46 不測の事態


 朝目を覚まして居間に出てみると、ヨウハさんがテーブルの前に座っているのが見えました。


「おはようございます。早起きですね」

「ん……ああ……おはよう」

「……寝てないんですか?」


 勘違いでなければ、彼の顔つきはいつもに比べて、とてもぼんやりとしています。

 瞼は常に半開きですし、背筋は曲がって髪が垂れ下がっています。

 なによりその声色からして、随分眠そうに見えました。


「別に、眠れなかったわけでは……ないんだが」

「そうなんですか……?」


 昨日の様子といい、今の様子といい、一体どうしてしまったのでしょう。

 やっぱりなにか、複雑な事情を抱えてしまっているのでしょうか。

 それこそ、私に相談するのも難しいような、特別な事情を……


「昨日は、すまなかった」

「え? えっと……」

「昨日の俺は、少し……おかしかっただろう」

「えっと……まあ、そうですね……」


 一瞬、言葉を濁そうかとも思いましたが、やめておきました。

 せっかく踏み込んで訊いてくれたのですから、正直に答えておくべきです。

 そうしなければ、きっと彼も事情を話しづらいと思いますし……なにより、誤魔化すような真似はあまりしたくありません。


「事情を聞いても?」

「ああ……少し、つまらない考えごとをしていた」

「考えごと……というと?」


 私が尋ねると、彼は深く息を吸い……何かを飲み込むように数秒沈黙したのち、私のことを真っ直ぐな目で見据えて、口を開きました。


「……いや、マスターに心構えを聞いたおかげで、随分と緊張してしまってな」

「ああ……なるほど?」

「それだけなんだ。気にしないでくれ」

「そうですか……」


 そう言われてしまえば、それ以上追及するのも難しく思えてしまって。

 誤魔化しや嘘を疑いたくなる気持ちを押さえて、私は口をつぐみます。

 ヨウハさんのことは、できるだけよく知りたいと思っていますが……そんな私の気持ちを優先するあまりに、必要以上の負担をかけたくはありません。


「大丈夫ですよ。浜辺の魔物や、ツノイシの群れも退けた私たちですから! これからもきっとうまくやっていけます」

「……そうだな」


 結局、私は彼の言うことを信じたふりをして、空元気のように言葉を合わせました。

 それに対して微笑むヨウハさんの表情の裏に……何か、別の意図が見えたような気がしたのは……きっと、気のせいではないのでしょうね。


◆◇◆◇◆


 昨夜見つけた地下室への階段が、頭の中にこびりついている。

 俺は結局、あれ以上歩みを進めることができなかった。


 それは、彼女にとって不都合かもしれない何かを知りたくなかったからだ。

 それは……自分の中で抱くカヤさんへの理想像が、崩れるかもしれないのが怖かったからだ。

 だから俺は、おそらく地下室にいたはずのカヤさんに気付かれる前に踵を返して、寝室へ戻った。


 本当にこれで、よかったのだろうか。

 答えはわからない。


 確かなことは、俺たちは今日もこうして二人で歩いて、冒険者ギルドを目指しているということ。街道を進む間、何度か会話は交わしていたが、そのどれもが事務的なものか、無理のある気遣いだったように思う。


 それでも、日常はまだ続いている。


 開け放たれた門を越え、両開きの扉に手をかけると、ギルド内の様子が見えた。

 早朝ということもあり、いつもに比べると随分と騒がしい。

 掲示板の前に多くの人が集まっているのを見るに、彼らは皆、エイビルムの冒険者なのだろう。


 俺たちも早くあの中に踏み入らなければ、受けられる依頼が無くなってしまうかもしれない。

 そう思って、俺が一歩踏み出そうとしたところで、カヤさんに手を掴まれた。


「待ってください。なんか……様子がおかしいです」


 そう言って彼女が手で差したのは、掲示板ではなく、カウンターの奥だった。

 依頼の受注を請け負っているはずの手前側ではなく、裏口へ続く扉の傍。

 そこには、他のギルド職員と難しい顔をして話し合っているマスターがいた。


「私、ちょっと聞いてきます」

「俺も行く」


 結局、二人そろって様子を見に行くと、マスターの方も気が付いたようだ。

 俺たちの顔を認めると、眉間のしわを少しだけ和らげたように思う。


「お前らか、二人とも無事でよかった」

「それって……どういうことですか?」


 無事も何も、マスターは昨日、俺たちの顔を見ているはずだ。

 あの後依頼に出たわけでもないのに、どうしてそんな言葉をかけるのだろうか。

 そんな疑問は、続く彼の言葉で解決することになる。


「北の山岳地帯を境界に、野獣や魔獣の大侵攻スタンピードが発生中だ。現在、エイビルムの人員を総出で防衛に向かわせているが……昨日言っていた新人が、それに巻き込まれた可能性がある」

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