第5話

 窓側に置かれたテーブルに招かれて、そのまま木目が見えるベンチに腰を降ろす。

 エスメラルダさんは、窓側。

 『私』とガルーは、暖炉やL字のベンチを背中にする位置に。

 ガルーが言う「ハイジさん」の死体が見えないようにしてくれたのだと分かって、小さく息が落ちた。

「それじゃあ、詳しい話を聞こうか」

 そうして、エスメラルダさんは『私』とガルーに事情を訊ねた。

 ガルーでも分からない所は、そのままにしておいてくれた。

 ガルーが死にかけて、時間が戻ったこと。

 気が付けばカルミナの身体が、ぼんやりと立っていたこと。

 慌てて腕を掴めば、中身が『私』だったこと。

 『私』のことは『こことは違う場所で死にかけた人間』としか説明のしようがなかったけれど、二人は「そういうこともあるだろう」と納得してくれた。

「……でも、どうしてハイジが殺されなきゃいけなかったんだろう」

 沈んだ声でガルーが言う。

「……泥棒、とか?」

「家の中が荒らされてないし、そうならハイジが撃ち殺していただろうさ」

 そう言って、エスメラルダさんは顎で入口を指す。扉の脇には、先程彼女が持っていた銃。

「……ハイジ、そんなこと、する?」

「するする。あの中身、散弾でな……あれで気が強い女だったよ、アーデルハイドは」

「……あの、エスメラルダさん」

「なんだい、お嬢ちゃん」

「えっと、もしよければ、なんですけど……二人がここに住んでいる理由、を、聞いても?」

 童話の中では、『おばあさん』は森に一人で住んでいた。

 現代なら世捨て人とか言うのだろうけど、時代が違う。

 『私』が知ってる昔話だと、『姥捨て山』が思いつくけど――エスメラルダさんは元気で、あまり当てはまらない気がした。

 それに、姥捨てなら、『赤ずきんのお母さん』は『赤ずきん』に食料を持たせないだろう。

 エスメラルダさんは、何度か瞬きをする。それからにっと、笑って見せた。

「アタシはそっちの方が都合が良かったから――ハイジは、殺された旦那の弔いかね」

「……弔い?」

「覚えてないのかい、カルミナには話したが……あぁ、知識なんかは引き継いでないのか」

「す、みません……」

「謝ることじゃないさ。アタシが早とちりしたんだ」

 苦笑して、エスメラルダさんはぽつぽつと話し始めた。

 ハイジさん――本名はアーデルハイドさんというらしい――の旦那さんは、運送組合の御者だった。

 森向こうの街からやってきて、この辺りで狼に襲われた。

 彼は荷を馬を守るために立ちまわって、結果として、『荷と馬は』無事に街へと着いた。

「冷たい夏だったからね、森も食料が足りなかったんだろうさ……まぁ、それで同じ被害者を出さない、と、ここにコレを立てたのがハイジさね」

「それは、すごい、ですね……」

「まぁ、ハイジが商会の末娘だった、ってのもあるよ。商会は、荷が無事に届くなら有難い。運送組合は、手塩にかけた馬が死なない。そんな利点を持ちかけて、まぁここが出来たって訳だ。そうでなきゃどっかの後添えだったろうに、上手く立ち回ったよ」

 くつくつ、エスメラルダさんが笑う。

 商会がわざと噂を広めて、この辺りでは『夫を思う良妻』として名が知られていたらしい。

 ……その辺りは、どこも変わらないのかもしれない。

 ともかく、そうやって数十年、ハイジさんはここで暮らしていたらしい。

 それなら、街から食料が運ばれるのも納得だ。

 何年か前におじいさん――カルミナの祖父――を亡くしたエスメラルダさんもここに引っ越して、それからは二人で暮らしていたらしい。

 そう言って目を伏せた彼女は、深く、深く息を吐く。

「……だから、アタシは兎も角、ハイジを殺すなら二つの街を敵に回すような人間だ」

「エスメラルダを魔女裁判に掛けたい、っていうのは?」

「やめとくれよ。折角隠し通したんだ」

「……エスメラルダさんは、魔女、なんですか?」

 思わず言ってしまって、後悔した。

 緑と黒。二色の目が、じっと『私』を見る。温度を失くした視線に、息が詰まる。

 先に息を吐いたのはエスメラルダさんだった。

「この場で隠しても意味がない、か……ある意味では間違いで、ある意味では正しいよ。今は『賢い女』も、纏めて魔女と呼ぶからねぇ」

「……産婆とか、そういう仕事をしてる人、ですよね」

「おや、お嬢ちゃんもご存知かい」

「あ……っと、『私』の時代、でも、何人かいました……『白魔女』とか、『カニングフォーク』とか、名前が違うんですけど」

 世界の謎を調べるテレビ番組で、たまたま見たことがある。

 薬草を摘み、星を見て、自然の中に暮らす人達。

 そうして、さっきガルーは『魔女裁判』と言った。

 この世界にもそれがあったなら、エスメラルダさんが街ではなくこの家で過ごしているのも納得できる。

「それにアタシを魔女裁判に掛けたいなら、もっと昔に掛けられてるさ」

「……そうなの?」

「そうだね」

 ガルーに問えば、彼は頷く。

「十年前まで、大きな魔女裁判が続いて……でも、言ってはみたけど、エスメラルダを告発する人はいないよ」

「分からないだろ、嫁が時々森の中に行ってます、なんて、不貞を疑う狭量な奴だっているかもしれん」

「……こないだ、口封じに毛生え薬作るって言ってなかった?」

「毛が薄くなるのは栄養が偏ってるのもあるからな、栄養剤だよ」

 ぽんぽんと転がるやり取りは、聞いていて気持ちがいい。

 というか、ガルーが普通に喋っている。人見知りなんだろうか。そんな気もする。

 そんなことを考えていたら、何かが引っかかった。ゆっくり、意識して部屋の中を見る。

 テーブルの上に、見慣れない材質のカップが――二つ。

「……お客、さん」

「ミナ?」

「お客さんを、装ったんじゃないですかね……カップ、出てる、から」

 それなら、筋も通る気がする。

 行き来する御者や狩人が一休みすることもある、とガルーは言っていた。

 それなら、客の振りをして部屋に入って――安心させてから、襲った可能性はないだろうか。

 突っかかりながら言えば、二人は顔を歪めた。

「あ……突拍子、なかった、ですかね……」

「逆だよ、お嬢ちゃん……その場合、犯人は顔見知り、ってことだ」

「顔、見知り……」

「そうだね……初めての人なら、ハイジはきっと警戒する。招き入れて、飲み物を出して……殺されるなら、気を許してる相手だ」

「そうすると最初の疑問に行き当たるな……ハイジの顔見知りが、背景を知らずにハイジを殺すか?」

 そこで、『私』を含めた三人とも、言葉が出てこなくなってしまった。 

 うーん、と口々に唸る。一番最初に口火を切ったのはエスメラルダさんだった。

「ロルフ、お前が前回見たものをもっかい聞かせな」

「ぅえっ……や、ちょ、ミナ、いる」

「だったらどうした。意外とこのお嬢ちゃんは鋭いぞ」

「だ、め……エスメラルダ、は兎も角……ミナ、は、だめ」

 ぶんぶん、もげそうな勢いでガルーは首を横に振る。

 何がそうさせるのかいまいち分からずに居れば、エスメラルダさんは低く「ロルフ」と名を呼んだ。

「そんなこと言ってる場合か? 一回目とは違っても、ハイジが殺されてンだろ」

「で、もっ……だって……」

 ガルーが言い淀む。

 あっちこっちに視線がそれて、それから膝の上で握った拳の上に落ちた。

 ぶんぶんと首を横に振れば、その灰色の髪があっちこっちに散らばる。

 それに、エスメラルダさんが深い溜息を吐いた。

「……お嬢ちゃん」

「は、はい」

「そのバスケットに入ってるモンを、ちょっと注いできてくれないかい? コイツの口を軽くするのに丁度いいだろう」

 部屋の奥には厨房があり、そこにはカップがいくらかあるから。

 そう、エスメラルダさんは言う。

 でも、と言いかけて――成程、と納得した。

「分かりました。あるカップを使えば、いいんですよね?」

「ああ、すまないね。頼むよ――なんなら、パンを切ってもいい」

「分かりました」

「エスメラルダ、でも、それは」

「お前が見えないようにしたから平気だろ」

 飄々とエスメラルダさんは言う。

 それに頷いて、立ち上がる。持ち上げたバスケットは、少し重く感じた。

 できるだけ左側――人の形に膨らんだテーブルクロスを見ないようにしながら、エスメラルダさんが示した扉に向かう。

 きぃ、と音を立てて開いた扉。

 その音に紛れて、誰かの溜息が落ちた。

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