第11章「新たな視点を探して」

 文化祭から数日が経ち、校内には不思議な余韻が残っていた。廊下を歩けば、まだ文化祭中に飾られたポスターの残骸が貼りついているし、教室の片隅には使い残しの装飾用ラメテープが転がっている。秋風が窓から吹き込み、日差しに淡い金色が混じる頃、二年生の瀬尾瑛士と有坂千紗は、微妙な空虚さを感じていた。あれだけ情熱を注ぎ、何度も壁にぶつかりながら完成させた映像作品は、文化祭で大きな反響を得た。しかし、その一大イベントが過ぎ去ると、砂上の楼閣が崩れたような気分になる。

 「なんだか、あっという間だったね」

 放課後、瑛士は教室の窓辺で呟く。夕陽が彼の前髪を染め、うっすらとした陰影を作っている。

 「うん。でも、あの映像は確かにみんなの心に残ったと思う。クラスの空気、ちょっと変わったよね」

 千紗は窓枠に肘をつき、頬杖をついて外を見た。グラウンドではサッカー部が軽く走り、バスケット部のボール音が風に乗る。クラスメイト同士がこれまでより少し柔らかい表情で話しているのが分かる。瑛士たちが撮影し、編集した映像は、皆が共有する「今」を再発見させ、その価値を静かに示したのだろう。


 だが、今はその「次の一手」に迷っている。文化祭という明確な目標が消えてしまったからだ。撮りたい物語、映したい世界、あの高揚感……あれは、もう終わりなのだろうか。

 千紗がふと提案する。

 「ねぇ、また何か撮りたいと思わない? せっかくあんな素敵な作品ができたんだもん。映像作りをここで終わらせるのはもったいない」

 その言葉に瑛士は目を細める。彼女はまだ、あの光を追いかけたいらしい。それは彼にとっても魅力的な提案だった。

 「そうだね。今度は何を撮ればいいんだろう? 学校生活をもう一度切り取るのも悪くないけど、また同じことを繰り返しても新鮮味がない気がする」

 「確かに。前と同じ手法じゃ物足りないかもね」

 千紗は小さく笑った。その笑みには、何か違う場所、未知の空間を求める冒険者のような光がある。


 教室から出ると、下校の人波が続いている。昇降口まで歩く途中で、麻里が声をかけてきた。

 「二人とも、次は何するの?」

 笑顔で問いかける彼女は文化祭後、一段と生き生きとしている。映像に映った自分を見て、ただ「映える」こと以上に、努力する姿が人に訴えかけることを知ったらしい。

 「まだ考え中。麻里はどうするの?」

 瑛士が尋ねると、麻里はスマホを指でクルクルと回しながら答える。

 「私、モデルのオーディションを受けてみようかなって思ってる。映像を見て、自分が真剣になれるものがちゃんとあるって気づいたの。だから、もうちょっと行動してみるつもり」

 彼女が言う「もうちょっと行動」は軽い口調だが、その目は輝いている。モデル志望という夢が、単なるお喋りでなく、彼女の内側で具体的な軌跡になりつつあるのが分かる。


 玄関で靴を履き替えながら、瑛士と千紗はふと視線を交わす。麻里のように新たな一歩を踏み出せたらいいのに——そう思ったのかもしれない。

 昇降口を出ると、背後から声がする。

 「おまえら、また何か撮るのか?」

 振り返ると鷹野が腕を組んで立っていた。以前より少し柔らかい表情だ。文化祭の映像で自分の走る姿を初めて肯定的に見た彼は、その後、練習にさらに打ち込み、記録更新を目指しているという。

 「まだ決めてないけど……外に出てみるのも面白いかもって思ってる」

 千紗が言うと、鷹野は鼻で笑う。

 「外? どこ行くんだよ」

 「うーん、たとえば町とか……ほら、駅前商店街とか。文化祭で学校内は一通り撮ったでしょ。今度は学校の外に目を向けたら、また違う物語があるかもしれない」

 千紗の言葉に、瑛士は頷く。学校という舞台を飛び出せば、もっと広い世界が待っている。


 鷹野は興味なさそうに肩をすくめるが、少なくとも否定はしなかった。

 「まあ、勝手にしろよ。俺は走るだけだしな」

 そう言って去っていく彼の背中を見て、瑛士は笑う。彼もまた自分の道をまっすぐに進み始めている。


 その日、瑛士と千紗は駅前の商店街へ足を運んだ。小さな書店、昔ながらのパン屋、果物屋、花屋に洋品店……とりわけ華やかな通りではないが、夕暮れのオレンジの光に包まれたその町並みは、どこか穏やかで懐かしい香りがする。カメラこそ持っていないが、二人は視線で写真を撮るように丁寧に景色を眺めた。

 「ここで何か撮ったら面白いかな」

 瑛士が言うと、千紗は立ち止まって街角の掲示板を見る。そこには地域の催しが貼り出されていた。「秋祭り運営ボランティア募集」とか「郷土資料館ミニ展示」といった手書き風ポスターが並ぶ。

 「ねぇ、こういう地域の行事を映像にするのはどうかな? 学校外の人たちが何を考えて、どんな風にこの町を盛り上げようとしているか、それを記録したら、また別のドラマがある気がする」

 千紗の目はキラキラしている。未知のフィールドに足を踏み入れる興奮が、二人の胸を高鳴らせる。


 「でも、学校の行事みたいに勝手には撮れないよね。許可も要るし、知らない大人にも話しかけなきゃならない。ハードル上がるけど……やってみる価値はあるかも」

 瑛士は少し不安を覗かせるが、その声には挑戦の意欲が籠っていた。

 「うん、難しいと思う。でもさ、映像で何かを伝えられると分かったんだから、次はそれをもっと広げたい。クラスメイトとの距離を縮めたように、今度は地域との距離も縮められたら素敵じゃない?」

 千紗は足元の落ち葉を蹴り上げるように小さく跳ねた。その仕草は子どものように無邪気だが、その胸中には確かな哲学が育っている。


 その帰り道、二人はカフェに立ち寄った。小さな喫茶店で、古いフィルムポスターが壁に貼られ、豆の香ばしい匂いが漂う。その店主は白髪混じりの年配の女性で、顔なじみらしいお客と雑談している。そんな空気が瑛士たちには新鮮だった。

 「地域って言っても、どこから始めればいいんだろう」

 瑛士はコーヒーを啜りながら考える。

 「さっきの掲示板の秋祭り、行ってみない? ボランティア募集って書いてあったし、手伝いながら撮影をお願いしてみれば、受け入れてくれるかも」

 千紗の提案はいつもシンプルで、実行力がある。


 秋祭りは来月中旬とポスターにはあった。少し時間がある。瑛士たちはその間に企画を練り、顧問の先生や学校にも相談してみる必要があるだろう。

 「うまくいくかな……」

 「わからない。でも、文化祭のときもそうだった。最初は何もわからなかったけど、一歩ずつやっていったら形になったじゃない」

 千紗の言葉に、瑛士は頷く。映像制作を通して分かったことは、未知への挑戦は怖いけれど、その過程こそが物語になるということだ。クラスの仲間を理解するように、この街の人々を理解できたら、また新しい物語が生まれるに違いない。


 翌日、二人は放課後、軽く構想をメモにまとめてみる。

 「秋祭りに参加し、その裏側を撮影する。商店街の人たちが準備する様子、町内会の人たちの思い、過去の祭りの写真、そこに訪れる子どもたちの笑顔……」

 瑛士が箇条書きするたびに、千紗は嬉しそうに相槌を打つ。クラスメイトで撮った映像と違うのは、今度は初対面の人が登場すること。人見知りの瑛士にとっては緊張するが、千紗がいればなんとかなる気がした。


 「先生にも話してみないと。勝手に校外で撮影して勝手に発表するのは問題があるかもしれないから」

 千紗が言うと、瑛士は溜め息混じりに笑う。確かに大人のルールがある。映像制作には、著作権や肖像権、公開場所の許可など面倒な要素があることを、前回の映像でかすかに学んだ。

 「でもそれって、逆に本格的になるってことだよ。俺たちはもうアマチュアの学内映像制作から一歩踏み出すんだ」

 瑛士の声には不安と期待が混ざっている。


 クラスメイトにも声をかけてみよう。誰かが興味を示すかもしれない。少人数で動くか、あるいは今回も皆を巻き込むか。選択肢はいくつもある。

 鷹野に手伝ってもらうのは難しそうだが、麻里なら華やかなシーンで再び出演者を引き受けるかもしれない。軽音部の連中なら、背景音楽をもう一度お願いできるかもしれない。新たな物語を紡ぐとき、あの時の仲間たちが再登場してくれたら、より楽しくなるだろう。


 そんな風に思いを巡らせていると、ふと千紗が視線を上げる。窓の外には、夕暮れに染まる校庭が広がり、その向こうには町並みが控えめな光を点し始めている。

 「あの町に、どんな物語があるんだろうね」

 千紗のつぶやきは、まるで詩の一行のようだ。

 「きっと、僕たちが知らない人生が交差してるんだと思う。それを映したら、また誰かが喜んでくれるかな」

 「うん、喜んでくれると思う。あの映像がクラスを変えたみたいに、今度はこの町の空気を少しだけ変えられたらいいな」

 千紗は微笑む。その笑顔に、瑛士は小さな勇気をもらう。


 こうして、二人は「次なるプロジェクト」として地域の祭りを題材にした映像制作を考え始めた。文化祭後の虚無感を跳ね飛ばすように、新たな世界へ踏み出す準備を整える。

 まだ外の人々に受け入れられる保証はないし、撮影や編集の難易度は上がる。それでも、挑戦する価値がある。クラスの中だけでなく、外にも物語が満ちている。その物語を掬い上げることで、二人は自分たちがどこへ向かうのか、人生の新たな地平を見出そうとしていた。


 その日の帰り道、ふと見上げた空には、淡く光る星が一つだけ浮かんでいた。秋の匂いが風に乗ってくる中で、瑛士と千紗は手を繋ぐでもなく、ただ並んで歩いた。

 過ぎ去った青春の一瞬をカメラに刻みつけた彼らは、今度は「これから」を描くためのフィルムを用意する。光と影、笑い声と静寂、すべてが新たな一歩へと繋がる。

 彼らの心の中で、再びカメラのシャッターが切られる音がする。それは、新たな視点を求めて走り出す合図だった。

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