第2話 ヤベー女を助けちまったかもしれない

 ストーカー少女から逃げおおせて、士狼は懐かしの実家へ11年振りに帰ってきた。無駄に欧米スタイルの内開きドアを開けると、2Kの薄暗いボロアパートの寂寞せきばくとした光景が広がる。


 窓際には干されすぎてカピカピになった衣類。狭い玄関を占領している空き缶のゴミ袋。その隣にはひっくり返って沈黙する一匹のカメムシ。滲み出る杜撰ずさんな生活感。


「このろくでもない汚さ……いやぁ懐かしい」


 だが、肝心の母親がいなかった。


「そういえば母親アイツは夜職だったな」


 壁にかかったアナログ時計に目をむければ17時。今頃は仕事にくたびれたサラリーマンを、夜の蝶として出迎える準備をしている頃だろう。


「しょうがねー、朝まで待つか」


 しばしらく適当に時間を潰していると……


(やっべえ、煙草吸いてえ)


 そういえばこの頃から煙草を吸っていたなと思い出す。だか煙草は手元にない。


 窓の外を見れば土砂降りの通り雨。

 一瞬外出を躊躇うがヤニ切れに耐えきれず、玄関を開けると―――飛び込んできた光景に目を疑った。


「あ……あいつ何してんだ」


 1時間前くらい前に助けた少女が土砂降りの中で、傘も差さずにおろおろと足踏みをしていたのだ。


「こんなとこまでついてきやがって」


 ボロアパートが並ぶ雑多な貧困地帯で、びしょ濡れになっても彼女は憎たらしいくらいに映えていた。美しさは場所を選ばないとはよく言ったものだ。


 落ち込んでいる彼女の真横を黒塗りのハイエースが通り過ぎていく。タイヤが水たまりを踏んで水しぶきがあがり、盛大に彼女へ泥水をぶっかけた。


「う、うええん」


 泣いちゃった。


 見捨ててもいいはずなのに、どうにも彼女をほっとけないと心が疼く。理由は……わからない。


 一本しかない穴あきの傘をもって彼女に下に向かう。傘を差してあげると、うるうるとした瞳で見上げてくる。


「あ……うっぐ……な、なんで逃げたのぉ」

「お前な……いくらお礼がしたいからって、これじゃあストーカーだぞ」

「ス、ストーカー」

「よくここが分かったな。ウザいから置き去りにしたつもりだったのに」

「ストーカーじゃないですぅ。見失ったんで先生に氷室君の住所を聞いたんだけど……」


 そういって、彼女は雨で濡れて解読不明になったメモ書きを握りしめる。


「文字が滲んで途中で住所が分からなくなってしまって」


 もしかすると見た目に反して彼女の中身は残念な要素がパンパンに詰まってるのかもしれない。


「……つーか、先生って何? 俺の名前も知ってるし」

「……っ。や、やっぱりわたしのこと忘れてる!」

「え、知り合いだっけ?」

「うっ、ひ、ひどいよ。わたしは氷室君のクラスメイトで、学級委員長の白鶴日和はくつる ひよりだよ。席だって隣なのにぃ」

「……まじかよ、昔すぎて覚えてないわ」


(あ、いや待てよ。そういえば、妙に可愛い子が教室にいた気もするな……)


 ジト目で日和が見上げてくる。

ああ、知っている。女にこういう目をされた時は、だいたい呆れられてる時だ。


「わ、わるかったよ。なんせ久しぶりだから」


 高校中退したのなんて14年前だ。

しかも、在籍していたのは僅か2か月間。その内の1カ月は停学期間で、無断欠席してたのが3週間。通ってたのなんて1週間程度。29年間の人生経験は、1週間の高校生活の記憶を塗りつぶすには十分すぎた。


「で、わざわざ住所まで調べて何しにきたんだ?」

「……氷室君、停学明けたのに全然学校に来ないから。勉強についてこれなくて困ってるんじゃないかと。だから、わたしのノートをさっきコンビニでコピーしてきたんです。あっ、プリントも持ってきましたよ?」


 鞄をゴソゴソと夢中で漁り大量のコピー用紙をとりだす。土砂降りだというのに、これではまた濡れてしまうことに気が付いてないらしい。


 士狼は傘を動かして自分を犠牲にすることで、彼女の手元に雨がかからないように配慮する。


「えへへ、これでまた学校にこれますね」


(……こいつマジか。俺明日で学校やめるんだけど)


「どうしました?」

「あ……いや、な、なんでもねえよ」


 屈託のない笑顔で、ぐいっと、大量のコピー用紙を押し付けてくる。士狼にはそのコピー用紙が色んな意味で重かった。


(ゴミだから持って帰れなんて言える空気じゃねえぞ)


「……なあ、俺らって赤の他人じゃん。どうしてここまですんの?」

「どうしてって、わたしは学級委員長ですから! クラス全員を卒業に導く義務と責任があるのです!」

「が、学級委員長ってそんな重たい役職だったか?」

「ええ、そうですとも。非常に責任のある役職です!」


 日和は下唇を噛んで悔しそうに目を細める。


「本来ならもっと早く訪れるべきでした。でも……ほら、氷室君って金髪短髪でピアスしてるし、イメージがチンピラすぎて近寄りがたくて。で、でも、助けてくれた時はすごく優しかったです! 人は見た目じゃありませんね。おかげで勇気が持てました」

「……キモ。クソお節介女じゃねーか。助けなきゃよかった」

「な、なんかさっきからウザいとかキモイとかひどくないですかぁ!?」

「割と本気で思ってる」

「あ、あくまだ……くちゅんっ!」


 日和が可愛らしいくしゃみをする。今すぐ追い返したい。そして二度と来るなと言いたい。だが、善意できてくれたびしょ濡れの少女を追い返すのは心が痛い。


「……とりあえず家にあがれよ。風邪ひくぞ」

「え、でも男子の家なんて」

「大丈夫、朝まで親いないから二人きりだ」

「……むしろ心配が増したんですけど」

「ついでにシャワー浴びて体を温めろ。話はそれからだな」

「え゛」

「ほらほら」

「ふ、不純異性交遊は校則で禁じられてて!」

「安心しろ、俺は校則を破ることに戸惑いはない」

「停学してるので無駄に説得力があります! あ、ああ~やめて押さないでぇ」


(はあ、適当に退学するの伝えて、雨が止んだら追い出そう)


 嫌がる彼女の背中を押しながら、厄介な女に目をつけられたもんだと士狼は思うのだった。



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