第24話 浮気はどこからだと思う?

『私の部屋集合』


 そんな言葉がグループチャットに貼られたのはあれから1時間半が経った頃。


 その辺に投げ捨てた制服を拾い上げ、気怠くなった体をやおらに動かしながら身に纏った俺と瑞月は美結の部屋の前でお互いの顔を見る。


「……私の顔、変じゃない……?」

「いつも通りだ。……多分」

「なんで確信がないの……!?」

「……さっきから蕩けた顔しか見てなかったからな……」

「――っ!祐希くんのバカ!やっぱりデリカシーない!」


 パシッと軽く腕を叩かれる俺は苦笑を浮かべるが、顔を赤に染めた瑞月は先程の行動とは裏腹に唇を尖らせた。


「……だって、んだもん……」

「快楽じゃなくて?」

「そ、それもあるけど……!それ以上に確かめるほうが嬉しいの……!!」

「……ほーん……」


 こちらを見上げる瑞月に細めた目を向ける俺だが、その奥で罪悪感を身に纏う。


「まぁ俺も確かめられて嬉しいんだけどさ」


 そんな罪悪感から逃げるようにドアノブに手をかけた俺は、一応髪を整えるために毛先を触りながら扉を押した。


「呼んでから随分遅かったね」

「ん?まぁ色々あってな」

「瑞月が顔を赤くしてるのになにか関係ある?」

「まぁ……うん」


 いつまで赤くしてるんだよと言いたいところだが、まずはこの部屋からだろう。


 匂いを逃がすために開けられた窓は全開で、ベッドを隠すように広げられたブランケットは怪しさ満載。


 極めつけにはベッドに座る美結に対し、椅子に座る匠海はなんともまぁ気まずそうだ。


「……匠海くん分かりやすいね……」

「瑞月もだろ……!」


 お互いに赤くなった頬を向け合う瑞月と匠海。


 そんな中、俺と美結も目を合わせ――刹那、『ベー』っと目元を引っ張って舌を出されてしまう。


「匠海。どうやら美結の機嫌が治ってないみたいだぞ?」

「……すまん。けど!これでもだいぶマシになったほうだぜ!?」

「それはなんとなく分かる」


 現に、こうして目を合わせてくれているのだから、匠海もそれなりに頑張ったのだろう。


「それで?これから美結の機嫌を取る会でもするのか?」

「……ちげーよ。あんま爆弾発言すんな……」

「ごめんごめん」


 俺の謝罪が間に合わなかったのだろう。

 腕を組み、そっぽを向く美結に匠海は苦笑を浮かべる。


「ほらぁ……」

「ごめんって。それで?なにするんだ?」

「……明日のことを話す」


 まるで『メンタル強者』だと言わんばかりに細める瞳の下から紡がれる言葉。


「ん?明日?」

「そう。明日って土曜日だろ?だから遊園地でも行こうかなって」

「つまりはダブルデートってやつだよね?行こ行こ!久しぶりにするから楽しみ!!」


 突然顔を割り込ませるのは赤面なんて振りほどいた瑞月。


 そして俺の腕に抱きつき、ねだるように上目遣いを向けてくる。


「彼女はそう言ってるけどどうする?」

「俺は別にいいんだけど、美結は許可したのか?」


「やったっ!」と小さくボヤく瑞月から視線を美結に向ける。


 さすればやっとこっちを見てくれた美結は相変わらず眉間にシワを寄せ、


「私が提案したんです!」

「あーなるほど?」

「そういうこと。というわけで明日は遊園地」

「やったっ!!」


 今度は包み隠すこともなく喜びを顕にする瑞月の顔にあるのは、数十分前の緩んだ頬を彷彿とさせない笑顔。


「集合時間は追々グループに送るよ」

「あいよ」

「わかった!」


 俺と瑞月が頷いてやれば、椅子から腰を上げた匠海はカバンを拾い上げる。


「んじゃ時間も時間だからそろそろ帰るわ」

「……ん、また明日。匠海」

「おう、また明日」


 美結の言葉に笑顔を返す匠海は俺たちの隣を通り抜ける――こともなく、なぜかポンッと俺の肩に手を乗せた匠海。


「な、なんだ……?」

「美結にデリカシーないこと言うなよ?」

「……はい。もう言いません」

「言質取ったからな」

「…………はい」


 脅し文句を淡々と並べる匠海は不意に笑顔を浮かべる。


 正直言ってその笑顔は不適で、悍ましい。


「んじゃまた明日」

「あ、下まで送っていく――」

「いや大丈夫。まだ親いないんだろ?」

「いないと思うけど……」

「じゃあ大丈夫。んじゃまた明日」

「……おう、また明日」


 そうして扉を潜った匠海の姿がこの部屋から消えた。


「安心して、祐希くん」


 階段を降りる音が聞こえる中、未だに腕を掴む瑞月がこちらを見上げながら言葉を続ける。


「匠海くんになにかされたら私が匠海くんをボコボコにするから」

「……力の差ってものがあるだろ」

「その辺は安心して!私、結構空手は得意としてるから!」

「……初耳なんだけど」

「え?言ってなかった?一応黒帯のお父さんに教えてもらってるんだけど」

「…………言ってないな」

「そっか。じゃあ今言ったからもう忘れないでね?」

「……はい」


 ギュッと腕を掴む力が強まったのは気のせいだろうか。


 思わず頬を引き攣ってしまう俺なんて他所に、笑みを浮かべる瑞月はパッとその手を離した。


「それじゃあ私もそろそろおいとまさせてもらおうかな?明日のためにいっぱい寝たいし」

「了解。んじゃ下まで送っていく――」

「それは大丈夫!とりあえず祐希くんは美結にちゃんと謝ってねぇ〜」

「……はい」


 あっという間に断りを入れた瑞月は「ばいば〜い」と美結に手を振り、カバンを取りに俺の部屋へと入った。


 なにも漁られていないかを確認するために続くように俺も部屋を後にし、自分の部屋に顔を覗か――


「謝ったの?」

「……いえ、まだです」

「早く謝ってきなさいー!」

「はい……!」


 カバンを手に持った瑞月は扉を潜りながら命令してくる。


 そんな瑞月に駆り立てられるように慌てて美結の部屋に戻った俺は、タタタッと階段を降りていく瑞月の足音を耳に入れ――ふっと笑みを零した。


「そんなに怖かったの?」


 背後から聞こえるのは、俺と同じように「ふふっ」と笑みをこぼした美結の声。


 念の為、「お邪魔しましたー!」という瑞月の声とともに玄関が閉まるのを確認した俺は、やっと美結のことを見る。


「こえーよ流石に……」

「ちなみに私も怖かったんだけどね」

「だろ?」


 はたしてこの『怖い』は瑞月に対して言っているのか。はたまた、ことに対してだろうか。


 きっと、そのどちらもだろう。


 扉からベッドへと移動した俺は、美結の隣に腰を下ろす。


「頬大丈夫?」


 さすればやっと目を合わせてくれた美結は顔を覗かせる。


「……クソ痛いわ……」

「でしょうね。私のフルスイングを喰らったわけだし」

「演技だったのになぜ……?」

「いやあれは演技じゃない。普通にデリカシー無さすぎ」

「……はい。すみません……」


 なぜか誇らしげに胸を張ったかと思えば、次にジト目を向けてくる美結。


「で、でもあれしか逃げ道はなかったんだよ……!」

「それは分かるけどさぁ。もっとやり方ってものがあったんじゃない?」

「じゃあ怒りを顕にさせるなっての……!!」


 膝に手を乗せながらも目頭を立てる俺に、美結は「ふんっ!」と演技ではなく素で顔を逸らした。


「まぁでも、今回は私にも非があるから許してあげる」

「そりゃどうも……!」

「けど、次デリカシーないこと言ったら往復ビンタするからね」

「……はい」


 キッと睨みを向けてくる美結に気圧された俺は目頭と頭を下げる。


 さすれば美結は小さくため息を吐き――


「……それもよりも、さっきは随分とお楽しみだったようですね……」

「……お互い様だろ」

「私は別に楽しんでませんけどね?」

「嘘つけ。誘ったのお前だろ。『ストレス発散させて』とか言ってたじゃねーか」

「…………まって?なんで知ってるの?」

「壁に耳あり障子に目あり」

「盗み聞きしないでくれますか……!!」


 俺の肩を掴んだ美結はブンブンと揺らしてくるが、ここの壁が薄いことに文句を言ってくれ。


「ふっ」と小さく笑みを浮かべた俺は、振り回される腕を制御しながらゴミ箱を指差す。


「ちゃんとティッシュに包んでから捨てろよあれ」

「――っ!」


 刹那に目を見開く美結は肩から手を離し、慌ててゴミ箱に飛びつく。


「……慌てすぎだろ」

「慌てるでしょ!というかまたビンタされたいの!?」

「なんでだよ。普通に忠告しただけだぞ?」

「じゃあ祐希は女の子に『明日生理だからナプキン持ってこいよ』とか言うの!?そんな忠告するの!?」

「……それとこれとは違うくね……?」

「一緒です!全く持って一緒です!!」


 目頭を立てた美結は手早にティッシュを抜き取り、ゴムを包み込む。


「一緒ならすまん……」

「謝るなら最初から!それができないから私たち、別れたんだよ!?」

「…………自分で言っててどうなんだ?それ……」


 下げた頭から上を向けば、ティッシュを手放した美結が顔を背けながら腰を上げている。


「……私にもダメージが来た」

「……でしょうね」

「「……」」


 そうして沈黙が訪れた。


 初めに俺が変なことを口にしたのも悪いとは思う。けど、それ以上に美結の発言のほうがダメじゃないか?


「……なに」

「いえ、なんにも」


 まるで俺の思考を読み取ったかのように睨みを向けてくる美結に、再度頭を下げる。


「……話変えよっか」

「そう……だな」


 こちらに歩み寄ってくる美結の言葉に頷いてやれば、静寂を断ち切るようにドカッとベッドに腰掛ける美結。


「それで?楽しかった?」

「……楽しかった?」

「うん。さっきしてたんでしょ?」

「あー……え、俺にそれ聞く?」

「当たり前でしょ」

「なぜ……?」

「そりゃぁ……あれよ。あれ……」


 美結の視線が逸らされる。

 それに伴って頬を赤く染めた。


 正直、美結がなにを言わんとするのかは手に取るように分かる。


「……


 ふいっと顔を背けながら紡ぐ俺に、まるで物珍しいものでも見たかのように目を見開いた美結は勢いよく顔を振り向かせる。


「な、なんで分かって……!」

「ファミレスの発言から大体察せる。というか驚くのそこじゃないだろ」

「い、今頭の整理してるの……!」

「なぜに」

「だ、だってあれだけ激しくやってたんだよ!?私のなんて激しさの欠片もないじゃん!」

「…………とんでもないこと口走ってんな」

「いや気になるでしょ!」


 あわあわと腕を右往左往する美結は果たしてなにをしたいのだろうか。


 小さくため息を吐いた俺は右手を上げ、軽く美結の頭にチョップをかました。


「え、な、なに……?」

「1回冷静になれ」

「別に冷静だけど……」

「嘘つけ」


 肩を跳ねさせた美結は、まるで子どものようにしおらしくなり、頭を抑えながらこちらを見上げてくる。


「……だ、だって気になるじゃん……」


 そうして尖らせた口から紡ぎ始めた。


「なぜに」

「…………言わないとだめ?」

「そりゃ聞いたのは美結だからな」

「……わかった」


 落ち着きを取り戻した美結は素直に俺の言葉に従い、膝の上に手を置いてゆっくりと口を開きだす。


「…………正直、祐希のことで優越感に浸りかった」

「はぁ……?」

「呆れないでくれます!?私は至って真面目なんです!」

「分かってる分かってる。俺が聞きたいのはこの状況だけでも優越感に浸れるだろ?ってこと」

「そうなんだけどさぁ……」


 見るからに不貞腐れている美結だが、俺も美結と同じだ。


 美結と匠海が始めようとした時に、とてつもない劣等感に苛まれたのは言わずとも。

 そして、その劣等感を瑞月にぶつけていたことも事実。


「ちなみに俺も優越感に浸りたい」

「え?」


 こうして美結も言ってくれたのだから、俺も口にするのが筋というものだろう。


 体の後ろに手をついた俺は、ため息を吐きながら天井を見上げた。


「昨日も一昨日も散々美結と一緒に居たのに、この一瞬で劣等感に苛まれた」

「…………祐希もなんだ」

「うん。正直、『なんで美結から誘うの?』って思った」

「それは……ごめん。色々の」

「……試したかった?」

「うん」


 流し目に美結のことを見やれば、ジッとこちらを見る美結と目が合う。


「私ね、多分もうと思う」

「……どゆことだ?」


 俺が首を傾げるのも必然。

 けれど、俺の疑問を嘲笑うかのように笑みを零した美結は、


「昨日あれだけ『好き』って言ったからだと思う。私の気持ちを止めていた蛇口が捻られたの」

「……」

「匠海に言ってた『好き』がまるで嘘のように、昨日祐希に言った『好き』が1番しっくり来るし、心が満たされるの」

「…………つまり?」


 これも、美結の言いたいことが大体分かる。


 けれどこの言葉は自分で言うべきだ。

 そして、『優越感』に浸りたい俺が、その言葉を求めている。

 その言葉を美結の口から聞くことを。


「私ね?もうの」


 全身に『快楽』が駆け巡る。

 全身に鳥肌が張り巡らされる。


 心の底から湧き出るのは『優越感』と『多幸感』。


 思わず緩みそうになる頬を堪える俺は、真摯な眼差しを浮かべる美結をしっかりと見つめ直す。


「美結。ちょっと目、閉じてくんない?」

「……うん」


 まるで求めていたと言わんばかりにその目が閉じられる。

 なんの抵抗もなく、と言わんばかりに。


「…………んっ」


 ――静かに柔らかな唇と唇が触れた。

 ドラマやアニメ。瑞月とのキスとは違い、リップ音なんてひとつも鳴らない。


 静かにくっつき、静かに離れる。


「…………美結。?」

「………………」

「……俺も同意見」

「……じゃあ……――んむっ」


 高校生の好きな人が変わるように、浮気の基準なんてすぐに変わる。

 自分の都合が良い方に好意は傾くし、目を向けたくなる。


 ――俺たちは、昔の一線を越えた


 ――けれど、新しく引き直した線の内側で足を踏ん張る


 泥のように鬱陶しく、沼のようにしつこく。


「……祐希……」


 美結の俺を呼ぶ声はきっと生涯忘れることはないだろう。

 どんなに老けても、骨だけになろうが、忘れない――いや、忘れるつもりはない。


「……手、繋いで……」

「……うん……」


 指と舌が絡まる。

 ついさっきまでできないと思っていたことが、現実になっている。


 服を脱がしたりなんてしない。

 快楽を求めようなんてしない。


 俺たちはただ、『キス』をすることで得られるこの『背徳感』と『優越感』に浸っている。


 キスだけでいい。

 今、この時間だけはキスだけでいい。

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