3. 読書タイム  ~新聞記事・騎士の基盤

 部屋に入ると、まず手に持っていた白百合を花瓶に生けた。

 そして兜を外し、肩を軽く回す。金属の重みから解放されると、兜がない事の違和感を感じつつ、ようやく体が休まる気がした。

 動きやすい服に着替え、細々とした支度を済ませると、新聞を手に取って椅子に腰を下ろす。

 

 新聞は最近、と言っても5年ほど前から発刊され始めたものだ。ここ十年ほど平和が続いたからこそ、生まれた文化なのだろう。


 部下たちは新聞を読む私を見て、「団長は私金を使って情勢を学ぼうとするなんて、すごいですね!」と褒めてくれる。

 確かに、買った新聞の記事は全てに目を通すようにはしているが、それが一番の目的ではないために、なんとも言えない。


 少し気恥ずかしさを覚えながら、新聞の表紙へ視線を落とした。

 さて、重要そうなのは……。


 『貴族の派閥争い、次の王位継承に影響は?』

 『国同士の交換研修、技術の循環』

 『モンスター被害拡大、東の森林に危険地帯』

 『新たな商会、辺境に開店』


 「ふむ。」


 この辺りは、すでに騎士団を通じて把握している。

 重要なのは、民間ではどう伝えられているかだ。貴族派閥の動向については、やや誇張されているようだが、騒動になるほどではないだろう。

 

 記事を読みながらページをめくっていくと、目当ての記事が見つかる。


『今週のイチオシの料理』


 このコラムは4年前から続いている。記者が国民に話を聞き、実際に店を訪れ、美味しかった料理を紹介するというものだ。

 だが、残念なことに、最近では掲載される店のほとんどが高級店となっている。以前は庶民向けの店が多く紹介されていたが、記者の舌が肥えたのか、高級料理ばかり並ぶようになってしまった。


 今回の掲載店は3軒。これは運がいい。



◎ 中央区『リューン亭』

 「塩豚のポテ」

 1週間仕込んだ塩豚と新鮮な野菜を使った煮込み料理。熟成・発酵させた塩豚の旨味が溶けだしたスープは、パンとの相性も抜群。店の主人いわく「澄んだスープに仕上げるのがこだわり」だそうだ。

 ただし、値段もそれなりに高い。


◎ 職人区『カザ二ア食堂』

 「炭火焼き仔牛のロースト」

 じっくり焼かれた仔牛の肉は、炭の香ばしさとともに甘みを引き出し、特製の赤ワインソースが味に深みを加える。記者いわく「これほど洗練された肉料理は久しぶり」とのこと。

 高級店だが、昼は比較的リーズナブルな価格で提供している。


◎ 商業区『グランエル』

 「キッシュ風オムレツ」

 ふわふわの卵に濃厚なチーズの香りが広がる贅沢な一品。口に入れた瞬間、芳醇な風味が広がり、卵のまろやかさと合わさって素晴らしい味わいを生み出す。チーズは自家製で、料理に合うように特殊な手法を施しているという。

 値段は、通うには高めといったところか。



 「ほう。」


 中央区の店は高級すぎるとして、狙い目は職人区のカザ二ア食堂か。

 赤ワインソースは魅力的だ、加えて値段も手ごろなら、試してみる価値はありそうだ。


 そう考えながら、ふと過去の記事を思い出す。


 まだこのコラムが始まったばかりの頃、取り上げられていたのは小さな食堂ばかりだった。

 それらの店には、一度足を運んだことがある。

 庶民の賑わいの中、素朴ながらも温かみのある料理。入り組んだ路地の奥にたたずむ、落ち着いた雰囲気の店。

 あの頃のコラムは、まだ民の目線に近かった。


 今では、高級店が並ぶコラムを見ながら、

 「さて、庶民向けの料理はどこだ?」

 と探すようになってしまった。


 その他の記事にも目を通し、料理のコラムが見やすいように新聞を畳む。


 「さて……次の休みにはどの店に行くか。」


 腕を組み、しばし考える。


 たまの休みくらい、美味いものを食べに行くのも悪くない。



---



 新聞を手近な棚へしまおうとしたとき、とある本が目に留まった。


 『騎士の基盤 ~若き騎士たちへ』


 十数年前、私がまだ騎士になりたての頃に読んだ本だ。

 当時の騎士団長から「読んでおけ」と渡されたもので、騎士としての心構えや、生き方について書かれている。

 しかし、ただ堅苦しい指南書ではない。物語風に書かれており、騎士としての成長を追探検できるようになっている。

 読みやすく、それでいて内容も面白いため、当時は何度も読み返した。


 「ふむ。」


 これなら、ちょうどいいかもしれない。

 本を探していたのは、新聞を読む私を褒めていた部下の一人、エルモットのためだ。

 彼は剣の腕も立ち、家事も得意な優秀な騎士だが、どうにも長い文章を読むのが苦手らしい。


 そんな彼が先日、苦手を克服する方法を尋ねてきた。そのときは「自分の興味がある本を読んでみるといい」とだけ返したが、少しでも本に関心が湧くために、何か手渡してやりたいと思っていた。

 この本の文章は長いが面白く、エルモットのような実直な者には、合いやすいだろう。

 彼が興味を持ってくれれば、それでいいし。もし読まなくても、それはそれでいい。きっかけになるだけでも、いいことだ。


 背表紙を指でなぞりながら、そっと本を引き抜く。

 表紙は少し色あせていたが、中身はしっかりしている。

 私は椅子に座ることを忘れ、ぱらぱらとページをめくった。内容が思い出されるたびに、昔の記憶が次々とよみがえる。


 初めてこの本を手にした日......。

 若き日の自分が、胸を高鳴らせながら読んだ夜......。

 ......。


 そして、本の最後のページ。

 そこには、見覚えのある文字が残されていた。


 「あぁ。」


 思わず声が漏れる。

 それは、私が初めてこの本を読み終えたときに書いた、自分への誓いだった。


 『己の剣を、人を守るために振うこと』

 『どんなときも、弱き者の盾であること』

 『後悔のない戦いをすること』


 若き日の自分が刻んだ言葉。

 あの頃、私は何を思い、この誓いを残したのか。


 「......。」


 今、この本をエルモットに渡すのは、やめておこう。

 誰かに手渡すなら、新しいものを用意すべきだ。


 私はそっと指でメモをなぞり、本を閉じる。

 そして机の端に静かに置いた。


 「さて。」


 窓の外に目を向けると、夜の静寂が広がっていた。

 街の喧騒はすでに収まり、遠くで誰かの話し声がわずかに響いているだけだった。


 明日が来れば、また忙しくなる。

 だが、こうして本を選ぶ時間も、悪くはない。


 ふっと息をつき、机の上の白百合へ視線を落とす。

 白く、静かに咲く花。


 今日の一日を思い返しながら、そっと目を閉じた。

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盤石ナイトの〇〇タイム 恐ろしいほどに鮮やかな白黒の世界 @Nyutaro

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