後編
さてさて、ここまでが前菜という前置きでして。
その日はまさにそんな八尺様の動画事件のあったアシスタントを終えた翌日でした。私が仕上げの時に呼ばれるアシスタントということもあり、結構締め切りと戦う現場が多いので徹夜作業も多かったんです。なのでアシスタントの次の日は疲れて早く寝ちゃうんですよ。で、その日もいつものようにお風呂に入り、バスタオルを二階の寝室へ持って行きました。
当時住んでいた家は二階建てで家の裏に約一メートルくらいのどぶ川があり、その川を挟んでさらに向こうに畑が広がっているんです。そして我が家の洗濯は朝洗濯で、室内に置いておくと湿気が籠るという、今考えればあまり納得いかない理由なのですが母の指示で私は使ったバスタオルを二階のベランダに干してから寝るというのがルーチンワークでした。
いつもより疲れていたとはいえ、ルーチンワークなので面倒くさがることもなく、寝に上がった二階でバスタオル干します。その時、直感……とでもいうんでしょうか。
「下を見たら、ダメだ」
そう思ったんです。でも、どうしてか見たらダメだ、見たくないと思うのに視線は下がってしまうもの。気付けば私はそのどぶ川の方へと顔を向けていました。
どぶ川の向こう、畑との境目。丁度のそあたりに、小さな女の子が立っていたんです。白いワンピースに白い帽子。黒髪のおかっぱ頭。名前は、『ミキさん』。
どうしてかは今もわかりません。でも、ミキさんだと思ったんです。
ですが、ミキさんとは決定的に違う点がふたつありました。
ひとつはその子が小さな女の子だったこと。私がマンションで会っていた……いえ、ミキさんは横を向いたままコチラを見ることなく微動だにしなかったので、ここでは一方的に見かけていた、と書かせてください。そのマンションのミキさんはあくまでも大人の女性でした。子供じゃなかった。いや、マンションに住んでいた頃の私と年齢を入れ替えたらある意味釣り合いが取れるくらいの年齢の少女だったのです。
そしてふたつめ。
その小さなミキさんは、笑って私を見上げていました。
やばい、と思って慌てて部屋へと戻り、布団を頭まで被って目を瞑りました。
我が家は古く、木造なので木が軋む音が響くんです。だからすぐに気付きました。誰かが、母ではない誰かが階段をのぼってきているということに。
階段をのぼり終え、二階の床も軋ませ、私がかぶっている布団も、のしっ、のしっと誰かが踏みつけて近付きます。その存在は、私の胸の上に立ち、ゆっくり左右に揺れました。
理由はわかりません。だってそうだったんだもの。
そして愉しそうに笑いながら、誘われたんです。
「あーそーぼー」
って。
怖かったです。金縛りだったのか、怖くて体が強張っていたのかもわかりませんでした。
わかるのは、ただ言い知れぬ恐怖に歯がガチガチと鳴っていること、そして声が出ないことでした。喉が張り付いて、一階にいる母に助けを求めたいのに私の口からは無情にも「ふしゅー、ふしゅー」と変な空気が漏れるだけ。
ずっと笑っているミキさんに見下ろされながら私は耐えるしかなかったんです。
ですが、そんな時でした。突然意識の外から思い切り肩を叩かれました。なんと、母です。母強し。
そこではじめて、私が寝ていたということを知りました。
ハッとした私の胸の上には誰も立っていなかったし、時計を見ると、寝に上がったのは二十二時くらいだったのにもう三時を越えていました。
混乱しました。意味が分からない。だって私、寝た記憶がないんです。
ベランダにバスタオルを干して、その後すぐにミキさんが来て。
いつ寝たんでしょうか。
もしかしたら、バスタオルを干して布団に入るというのがルーチンワークになっていたせいで、バスタオルを干す夢を見たのかもしれません。
謝るのは二回目ですね、ごめんなさい。実はこの答えも持ってないんです。
お祓いなんてものも行ってないし、ミキさんに会ったのもそれが最後でした。
アシスタントを辞めたことも大きいのか、それ以来そういった怖い思いも一度もありません。
やっぱり連れて帰って来ていたのか、それとも私の夢だった、というのが最有力候補ですね。
これが、私がミキさんの話です。
最後まで聞いてくれてありがとうございました。
――あ、余談ですがまだ文字数に余裕があるので金縛りみたいなものにあったことを二個報告してこのエッセイを終えますね。
ちなみに『エッセイ』と言っているように、ミキさんの話もこのあとにする話も私が実際に体験した話です。
ひとつは、こたつで夕方にうっかり寝てしまった時の話。
あまりの息苦しさで目覚めました。喉が押さえつけられていて呼吸が出来ません。首が締まっている。なんで? どうして? 誰が?
その答えは単純です。猫です。アーチを描くように私の首を子猫が横断しながら寝ていました。もふもふです。可愛い。
もうひとつは、ミキさんから遊びに誘われる数日前、アシスタントに行く前夜だったかな? その場所で。
あまりの息苦しさで目覚めました。喉が押さえつけられていて呼吸が出来ません。首が締まっている。なんで? どうして? 誰が?
その答えは単純です。私の両手です。どうしてかな、キリキリと私の両手が私の首を絞めていました。起きた時にはもう締め付ける力は弱まっており、なんとか体を捩じって拘束から逃れました。どうしてその方法で逃れたのかというと、両腕がまるで長時間正座をしたあとの足のように痺れて上手く動かなかったからです。
そんなに痺れるくらい、自分の首を絞めてたのかなぁ……
では、これで。
おやすみなさい、いい、夢を。
『ミキさん』のはなし 春瀬湖子 @haruse-koko
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