第19話
「薄暗くなってきましたね」とマルガレーテは言った。
空気は重くなり、空は灰色に覆われている。学校は終わり、昇降口で咲綺とマルガレーテは立ちながら空を見上げていた。莉穂は彼氏と一緒に帰った。途中まで一緒に帰るのを誘われたが、修復中である二人の仲を邪魔しては悪いと思い先に行かせた。
「夕食の材料を買って帰りましょうか」とマルガレーテは咲綺を見て言った。
咲綺は空を見つめながら「ええ」そう一言発しマルガレーテを一目見て、前を向き歩いた。五分ぐらい歩くとマルガレーテが口を開いた。
「咲綺さんは何か食べたいものありますか? お母様がいませんので、好きなものなんでも作ってあげられますよ」
「――シチュー」
「シチューですか、なるほど。カルボナードなんてどうでしょうか!」
咲綺はマルガレーテの顔を見て「カルボナード……何それ……シチューなの?」疑問を持った表情で言った。
人差し指を斜めに指し語りだす「フランドル地方の料理です。牛肉をですね、ビールで煮込んで――」咲綺から見ると自慢げな顔に見えた。
「学生だから、ビールなんて買えないけど……」
「そうだったんですね、残念です……咲綺さんが食べたことないような料理を食べさせて驚かせたかったのですが」つまらなそうな顔で遠くを見た。
「普通のでいいよ。普通ので――そう、ビーフシチューでいい。あなた得意そうだし」
「わかりました。ではいい赤ワインを――」
「話聞いてた? さっきも言ったけど! アルコールはダメなんだって! 市販のルーを買うでいいでしょ、もう私が買うから。あなたはついてきて」
「――はい。では、お傍で拝見しておきます」
二人は学校の帰りに近所のスーパーマーケットに行った。どこにでもある普通のスーパー、買い物かごをカートに乗せ咲綺が先導した。野菜売り場をスルーしてシチューのルーが売ってる場所に行き、並んでいるルーを見た。
「うーん」咲綺は二つ手に取り、どちらがいいのか見比べていた。
「どっちがいいと思う?」
「咲綺さんが好きな方でいいですよ」
「どれも同じようにしか見えない……」と咲綺は凝視しながらパッケージを見ていた。陳列棚に戻しては、新しいのを手に取る。こんなことを数分繰り返していた。最終的には最安値より一回り高いビーフシチューのルーを買った。
肉売り場に行くと咲綺は並ぶ牛肉を見て、頭で考えていたことを自然と声に出した。
「ビーフシチューの肉ってどれ……」
マルガレーテを見ると、にこやかに咲綺を見守っていた。見つめるが何も返さない。試しにバラ肉を持ちそっと顔を向けた――変わらぬ顔だった。今度はすね肉を持ち同じ動作をしたが、結果は変わらなかった。ため息をして言う。
「ねえ、ビーフシチューはどこの部位を買えばいいの」
「咲綺さんが選んで買うのではないのですか? はて?」
何がはてだ、と言いそうになったがぐっと堪えた。
「マルガレーテさま、どうか――おしえてください。ませ」マルガレーテだけにはできるだけ教えを乞いたくない自身の無駄なプライドを守るため、ひと言ずつ機械が喋るように言った。
「もっと素直に頼めばいいのですが――まあ、良しとしましょう。咲綺さんのかわいいところですからね」そう言うと、咲綺が持っていたすね肉を取り買い物かごに入れてカートを押した。咲綺はただその後を追った。
「だいたい咲綺さんはもう少し人に対して素直になった方がいいと――あ、私は悪魔ですけどね。つまりですね――」迷いもなくカートに食材を入れている。さながら全てを把握しているようだった。
「――それと、気分の上がり下がりが激しすぎます。自分の感情を上手くコントロールして、他者との接し方を――」咲綺はマルガレーテに説教され続けた。
「最後にですけど、お料理ぐらいした方がいいですよ。お母様が居ない時はコンビニのお弁当で済ませていましたよね? 知ってるんですよ」今までに見たことない早さで袋に商品を詰め込んでいた。
マルガレーテに
外に出ると灰色の空から雨が降っていた。コンクリートは雨水によって艶やかに反射して、小さな窪みには水が溜まり人の足によって弾けていた。
「雨降りましたね」とマルガレーテは空を見ながら言った。
「傘持ってきてたかなあ、家に置きっぱなしだと思うけど……」咲綺は鞄に手を伸ばし探そうとすると、バサッと傘が広がる音がした。音の方を顔を向けると、マルガレーテは持ち手がシルバーに輝くキツネの顔がついた傘を広げていた。二人は入れそうなぐらいの大きな傘。シルバー色のキツネの顔は雨の中ではどこか馴染んでいるようだった。
「あなたいったいどこから出したの! その傘」と疑問と驚きが混じりあった顔で言った。
「悪魔ですからね、当然のことですよ」マルガレーテは微笑んだ。
「答えになってない」
「行きますよ、入ってください」マルガレーテは咲綺の側にそっと立ち、一歩足を前にだした。咲綺は一瞬遅れてマルガレーテに向かい傘の中に入った。傘は鈍い音を立てながら雨を弾き外に落としていった。
マルガレーテは片手に傘を、もう片手には中身の詰まった買い物袋を持っていた。マルガレーテは咲綺の歩幅を合わせながら歩く。
歩道を歩くマルガレーテは車道側にいて、咲綺はその内側。水たまりが咲綺の進路方向にあればマルガレーテは水たまりのない方に咲綺を傘と体を動かし誘導した。
そんなことを自然と何も言わずにやられ、咲綺は親指に力を入れて拳を握りながら視線をマルガレーテに向けるとマルガレーテの片方の肩が濡れていた。それを見て口が開きかけたが唇を丁寧に合わせるにを閉じた、ほんのり唾液の味がした。
思考を巡らすと雨の音が一段と大きく、広く聞こえる。水を踏む音が目立つようにすら感じて、上手く考えられなかった。咲綺は体をマルガレーテに押しつけるように重心を移動させた。その時にどことなく懐かしさを思い出した。悲しさも一緒に。
「どうしましたか?」マルガレーテの声が耳に入った時、刹那の思い出は雨と一緒に流されていった。
「なんでも……ある」落とそうとした言葉を拾い上げた「あなた肩が濡れてる。もっと私の方に来てもいいから」
マルガレーテは静かに微笑むと「そうですね、そうしましょう」マルガレーテは体を寄せた。
「もしかして、私のこと好きになりましたか?」とマルガレーテは言った。
「……雨に濡れたら制服乾かすの大変でしょ」咲綺は顔を軽く横に向けた。
「ふふ、そういうことにしておきましょうか」
「あと、荷物持つから貸して」そう言うと咲綺は手を伸ばした。
「重いですが持てますか?」
「バカにしないで、これでも握力――」腕がぐっと地上に引っ張られる、驚きを隠せずに顔がすぐに腕の方に向かった。すぐに両手で支えて買い物袋を体に密着させた。目は大きくなりつつも息を吐きだしながら、安堵を得るとマルガレーテがこちらを見ていた。
「握力が――なんですか?」マルガレーテのその言葉は咲綺にはわざとらしく聞こえた。
「これでも握力ない方と言おうとしただけ。急に持たせないで、ビックリするでしょ」
「普通は、これでも握力がある方と言うのが――」
「それ以上言ったら突き飛ばす」咲綺は袋を両手で抱えながらマルガレーテを睨んだ。
「それはそれは、怖いですね。天気の話でもしましょう」
「雨よ」
「雨ですね」
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