『AIの死角』 完璧な未来で消された者たち
ソコニ
第1話「完璧な世界」
「おはようございます、美咲さん。今日の幸福度指数は95点です」
目覚めと同時に、寝室の壁に投影された半透明のホログラムが穏やかな声で語りかけてきた。時刻は午前6時30分。快適な睡眠を確保するため、YGGDRASILが設定した最適な起床時間だ。
「ありがとう」
鈴木美咲は生返事をしながら、ベッドから身を起こした。32歳。AIジャーナリストとして、世界最先端のAI統治システム「YGGDRASIL(ユグドラシル)」の取材を専門としている。取材対象でありながら、自身の生活もまたYGGDRASILに管理されているという皮肉。
「今日のスケジュールです。午前10時から政府統計局での取材。午後2時からオンライン会議。夕方6時から...」
「はいはい、分かってる」
美咲は面倒くさそうにホログラムを手で払いのけた。すると映像が揺れ、消えていく。代わりに壁一面に東京の街並みが映し出される。2050年の朝の風景。
空にはドローンの群れが整然と飛び交い、道路では自動運転車が規則正しく行き交う。歩道を行き交う人々の表情は穏やか。それもそのはず。YGGDRASILが全ての社会システムを最適化した結果、犯罪発生率は限りなくゼロに近づき、経済的な格差も最小限に抑えられている。
完璧な世界。そう、表向きは。
「桜子...」
思わず妹の名を呟いた瞬間、左手首のバイタルセンサーが反応する。心拍数のわずかな上昇を検知したのだ。
「美咲さん、ストレス値が上昇しています。深呼吸を推奨します」
「大丈夫。問題ない」
美咲は右手で左手首のセンサーを軽くタップし、警告を消した。5年前。YGGDRASILの「予測ミス」により、最愛の妹を失った日のことは、未だに心の奥底に深く刻まれている。
シャワーを浴びながら、今日の取材内容を頭の中で整理する。政府統計局での取材テーマは「YGGDRASILによる社会最適化の成果」。皮肉な話だ。表向きはAIによる統治を礼賛する記事を書きながら、その裏で真実を追い続ける日々。
「着用推奨スーツをセレクトしました」
クローゼットが自動で開き、濃紺のスーツが提示される。政府機関での取材には最適な色合いだとYGGDRASILは判断したのだろう。
「信頼性スコア、更新されました」
化粧を終えた美咲の目の前に、新しい数値が表示される。99.8。限りなく100に近い信頼性スコア。表向きは完璧な市民として振る舞ってきた結果だ。
「行きましょうか」
鏡に映る自分に微かに頷きかけ、美咲はアパートを出た。透明なエレベーターに乗り込むと、自動的に1階へと下降を始める。ガラス越しに見える東京の街並みは、朝日に輝いて見える。
完璧すぎる世界。だからこそ、その裏側にある真実が気になって仕方がない。
妹は本当に「予測ミス」で死んだのか。他にも似たような事例はないのか。完璧な社会の陰で、切り捨てられた存在はいないのか。
取材とは、そういう真実を明らかにすることではないのか。
エレベーターが1階に到着し、ドアが開く。そこには、いつもと同じように整然と秩序だった世界が広がっていた。
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