夜の村雨
レンズマン
第1話 夜の村雨
例えば、雨が降る夜だったとする。
雨は熱を奪う。触れたものを汚し、或いは洗い流す。
人は雨を嫌って傘を差すか、屋根の下に逃れることになる。
どうしてもそれができない人がいる。
家を追い出された哀れな夫。或いは馬鹿な女。文無しのクズ。人それぞれ事情があるもんさ。
で、俺。
ヘマやらかしてボコボコにされて、ゴミ箱に頭から突っ込んだこの惨めな奴。
気絶したふりして明日の我が身を憐れんで居たら、お尻に雨粒がぽつり。じょーだんじゃないぜ。泣きっ面に蜂、ボコボコに雨。神様はどこまでも容赦がない。
「あの、つかぬことをお伺いしまする」
蚊の泣くような声だった。ハスキーボイスって奴?あんまり覇気がないもんで、俺は一回無視しちまった。
「もし、そこの……お尻の方」
「アッ!」
こいつ、俺の尻を触りやがった!高いんだぞ、俺の尻は!
抗議してやるつもりで俺はゴミ箱から這い出る。耳の上で切り揃えた藍色の髪、切れ長の睫毛。下唇に二つ、左耳に二つのピアス。この美貌がゴミ箱から現れたんだ、存分に驚くがいい。
だが、俺の前に居た「おちび」は俺を見てもノーリアクションだった。この四頭身くらいのガキは桃色のクリームみたいな髪が浮世離れして、俯きがちに大事そうに何かを抱えている。なんかちょっと気持ち悪い。
「つかぬことをお伺いしまする」
な、なんだよ
「つかれておいでですか」
は?
「貴方様は、つかれておいでですか」
相変わらず俯きがちのガキはこっちを見上げることもしないで、意味わからんことを繰り返しやがる。しかも、俯いてる顔をよく見たら目を閉じていやがった。前見えてるのか?
もういいや。尻を触ったことを抗議してやろうと思ったが、ガキ相手にマジになるのもあほらし。
その辺に落ちてた俺のサンダルを履いて、あばよとした。
「お待ちください。貴方はつかれておいでですよ」
むかっ。
「倒れてしまいますよ」
むかかっ
「ぶっ倒れ遊ばせまする」
「いー加減にしやがれ!」
しつこい言い草に頭にきて、柄にもなく怒ってしまった。
「この俺が疲れてるだとォ?んな暇、俺にはありゃしないんだよ!このクソ忙しいときに呼び止めやがって、人生相談するにゃ俺はまだピチピチだっつーの!」
「しかし、いま、貴方様はゴミ箱にて人生を瞑想されていらしたのでは」
「ちょっと浸ってただけだっつーの!ポエム読むくらいいいだろが!」
「はあ」
はーっ、はーっ。なんだこの餓鬼。知った風な口を聞きやがって。
いや、いかんいかん。こんな年下のおちびに何をムキになっとるか。
いいか、おちび。俺は人生という名の長い迷路に迷っている子羊に見えるだろう。だか、実際は希望を抱いて夢を探す探求者。決して暇人などではない。わかったかね?
あと、疲れてない。
「はあ。それは、なんといいますか。大変でございまする」
心中お察しします、とでも言いたげだな、こやつ。おっと、俺まで古臭い口調になってしまいそうだ。
結局何がしたいのかわからんが。よくわからんやつとはつるまないのが一番だ。今度こそ、あばよとする。
ぐわし。
ん?なんとも力強く掴む音、ていうか痛い!!俺の足を、なんかが掴んで、おわあああ!!宙ぶらりんになった!見えちゃう!
「ですから、憑かれていると申しておりまする」
漢字それかよ!
てか、憑かれてるって、悪霊に!?なんで俺が!?
やめろ、顔近づけるな!美味しくないぞ!確かに顔は良いけど、ゴミ箱の匂いとかするって!うわ、よく見たら顔いっぱいある!!影の中に白いお面がたくさんある!!
「下級怨霊・影の人。お面の数は取り込まれた死者の数。元は小さく生者ですら踏みつぶせる雑魚にござりまするが、運良く死にかけの人間を憑り殺して成長すると、このように身の丈八尺にも成長することがござりまする」
丁寧にありがとね!道理ででっかくなったわけだ!畜生、なんだってこんな時に。
「影の人は弱い怨霊でござりまする。弱り目を狙うのは定石でござりますれば。しかし、それ以上に孤独な者を狙います。独りは弱い。助けは来ぬと、軽んじるのです」
「なんだと」
じゃあ、なにかい。こいつは俺が弱く見えて、寂しそうだから喰ってやろうって俺を狙ったのか?
「テメェざけんじゃねえぞ!俺は寂しくなんかねー!」
『うぎゃぎゃぎゃぎゃ』
「笑うなコラァ!群れるしか能のねェ輩が、一丁前に一人で生きてる人間馬鹿にしてんじゃねェっつぅんだ、アァ!?お面の数が殺した人数?マウントのつもりかよ!そんなチャチなことばっかやってるから死んでも死にきれない、未練たらたらの雑魚呼ばわりされるんだろが!そんなに未練があるなら何で生きてる間に死ぬ物狂いで生きなかった!?どうせどうしようもなかったとか抜かすんだろ!対して努力もしてないくせに、笑わせる!」
『ぐぎいいい』
「怒りやがった!ギャハハ、怨霊が怒りやがったぜ!こりゃ傑作だ……げぼーっ!?」
力任せに振り回し始めやがった!め、目が回る~!
「感服いたしました、藍殿。結構な罵倒のお手前にて、某、心臓に電流走りましてござりまする」
呑気か!
「お返しにて、いっとう」
いっとう?クジ?馬?いや、その抱えてる奴、もしかしなくても……刀?
ずばっ!
例えば、雨が上がったとする。
熱を奪われた空気はまだ寒い。洗い流された汚れは地面に溜まったまま。
蝸牛みたいに引きこもってた人間がやっと出てきても、誰も掃除なんかしないだろうさ。
で、俺。
知ってるかい。雨で汚れたごみ箱は、これまた格別に臭いんだ。う”ぉえ、ぎええ、鼻が曲がりそうだ。流石に今回はここに長居は出来そうにない。
「おあとがよろしいようで」
おい、こら待ておちび。勝手に行こうとするな。
「はて。藍殿は格別お忙しいような口ぶりでございました故、お邪魔も失礼かと存じましたが」
馬鹿かお前。この俺の『ありがとう』が要らねェってのか?
「!」
お。一丁前に頬が赤くなりやがった。ずっと目は閉じたままだが、可愛げもあるじゃないか。
「某、珍妙な髪色に加え悪鬼羅刹殺しを生業とする異端者でござる。怯え、気味悪がられることはあっても、感謝されることは極々稀にて。びっくり仰天いたしました」
いや、そこまで驚いてないだろ。あと、一番奇妙なのは、ずっと目を閉じてるところだと思うんだけどな。
「藍殿は大変素直な方でございます。お爺様の言われた通りでした。では、御免」
これこれこれ!だから行こうとするな。
名前。何で知っとる?俺、名乗ってないぞ。
「家族写真を見たことがありました故。申し遅れました、私、雨野村雨と申します」
「雨野ォ!?お前、雨野家の人間だったのか」
「はい。第15代正統後継者の称号を恐れ多くも相承致しました」
じゅ、じゅうご。ってことは……。
「はい。貴方様の兄・緑扇様の子にござりまする」
「甥っ子ォ!?」
「左様で」
い、いやいや。じゃあ、あの馬鹿兄貴は一体何してるんだ。
「……父は死に申した」
「は?」
「詳しくはわかりませぬ。ただ、ランドセルを片づけていたらスマフォにビデオ通話が到り、お爺様より任命頂きました。ただいま、その理由を問いに北へ向かうところにございます」
あの爺さんが住むの北海道だろ?行けんのかよ。
「はて。歩いていればいつか、辿り着くかと」
いや海挟んでるんだぞ。仮にお前が人間離れしててもそんなに泳げんだろ。……イヤ餓鬼ひとりで行けるわけねェわ!普通に何言ってんだお前、流されてた……。
「しかし、伝手がございませぬ。某、修業中の身にて、友達もおりませぬ故」
あ、呆れた。お前、誰も教えてくれなかったのか?
「何をです?」
きょとんとしやがって。良いか、教えてやる。子供はな、困ったら大人を頼るもんなんだよ。
「はあ。しかし、某に頼れる大人などおりませぬ」
「居るだろ。ここに」
「?」
俺だよ、俺!
「……盲点にございました」
なんだ、俺じゃ不服か。
「滅相もございませぬ。ただ、たまたま近くに立ち寄っただけのつもりでした故、力を借りるつもりなど毛頭ありませんでした。某の至らぬ脳みそでは発想に至りませぬ」
ふん。だから嫌いだ、あの家。子供を道具みたいに使いやがって。
修業の前に義務教育通わせろってんだ。
「お怒りにならないでください。必要な力でございます」
……お前、村雨とか言ったな。
「はい」
俺は藍。
「存じております。雨野藍様」
「違う!ただの、『藍』」
俺は、雨野を捨てた。ただの藍だ。
「……わかりました。只野藍さまにございますね」
そうだ。ん、いや、違う!ただの、藍!
「はあ。では、ただの藍さま。北へはどうやって向かいまするか」
おい、その漢字誤魔化す奴どうやってやるんだ。俺にも教えろ!
「はて、何のことやら。叔母様」
「オバサマって呼ぶな!」
てなもんで、この俺「藍」は刀を抱えた餓鬼「村雨」を拾っちまった。
その日暮らしの気楽な俺の人生が、どうなっちまうのか。この続きは、ま、適当な夜にでも話してやるよ。
つづく。
夜の村雨 レンズマン @kurosu0928
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