第2話 行動


 五日が経っても、変わらず俺の体は透明のまま。恐らく、もう元に戻ることはない、そんな気がしていた。


 不思議なことに、透明人間になってからというもの、喉も乾かず、腹も減らず、眠くもならなくなった。

 じゃあ、この五日間どうしてたかというと、ベッドの上で仰向けになって天井をずっと眺め、眠れなくともたまに目を閉じる。そんな生活を送っていた。

 天井は好きだ。鏡と違って白く、無機質で、寡黙なところが良い。俺はもともと外界から遮断された生活をずっと送っていたので、透明になったからといって特に不自由はない。

 

 このまま誰にも知られず死んでしまってもいいとさえ、透明になった日の俺は考えていたが、数日もするとそんな考えは薄れて、情けなく生にしがみついてしまっていた。

 人間の感情なんてそんなものだ。それが正の感情であれ、負の感情であれ、どんな想いも段々と薄れていってしまうものだ。

 だが、決して薄れない感情や想いの存在もあると、俺は信じて疑がったことなどなかった。

 あの日までは。

 

 俺の中にも、たくさんの想いがあった。

 とりわけ、「物語を創り出したい」という想いは、幼いころから常に俺の中にあった。

 誰かの作品に触れているとき、文字を書いているとき、飯を食べているとき、眠りにつくとき、心の片隅に住みついて顔をだす。

 

 素晴らしい物語を見たり読んだりしたとき、最初に来るのは感動ではなく、どうしてこれを作ったのは俺ではないのだ、という嫉妬や苦しさに襲われた。

 だが、肥大化する創作欲に反して、俺は行動を何1つ起こさない。そんな自分の内面が一番醜くい。


 なぜ何もしなかったか。それは、才能がないと分かるのが怖かったという、ごくありふれたのものだ。

 挑戦しなきゃ失敗もしないし、頭の中の作品はいつだって傑作なのだ。


 だが、そんな夢まぼろしをいつまでも見ているだけではいけないと、行動に起こしたのは大学四年のとき。

 俺は生まれて初めて自分の小説を、作品を完成させた。

 そしてそれは、不幸にも小さなコンテストではあったが奨励賞を取ってしまった。

 これが不幸も不幸、もはや悪夢だ。なぜなら、ほんの少し勉強しただけの、適当に書いた作品が受賞してしまったのだ。

 当然、自分には才能があるのかもしれないと考えてしまう。

 まだ見ぬ自分の伸び代と、小説家のとしての自分を明るい将来を夢想し、親の反対を押し切って、俺は就職の道を拒んで作家の道を目指してしまった。

 大学卒業後はアルバイトをしながら作品を生み出す日々を送ることになるが、やはり事はそう上手く運ばない。


 最初の二年は、設定や世界観を練りに練って1つ作品を書きあげるのに多くの時間を掛けて仕上げていたが、全て駄目だった。


 だから次はとにかく数を多く書いた。二次選考に進んだものもあったが、やはり駄目だった。

 気づけばさらに二年が経っていた。今度は、文章や、話作りの基礎を一から学びなおし、次の作品の準備期間とした。


 そして、また一年が過ぎた。

 俺はもう夢に憑りつかれていた。肉親の死ですら自分の小説の糧だと思っていた。


 自分の感情や経験のそのすべてを作品に込め、ついに俺は胸を張って自身の最高傑作だと言える作品を完成させた。

 確実性を持たせるため大きい賞ではなく、最初のように小さなコンテストで確実な結果を狙うことにした。


 そして六日前にその結果が発表された。そう、透明になってしまった朝の前日。

 あの日は、やけに蝉のうるさい日だった。

 

 家の中で鳴いているのかと思うほど、蝉の音が薄い壁を突き抜けてこだまする部屋の中を、ぐるぐると歩き回りながら結果が発表される十二時を待っていた。

 人生で一番、時の進みが遅く感じた。

 そしてついに十二時を回り、震える指でスマホを操作して発表されるサイトを開き、自分の名前を探すが——。


 「ない、ない、ない、ない!」


 どこを見ても、あって然るべき自分の名前がない。どこにも見当たらない。

 自分の作品が落選したという事実を、そう簡単には受け入れられることはできず、血眼になって何度も何度も同じページを確認するが、結果は変わらなかった。


 頭が現実を受け入れた瞬間、目の前が真っ白になり、あれだけうるさかった蝉の音すら聞こえなくなった。


 ――こんなの俺じゃない……、こんな人間、俺じゃない。


 そう口から漏れ出た瞬間に、ふらふらと覚束ない足の先から、自分を自分たらしめていた感情や、情熱や、執着が、なにもかもが流れ出ていくような気がした。


 息をするのでさえ苦しくなった。誰にとっても、自分にとっても何者でもない俺の存在を許さないと、世界そのものが首を絞めているようだった。

 耐えられなくなってベッドに寝転がって上を見ると、いつも通りの埃で霞んだ白い天井があり、段々と落ち着きを取り戻していく。

 

 俺はもう抜け殻だ。書きたい物語も、使いたいセリフも、してみたい表現も無くなった。何もかもが無くなった俺に残ったものと言えば、日に日に年老いていくこの体だけだ。

 どうしようもない現実から目を背けるように瞼を閉じた。

 

 そして、次に目を開いたときには透明人間になっていたという訳だ。


 そもそも、何故俺は透明人間になってしまったのだろうと、この五日間ずっと考えていた。

 天井に問いかけてみても答えはくれず、そろそろずっと上を向いてるのにも飽きが来ている。


 ――外に出よう。


 そう思った。

 俺に起きたトンデモ現象はカフカの『変身』と似てるが、俺がなったのは虫ではない。透明人間だ。透明人間なのだから、外に出ることもできるのだ。

 ただ、簡単に外に出ることのできない問題があった。いや、厳密に言うと出られないわけではない。出られないわけでないが、あることが要因で外に出るのを躊躇っていた。

 

 言ってしまえば俺の透明人間の性質のせいだ。

 俺の透明人間は、着ている服も一緒に透明になってくれる都合のいいタイプの透明人間でない。

 つまり、外に出るには服を全て脱がなくてはいけない。その心の準備と覚悟ができずにいたのだ。

 しかし、家の中に閉じこもったらどんな物語も進まない。時計を見ると針は十二時を指していてウダウダしていると日が暮れてしまう。


 ――よし、覚悟を決めたぞ。


 クタクタによれた黒のTシャツと半ズボン、パンツと一枚ずつ脱いでいく。

 生まれたままの姿で玄関に立った。ドアスコープから外を除いて誰もいないことを確認して、俺はノブをひねって扉を開けた――。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき


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