第7話 始まりのエピローグ
「シケてんなぁ、あのタヌキ……」
封筒に入った金を無造作にポケットにねじ込むと、思わずため息が漏れた。
『こういうネタよりさぁ、今は芸能人の不倫ネタのがウケがいいんだよ』
さっきの編集長の言葉が頭に蘇る。
「何が不倫ネタだよ。このあいだの特集は結構よかったから、あの編集部に持ち込んだってのに……」
俺は丸めていた週刊誌を広げた。
巻頭は3ヶ月前に話題になった児童養護施設の特集だった。
『腐敗した児童養護施設の実態』
3ヶ月前施設長が殺害され、一躍有名になった児童養護施設だ。
当初、施設で問題児だった18歳の青年が施設長を殺して、子ども二人を人質に逃げたと思われていた。
しかし、事件発覚から数日後、青年は子どもとともに交番に出頭。交番で語られたのは、想像を絶する施設の実態だった。
近所でも評判のよかった施設長は、裏で子どもの臓器移植の斡旋を行っていた。
里子として施設を出た子どもは生きてはいたが、皆が臓器提供者になっていた。
児童相談所の職員は弱みを握られ、声を上げることができなかったらしい。
事件は、施設から子どもを逃がそうとした結果起こったものだった。
しかも、計画したのは青年ではなく、子どもの方だったとのちに明らかになった。
「俺は、こういう記事が書きたいんだよ……」
週刊誌を閉じると、思わず本音が漏れた。
週刊誌をカバンにねじ込み、顔を上げる。
ふと、目の前の家から人を担いで出てくる男が視界に入った。
ん……?
出てきた男は絵に描いたような執事の服を着ていた。
凛とした佇まいに似合わず、物のように大男を肩に担いでいる。
え? 何かの撮影??
執事の服を着た男は遠めにもわかるほどの美男子だった。
男は優雅な動きで、大男を車の後部座席に押し込んだ。
え!? もしかして、これ誘拐!?
と、とりあえずカメラ……!
急いでカバンからカメラを取り出し構えると、車のそばに男の姿はなかった。
あ、あれ……?
「おや、いいカメラですね」
耳元で聞こえた声に思わず飛び上がった。
「わ!?」
気がつくと男は、俺の真横にいた。
い、いつの間に!?
近くで見ると男の顔は彫刻のように整っていた。
言葉も出せずにいると、ふいに男が何かに気づいたように目を見張った。
「おや、実に興味深い。記憶の扉が閉じている。あなた、幼少期の記憶がないのですか?」
男の言葉に思わず目を見開く。
「ど、どうして……それを?」
確かに俺には10歳になるまでの記憶がない。
しかし、それは今まで誰にも言ったことがなかった。
「そ、そんなことより、さっき車に押し込んだ人は何ですか!?」
俺はなんとかそれだけ口にした。
「ああ、あの方には語り部になっていただこうと思いまして」
「語り部って……。誘拐は犯罪ですよ! あの人が警察に駆け込んだら……」
「警察?」
男の目が弧を描く。
なぜかその笑顔に背筋がゾクリとした。
「行けるわけありません。あの男が警察なんて」
「それは一体どういう……」
「あ、そうだ。いいことを思いつきました!」
唐突に、男が手を叩いて微笑んだ。
「あなたに物語を探してもらいましょう!」
「物語……?」
「そういうお仕事なのでしょう?」
男はカバンにねじ込まれた週刊誌を見つめながら言った。
「え、事件のネタってことか?」
「ええ、1件100万でいかがですか?」
「100万!?」
「ええ、見たところお金にお困りのようですし、面白い物語でしたら倍出しましょう」
み、見たところ……?
俺は自分の服を見た。
確かに古着は着てるけど、これはビンテージで結構高いんだぞ……。
「まぁ、信じられないようでしたら、ぜひ今から屋敷にお越しください。お嬢様方にもご紹介いたしましょう」
「お嬢様……がた?」
「ええ」
男はにっこりと微笑んだ。
俺はカメラを握りしめる。
これはチャンスだ。
こいつが何をしているかはわからないが、ヤバければヤバいほど、これはいいネタになる。
行ってやろうじゃねぇか。
危険が怖くて記者が務まるかっての!
「あ、はい。じゃあ、ぜひ」
俺がそう言うと、男は妖しげに笑った。
そのときの俺は、その笑顔の意味がまったくわかっていなかった。
のちに俺は後悔することになる。
この先の出会いに。
そして、閉じた記憶の扉に自ら手をかけたことに……。
眠れぬ夜の寓話たち はるこむぎ @harukomugi
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