第10章「光のかけらが紡ぐフィナーレ」

 文化祭当日、早朝の教室には緊張した空気が漂っている。クラスメイトたちはそれぞれ出し物の準備に追われ、廊下にはポスターや飾りが並び、音楽室からは合唱団のリハーサルが聞こえる。多目的室には瑛士と千紗が朝一番で設置したスクリーンとプロジェクター、スピーカーがスタンバイ済みだ。


 編集の最終確認は徹夜で行った。花火をラストシーンに挿入し、全員がカメラを見る場面と重ねる。そこには鷹野が朝の土手で走るシーン、麻里が浴衣で微笑むシーン、購買で笑い合う男子たち、理科室で肩を寄せ合う女子たち、軽音部が調弦する風景が流れ、最後に花火が夜空に咲く。花火の映像は短いが、一瞬だけ映る千紗の笑顔がその余韻を残す。音楽は軽音部が提供してくれたオリジナルのギターメロディが優しく包む。


 上映時間が迫ると、クラスメイトだけでなく他のクラスや来場者も集まってきた。窓から差す朝の光がスクリーンを柔らかく照らし、人々は期待と好奇心を胸に席につく。瑛士と千紗は後ろの方で見守る。胸が高鳴る。これが、自分たちが全力を尽くした結晶だ。


 「いくよ」

 千紗が合図すると、瑛士は再生ボタンを押す。部屋が暗くなり、最初は廊下の風景から映像が始まる。足音、風、笑い声、購買の行列、屋上から見下ろした校庭、図書室でページをめくる手、理科室のガラス器具が光を反射する様……五感をくすぐる日常の断片が、美しいリズムで繋がれていく。


 客席からは最初、静かなざわめきがあったが、次第に息を呑んで見入る空気に変わっていく。自分たちが映っているクラスメイトは、小さく微笑んだり、恥ずかしそうに身を縮めたり。麻里はスクリーンに映る自分の姿を見て、目を丸くする。カッコつけたポーズだけでなく、メイクを練習する真剣な表情も映っている。それが現実以上に彼女の人間性を引き出し、観客を惹きつける。


 鷹野が走るシーンになると、会場は息を詰める。朝の光の中、彼は懸命に地面を蹴り、汗を飛ばしながら前へ進む。その表情には覚悟と強い意志が刻まれている。これまでクールで不遜に見えた彼が、スクリーンの中では誰よりも純粋な情熱を放っている。鷹野自身が不意に目頭を押さえるように視線を外す。彼は自分の物語を、初めて客観的に見つめたのかもしれない。


 映像はクライマックスへ向かう。やがて夜の河川敷、花火が打ち上がり、色彩が空に咲き散る。最後に全員がカメラを見る瞬間が積み重ねられ、千紗の微笑がふわりと浮かび、映像は暗転する。音が消え、会場は一瞬の静寂に包まれる。


 次の瞬間、拍手が沸き起こった。大きな拍手や、涙を拭う仕草がここかしこに見られる。クラスメイトたちは互いの存在を確かめ合うように笑い合い、他のクラスの生徒や来場者も「すごく良かった」と口々に誉める。

 「なんだか、これが自分たちの日常だなんて、普段は気づかなかったね」

 「鷹野の走り、すげえな……」

 「麻里、めっちゃ真剣じゃん。知らなかったよ」

 人々の感想が重なり合い、会場は暖かな興奮に包まれる。


 南野が静かに扉の側で拍手しているのを見つけた千紗は、目でお礼を言う。南野は微笑み、軽く頷く。マスターの助言は、確かに彼らを導いてくれた。


 「やったね」

 瑛士が千紗に囁く。

 「うん、本当にやった……」

 千紗は涙目で笑う。その笑顔はまぶしいほど晴れやかだ。二人は、花火がなくても成立する作品を目指していたが、最後に花火が上がったことが幸福な偶然となり、作品に彩りを与えた。だが、仮に花火がなかったとしても、彼らはこの日常の輝きを世界に示すことができただろう。それほどに作品は成熟していた。


 上映が終わり、入れ替えで別の企画が始まるため、一旦会場を出る。廊下でクラスメイトたちが次々と声をかけてくる。

 「すごく良かった! なんか、今まで見逃してた日常を再発見した感じ」

 「瑛士、ありがとな。お前が撮った俺たち、なんかカッコよかったぜ」

 「千紗ちゃん、超感動した! 泣けたよ!」

 予想以上の反応に、二人は感無量だった。


 鷹野が無言で瑛士の肩を叩き、麻里は「次は私、本当にモデルになるから、その時また撮ってよ!」と笑う。クラスの空気は結束し、わだかまりは溶けている。それぞれが自分を肯定し、他者を理解し合う小さな一歩を踏み出した。


 人混みを抜け、校舎裏へ回った二人は、静かな場所で一息つく。風が爽やかに吹き、校庭からは他クラスの出店の喧騒が遠く響く。夏から秋へと季節が移ろう一瞬の時間、二人は肩を並べる。


 「……千紗」

 瑛士は小さな声で呼ぶ。彼女は振り向き、その瞳は映像完成後の安堵と余韻で満たされている。

 「何?」

 「俺、ずっと言いたかったんだ。君がいたから、俺はこの作品を通して、自分が何をしたい人間なのか見えた気がする。俺は誰かの物語を切り取って、形にするのが好きなんだと思う。君がそれに気づかせてくれた」

 千紗は微笑む。

 「私はあなたと一緒に、この一瞬を共有できたことが嬉しい。あなたがいなければ、私一人じゃここまでこれなかった」

 その言葉の裏にある感情は言わずもがなだろう。お互いを必要としている、その確信がここにある。


 瑛士は意を決して、千紗の手をそっと取る。彼女は驚いたように目を見開くが、拒まない。二人の手のひらには、今まで培ってきた信頼、共感、そしてまだ言葉にしていない恋情が宿っている。その温かさが何よりの証拠だ。


 遠くで他クラスの演劇の歓声が上がり、風が落ち葉を転がす音がする。五感が澄んで、世界が柔らかく揺らめく。青春は儚く、過ぎてゆく。でも、彼らはこの一瞬を映像に焼き付け、心に刻み、互いの存在で補完し合っている。


 「これから先も、また何か撮ろうか。次は文化祭後、特に何でもない日常でもいい。カメラを回して、またみんなの物語を集めよう」

 瑛士が言うと、千紗は笑って頷く。

 「うん、そうしよう。私たちには、まだまだ記録すべき『今』がいっぱいある」

 二人は手を繋いだまま、校舎に戻る。騒がしい廊下、風で揺れるポスター、鼻腔をくすぐる模擬店の食べ物の匂い、クラスメイトたちの笑顔。その全てが「今」を意味づける愛おしい断片だ。


 かくして、映像作品は大成功に終わり、クラスは一体感を取り戻し、彼らは青春という一瞬を己の中に刻み込んだ。花火、失敗、師の助言、仲間との和解——全てが一枚の大きな絵の中で共鳴し合い、読後に深い余韻を残す。青春の恋は淡く、だが確かに芽生え、彼らの未来を照らし始めている。


 空は透き通り、微かな秋の匂いが混ざる風に乗って、笑い声がどこまでも響いていく。このかけがえのない一瞬は、もう過ぎ去ってしまうが、映像と心の中に永遠に残る光のかけらとなって揺れているのだった。

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