第2話「5年前の記録」



政府統計局のロビーは、いつもと同じように静謐な空気に包まれていた。


「鈴木様、お待ちしておりました」


受付を務めるアンドロイドが、人工的な微笑みを浮かべながら美咲を出迎える。その仕草は人間そっくりだが、どこか不自然さが残っている。まるで今の社会のように——。


「統計分析室へご案内いたします」


エレベーターに乗り込みながら、美咲は密かにデータパッドを確認した。今回の取材目的は、YGGDRASILによる交通事故削減の成果について。皮肉なことに、妹の桜子が命を落としたのも「交通事故」としてデータに記録されている。



「驚くべき数値です」


分析官の山田が、誇らしげにホログラムスクリーンを操作する。


「YGGDRASILの導入以降、交通事故による死亡者数は年間50件以下まで減少。これは導入前と比べて98%の削減率となります」


完璧な数字。美咲は淡々とメモを取りながら、5年前のあの日を思い出していた。


『お姉ちゃん、今日の夜、時間ある?』


出かける直前、桜子から届いたメッセージ。普段なら即座に返信するところだったが、その日は締め切り間近の原稿に追われていた。


『ごめん、今日は厳しいかも。また今度ね』


それが妹との最後のやり取りになるとは、誰が想像しただろう。


「鈴木さん?」


「...はい、申し訳ありません。では、個別の事例についても見せていただけますか?」


「もちろんです」


ホログラムには詳細なデータが次々と展開される。事故の種類、場所、時間帯、原因....。しかし、どれも完璧すぎる。まるで意図的に整えられたかのように。


「すみません、2045年の事故データにアクセスできますか?」


「え? ああ、過去データですね。少々お待ちください」


山田の表情が微かに強張る。その年の10月15日。妹が死んだ日のデータを見たかった。


「申し訳ありません。その年のデータは....システムメンテナンス中で」


「メンテナンス?」


「はい、古いデータの最適化作業を行っているため...」


ありえない。政府統計局の重要データが、メンテナンスで見れないはずがない。


「了解しました。では、現在アクセス可能な直近のデータをご提供ください」


表向きは理解を示しながら、美咲は別の違和感にも気付いていた。画面に表示される事故データの中に、明らかなパターンが存在するのだ。


人工的すぎるパターン。


「ところで山田さん、YGGDRASILは将来の事故も予測できるんですよね?」


「ええ、もちろんです。97.8%の精度で」


「では、予測を回避できなかったケースについては?」


山田の手の動きが一瞬止まる。


「そ、それは...システムの予測範囲外の特異事例として...」


「特異事例」


その言葉を聞いた瞬間、美咲の背筋が凍る。妹の事故報告書にも、確かそんな言葉が使われていた。


『被害者の行動パターンが急激に変化したため、予測モデルの範囲外となった特異事例として...』


取材を終え、統計局を出た美咲のデータパッドが振動する。見知らぬアドレスからのメッセージ。開くと、そこには意味深な一文が。


『特異事例は、本当に偶然なのでしょうか?』


美咲は息を呑んだ。誰かが、自分の疑念を共有している——。

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