第3話 行動


 頭の上でギラギラと煩わしく光る太陽が、夏も終わろうかという九月の中旬だというのにむさくるしく輝いていた。

 

 外に出てからおそらく三十分ほどが経過したころだろうか。

 おそらくと言ったのは、極度の緊張もあって時間の進みが狂っているような気がするからだ。もしかしたら十五分も満たないかもしれないし、四十分以上経っているかもしれない。

 なにせ、腕時計をつけることも、携帯を持つこともできず、体内時計で計るしかないから正確な時間は分からない。


 しかし外に出たはいいが、情けないことに俺は今アパートと、そのアパートを取り囲む高さ1.5メートルほどのブロック塀の間にあるわずかな隙間の暗がりで、うじうじと怖気づいていた。

 

 作家のなりそこないの弊害か、もしかしたら透明だと認識しているのは自分だけで他人からは普通に見えているかもしれない。

 何かの拍子で、例えば、誰かに触れられたら元に戻ってしまうかもしれないと、様々な可能性が思い浮かんでしまって足がすくんでしまう。


 この現実世界の新しい可能性に、恐怖以外にも、いつからか無くなってしまった昂ぶりが蘇りつつあった。

 自分の物語に透明人間を出すなら、どのような設定と制限をつけるだろうか。

 この世界ではどんな設定が付けられているのだろうか、非常に気になるところだ。


 それにしても、今までさんざん書いた物語の中にはファンタジー系もあったが、俺が書いてきた作品よりこの状況の方がよっぽどファンタジーだ。

 いや、ファンタジーというには些かクレイジーすぎる気もする。


 と、内心おかしく思っていると、遠くから幼い子どもの笑い声が聞こえてきた。


 そういえば、この道は十二時過ぎになると午前授業が終わった小学校低学年の児童が良く通るのを思い出した。


 ……もしかしたら、彼らほど姿をさらすリスクの少ないものはいないんじゃないだろうか。人前に出るには今しかないかもしれない。


 俺がそう考える理由はいくつかあった。

 中高生の女生徒や、成人女性の目の前で透明でなくなったとして、裸の男が急に現れるはさすがに不味い。

 しかし、性に目覚めていない純真無垢な彼らならば、「なんでこのおじさん裸なのぉ?」くらいで精神的なダメージは少ないのではないか。

 仮に、もし恐怖を感じたとしても、学校帰りでおそらくスマホや携帯電話を持っていないため、直ぐに通報される可能性は低いだろう。


 そうと決まれば行ってしまおう。

 ブロック塀の上から少し顔をのぞかせて道路を確認すると、十五メートルほど奥から、こちらに向かって歩いてくる小学二年くらいの男の子二人組が近づいてくるのが見えた。

 標的は決まった。あの子らの前にでることにしよう。


 段々はっきりと聞こえてきくる話し声。子供たちがもうすぐそこまで来ている証拠だ。

 覚悟は決まった。この場合の覚悟とはもちろん変質者になる覚悟だ。

 見られてしまっても大丈夫だ。最悪、ちょっとばかし明日、先生から児童生徒たちへの連絡事項が1つ多くなるだけだ。「3.2.1」と心の中でカウントダウンをして、道路へと飛び出す――。

 

 ギャ――――‼。


 とはならなかった。俺の覚悟を嘲笑うかのように、男の子たちはケラケラと笑い合いながら、横を通り過ぎていった。

 どうやら、俺の頭が狂っただけというわけではなく、しっかりと他人の目からも透明になってしまっているらしい。

 

 念のためもう一度、彼らの前に回り込んでみるが、やはり気にする素振りもなく、ただただ素通りするだけだった。

 しかし、まだ安心するのは早い。性別や年齢によって結果が変わる可能性もあるかも知れない。


 俺の頭は、この現象を深く知りたいという知的好奇心に溢れていてた。

 

 声はどうだろう、普通に届くのだろうか。幽霊になったというわけではないのだから普通に聞こえると思うのだが、確かめてみたくなった。

 なんて声をかけようか。どうせなら、どこからともなく聞こえてきても違和感がなく、面白味のあるやつがいい。

 今まで見てきた作品や、自分の書いたものから引っ張ってこれそうなセリフを考えてみる。

 そして見つけた渾身の一言を子供達の真後ろから投げかけた。


 「力が……ほしいか?」

 

 これは能力系のバトルものによくあるセリフだ。

 自分が何か特別な存在になって、物語が大きく動くかもしれないという高揚感がこのセリフにはある。こういうシュチュエーションは男子なら誰もが憧れるだろう。


 ――さぁ、どう反応する?


「いま何かきこえた?」

「うん、男の声だったような……」


 突然の声に、あたりをキョロキョロと見渡し始める男の子達。


「力が! ほしいか!」


 もう一度、先ほどよりも大きな声で問いかけてみる。


「やっぱりきこえるよ!」

「でもなんか、うにゃうにゃ言ってるだけでなんて言ってるのか分かんね~」

「よくわかんないね、へんなの」


 その後、何度か声を発してみてわかったのは、声自体は聞こえているが、それがどこから発せられているのか、何と言っているのかは分からないらしい。

 存在そのものが希薄になっていて、認識できないとでも言えばいいのだろうか。


 などと考えていると、どこからともなく聞こえる声という不思議現象などどうでもよくなったのか男の子たちは歩き出して、何事もなかったかのように談笑を始めた。

 きっとこの子たち目には不思議に思うこと、興味の惹かれるものが溢れていて、不思議な声もその中の1つでしかないのかもしれない。

 そう思うと悔しくて、どうにかしてやりたくなったので、意地悪ついでに実験も兼ねて今度は接触してみることにした。


 歩きながら振っているその短い両腕は、半袖で剥き出しなっていて直接触れやすそうだった。

 手首あたりをつかんでやろうと決めた。近くにこの二人以外誰もいないかを確認し、背後から男の子の手首を掴むと「うおっ!」と驚きの声をあげて、俺の手を振り解いた。


 「もしかして、いまつかんだ?」

 「なんの話?」

 「いや、誰かに腕をつかまれたような」


 二人の視界の範囲にいるにもかかわらず、騒がないところを見ると、どうやら人と接触しても透明は解除されないようだ。

 男の子は腕を掴んだ犯人を探すも見つけられず、もう一人の子は、なにが起きたわからず困惑していたので、なにが起きたか身をもって体験してもらうことにした。

 同じように手首を掴んですぐに離す——。


「うわ!」

「やっぱりつかまれたよな⁉」

「もしかして幽霊……? なわけないよな!」

「ないない、幽霊なんていないよぉ」


 と、口では否定したものの怖くなったのか、男の子たちは足早に遠のいていった。

 透明人間の性質も知れて、イタズラもできて少し満足した。彼らのおかげで、ほかの人も俺を見ることができないと分かった。

 とはいえ、別の年代でも同じように試してみないことには安心はできない。


 ここは1つ、人通りの多いところへ行って確かめようと思った俺は、最寄り駅の方へ向かうことにした。


 道路を歩くとき、人に見つからないよう、コソコソとどうにか隠れながら歩くが、その面倒臭さ以上になんだか腹が立った。


 駅に向かう途中、ベンチと健康遊具しか置いてない実に小さな公園に、こちら側に背を向けてそのベンチに腰掛けている老人二人を見つけた。これは年代の差を調べるにはちょうどいい。


 音を立てずに彼らのすぐ背後に立った。目の前には穏やかに微笑む2つの顔がならんでいた。二人は仲睦まじく手をお互いに包むようにつないでいて、おそらく夫婦かと思われる。

 きっとこの人たちは悲しことも、嬉しいことも二人で分かち合って、時には喧嘩しながら沢山の苦難を乗り越えて今この表情があるのだろう。実に不愉快だ。

 不愉快だが、そんな嫉妬混じりの感情は置いておき、まずはやるべきことがあった。

 今回も子どもたちにやったように、ちゃんと透明であるか、次に声が聞こえるか、最後に接触してみるという流れで確認する。


 まずは、後ろから爺さんの眼の前に手をかざして振ってみるが、反応はない。婆さんにも同じようにしてみるが、そのまま爺さんとお喋りを続けていた。

 しかし、この婆さん本当によく喋る。爺さんは話に相槌を打ちながら偶に思い出したかのように喋って、婆さんの話を聞く。

 近所の誰々さんがどうだの、その友達がどうだの、通っているクラブの先生がどうだの、コロコロと話題の人が移り変わる。よくもそんな他人のことに関心を持てるものだ。理解に苦しむ。


 とりあえず透明であるという確認が取れたので、ベンチに座る二人の正面に移動した。次は声が聞こえるか調べる段階だが、セリフを考えるのも面倒になったので、ただ「おーい」と発してみる。


「あら? 何か聞こえたかしら」

「聞こえたような、聞こえてないような。耳が遠くてかなわん」

「近くには誰もいないのに。変ねぇ」


 二人は、しばらく辺りを見渡して首を傾げた後、すぐに婆さんの他愛もない話は戻った。

 ひどく腹が立った。


 ――お前らもか、お前らも俺の存在など気にも留めないのか。


 苛立ちを抑えることができず、二人の座るベンチの端を押すように足の裏で蹴った。ベンチは固定されているようで、ドンと音を立てて少し揺れただけにとどまった。

 老夫婦は急な出来事に驚いていたが、俺はその場から逃げ出した。


 一心不乱に走り、気がつくと目的の駅前に着いていた。

 裸足で走ったからか、ベンチを蹴ったときの痛みなのかは分からないが、足の裏にジンジンと響く痛みが俺に冷静さと惨めさを思い出させた。


 駅前の交差点は、人に溢れていて、その全てが俺に気づくことはない。当然だ、見えないのだから。俺の荒い息遣いも、聞こえないのだから。


 俺は叫んだ。

 文字に起こすことのできない、声にならない声で。


 しかし、希薄になった俺の叫びなど雑音溢れるこの場所では誰も気にも留めないし聞こえない。

 俺はどこで間違えてしまったのだろう。

 

 生まれ落ちた時か。

 小説が好きになった時か。

 物語を描き始めた時か書くと決意した時か。

 作品を送った時か。

 奨励賞を貰った時か。

 夢を追うと決めて就活を辞めた時だろうか。

 親を無くして天涯孤独になった時だろうか。

 

 分からない分からない、頭を抱え込んでも分からない。

 足に力が入らず膝から崩れ落ち、次第に叫んでいた声も小さく、切れ切れになっていく。

 すると、俺の体に何かが当たる感触があった。


「痛っ、何?」


 女の声がしてバッと顔を上げると二人の女性がいた。

 一人が俺につまずいたのだろう、片方のヒールが脱げていた。二十代後半くらいだろうか。黒髪のショートヘアに、黒のパンツスタイルのスーツ、白のブラウスを身に纏っている。


「ちょっと大丈夫? 気ぃつけてよ?」


 紺色のスーツ姿で、茶色い髪を後ろで1つに結んだ女が心配そうな顔を覗かせる。

 黒髪の彼女は笑顔で答えた。


「大丈夫、大丈夫! 多分小石かなんかに躓いただけ。捻ったりもしてないよ」


 俺は、全身の血が逆流したかと思うほどの怒りを覚えた。


 ――こともあろうか俺を小石だと? ふざけるな! この女は許せない、絶対に後悔させてやる!


「もう大丈夫! いこっ」そう言って駅の方に歩いていく二人の後を俺はついていった。

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