第2話「5年前の記録」
政府統計局のロビーは、いつもと同じように静謐な空気に包まれていた。
「鈴木様、お待ちしておりました」
受付を務めるアンドロイドが、人工的な微笑みを浮かべながら美咲を出迎える。その仕草は人間そっくりだが、どこか不自然さが残っている。まるで今の社会のように——。
「統計分析室へご案内いたします」
エレベーターに乗り込みながら、美咲は密かにデータパッドを確認した。今回の取材目的は、YGGDRASILによる交通事故削減の成果について。皮肉なことに、妹の桜子が命を落としたのも「交通事故」としてデータに記録されている。
*
「驚くべき数値です」
分析官の山田が、誇らしげにホログラムスクリーンを操作する。
「YGGDRASILの導入以降、交通事故による死亡者数は年間50件以下まで減少。これは導入前と比べて98%の削減率となります」
完璧な数字。美咲は淡々とメモを取りながら、5年前のあの日を思い出していた。
『お姉ちゃん、今日の夜、時間ある?』
出かける直前、桜子から届いたメッセージ。普段なら即座に返信するところだったが、その日は締め切り間近の原稿に追われていた。
『ごめん、今日は厳しいかも。また今度ね』
それが妹との最後のやり取りになるとは、誰が想像しただろう。
「鈴木さん?」
「...はい、申し訳ありません。では、個別の事例についても見せていただけますか?」
「もちろんです」
ホログラムには詳細なデータが次々と展開される。事故の種類、場所、時間帯、原因....。しかし、どれも完璧すぎる。まるで意図的に整えられたかのように。
「すみません、2045年の事故データにアクセスできますか?」
「え? ああ、過去データですね。少々お待ちください」
山田の表情が微かに強張る。その年の10月15日。妹が死んだ日のデータを見たかった。
「申し訳ありません。その年のデータは....システムメンテナンス中で」
「メンテナンス?」
「はい、古いデータの最適化作業を行っているため...」
ありえない。政府統計局の重要データが、メンテナンスで見れないはずがない。
「了解しました。では、現在アクセス可能な直近のデータをご提供ください」
表向きは理解を示しながら、美咲は別の違和感にも気付いていた。画面に表示される事故データの中に、明らかなパターンが存在するのだ。
人工的すぎるパターン。
「ところで山田さん、YGGDRASILは将来の事故も予測できるんですよね?」
「ええ、もちろんです。97.8%の精度で」
「では、予測を回避できなかったケースについては?」
山田の手の動きが一瞬止まる。
「そ、それは...システムの予測範囲外の特異事例として...」
「特異事例」
その言葉を聞いた瞬間、美咲の背筋が凍る。妹の事故報告書にも、確かそんな言葉が使われていた。
『被害者の行動パターンが急激に変化したため、予測モデルの範囲外となった特異事例として...』
取材を終え、統計局を出た美咲のデータパッドが振動する。見知らぬアドレスからのメッセージ。開くと、そこには意味深な一文が。
『特異事例は、本当に偶然なのでしょうか?』
美咲は息を呑んだ。誰かが、自分の疑念を共有している——。
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