟。

 壁はひび割れ、窓ガラスは割れている。

 まるで時に見放された建物。


「……ここ、大丈夫なの? ほら、なんかお化けとか出てきそうっていうか……!」

「ANIMAと戦った後にお化けを気にするのか?」


 イソトマの冷静なツッコミに、言葉を失う。

 確かに──あんな怪物を前にして“お化け”を怖がるなんて、滑稽だ。


「お、お邪魔しまーす!」


 半分覚悟を決めて扉を開けた──瞬間、息を呑んだ。

 外のボロさとはまるで別世界。

 床には温かなカーペット、壁には最新式のモニター。

 天井から吊るされたシャンデリアの光が、室内を柔らかく包み込む。


「どう? いいでしょ、私たちのアジト!」

「い、いいっていうか……これ、本当にさっきの建物の中なの……?」

「外装は街並みに溶け込ませるためのカモフラージュだ。」


 イソトマが腕を組んで言う。

 

「廃ビルなら一般人は近づきたがらないだろう?」

 

 その言葉に、思わず頷いた。まさに秘密基地だ。

 私は部屋をきょろきょろと見回しながら、まるで子供みたいに興奮していた。

 破滅的な戦闘の後に見るこの光景が、どこか現実味を奪っていく。


「気に入ってくれた?」

「もちろん!すごいよここ……!」


 月葉が嬉しそうに笑い、イソトマが小さく頷く。

 そして二人が、同時にこちらを見て口を開いた。


「──ようこそ。〈ANIMA CHAINアニマチェイン〉へ。」

「ようこそ! 〈ANIMA CHAIN〉へ!」


 静まり返った室内に、二人の声が重なって響いた。

 胸の奥がじんわりと熱くなる。

 夜の闇を抜けた後に差し込む朝の光が、こんなにも優しいものだとは思わなかった。


 どうやら私は、ほんの少しだけ──この世界の「居場所」を見つけられた気がした。

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