第8話

 一週間後。午前中に花音から呼び出された旭は、欠伸をしながら商店街を歩いていた。待ち合わせ場所である、古びたカラオケ店の前で立ち止まる。と、


「旭!」


 ロングシャツを羽織り、スキニーパンツを履いた花音が、手を挙げながら走ってきた。


「ごめん、待った?」


「……いや、今来たとこ」


 黒いパーカーにグレーのズボンを履いた旭は、頭につけていた黒いヘッドホンを首に掛けた。


「で、なんでこんな時間にここなんだ?」


「え? 練習するためだよ?」


 花音が、さも当然のように首をかしげる。


「練習?」


「ほら、この間のデュエットは突然だったし、今回はちゃんと練習してからやりたいなって思って。ほら、行こ!」


 花音が旭の腕を取り、カラオケ店に入っていく。


「ちょ……!」


 声を上げる旭を無視し、花音はカウンターに向かった。


「あ、いらっしゃい、花音ちゃん。もしかして、その子が相棒?」


 カウンターにいた、二十代ほどの女性が笑いかけてくる。


「そうだよ。旭っていうの」


「旭君か。私はこころ。よろしくね」


 女性――こころはそういうと、レジを操作した。


「いつものプランでいい?」


「うん。お願いします」


 どうやら、花音は常連らしい。


「はい。十五番の部屋にお願いします」


 番号札を受け取った花音は、通路を進んだ。その後ろに旭がついて行く。


「……ここ、よく来るのか? 店員とやけに親しかったけど」


「うん。広場で歌うようになってからは、ほぼ毎週。その日歌う歌を一時間くらい練習してから行くよ」


「へー……」


 どうやら、ただ歌っている訳では無さそうだ。


「あ、ここだね」


 花音がピンク色の扉を開け、ソファにトートバッグを下ろす。


「飲み物取ってくるけど、何かいる? ドリンクバー頼んでるからなんでもいいよ」


「あー……いや、いいや。喉乾いてないし」


「オッケー」


 頷いた花音が、部屋を出ていく。


 ソファに座った旭は、大きなため息をついた。


 ここに来て、完全に花音のペースに飲まれている。好きな物には一直線で、頭より体が先に動くタイプなのだろうか。男子である旭に対しても、最初から距離が近かった。


(……とりあえず、あのこと、訊いてみるか)


 ちょうどいい機会だろう。


「お待たせー」


 オレンジジュースが入ったコップを持った花音が、部屋に戻ってくる。


「今日は何歌おうかなー」


 タブレットを操作する花音に、旭は「なあ」と声をかけた。


「ん?」


 花音がちらりと顔を上げる。


「お前、どこに住んでんだ?」


 そう訊いた途端、花音の手が止まった。


「お前、この辺には住んでないだろ? 俺の通ってた小中じゃ見たことないし、違う学区に住んでんだろ。なんでわざわざここ来て歌ってんだ?」

 

 花音の返事は、ない。


「おい?」


 花音の顔を見た旭はギョッとした。花音の顔から表情が消えていたからだ。目も、タブレットを見ているようで見ていない。どこか虚空に向いている。


「……おい、水沢」


 トントンと肩を叩くと、花音はハッとしたように旭を見上げた。


「どうした?」


「え? あ、ううん……なんでもない」


 そう言うが、どこか上の空だ。


 なんだか、訊いてはいけないことを訊いてしまったような気がして、旭は気まずそうにソファに座り直した。


「……悪い」


「え? 何が?」


 もはや、花音の中では話はなかったことになっているようだ。


「……いや」


 それならば、掘り返す必要は無い。


 だが、どうしてあんな反応をしたのだろう。


 タブレットを操作する花音を見ながら、旭は顔をしかめた。

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