『ミキさん』のはなし

春瀬湖子

前編

 まず、本題に入る前に私の幼い時の可愛い思い出を聞いてください。

 

 当時はまだ、保育園に入る前で三歳から四歳くらいでした。くらい、というあやふやな表現なのは、ごめんなさい。実は幼い頃のことを全然覚えていないんです。もちろん事故で記憶を――なんていうことはなく、普通に私の記憶力が悪いだけなのでご安心くださいね。

 そんな私ですが、実はその頃のことで今でもハッキリと覚えていることがあるんです。

 さっきも書いたように、当時の私はまだ三歳から四歳。残念ながらその頃には両親は離婚し、母一人子一人でしたが、幼かったことが幸いしているのか自分に父親がいないということを理解しておらず、何も寂しくはなかったんです。寂しくない理由はもう一つありました。それが『ミキさん』の存在です。

 やはり子供。早く寝るからか体が小さいからか、私はしょっちゅう夜中に目を覚ましトイレへ行ってました。真夜中のトイレ。真夜中のトイレなんてホラーの定番すぎて前菜のようですね。安心してください、前菜です。

 真夜中トイレに行きたくなり目を覚ました私はこそこそとベッドを抜け出して廊下に出ます。当時住んでいたマンションは玄関を開けると長い廊下がまっすぐ伸び、その先がリビングになっていました。そして玄関から見て右手側にトイレがあったんです。ベッドを抜け出した私は、当然暗闇は怖いのですぐに廊下の電気をつけます。ちなみに母は一度寝たら起きません。幼い子供が夜中に一人でトイレなんて絶対怖いシチュエーションですよね。でも私は怖くはありませんでした。だっていつも玄関には『ミキさん』が立っていてくれたんですもの。

「今日もいてくれてありがとう」

 そうお礼を言ってトイレを終え、ベッドに戻りおやすみ三秒。ハッピーエンドですが、ミキさんって誰なのか。気になりませんか?

 とは言っても、私もミキさんについて知っていることはほとんどありません。

 いつも玄関の、靴を脱ぐスペースに横を向いて立っているんです。だから私は彼女の横顔しか見たことはありません。あと、いつも白いワンピースで白い帽子。黒髪のおかっぱ頭。おかっぱ頭という部分と、身長が平均女性くらいであることを除けば定番の怖い話の八尺様みたいなビジュアルですね。

 八尺様の名前は知りませんが、玄関に立っている彼女の名前は『ミキさん』です。何故私が知っているのかは実は今でも不思議なんですよね。どうしてなんだろう?

 でも、彼女のことを私はミキさんだと認識していたんです。ミキさんは何もしません。ただいつも夜中、トイレに起きるとそこに立っているんです。

 私はそんなミキさんが嫌いではありませんでした。


 実はここで改めて謝罪を。実はこの話、実体験なのでオチがないんです。

 保育園に入ることが決まったタイミングでそのマンションは引っ越してしまったし、もう夜中にトイレで目覚めても誰も側にいてはくれません。そもそもミキさんがトイレを見守ってくれていたのかも謎です。


 さて、そんな幼少期でしたが私、霊感も全くありません。中学くらいで流行りませんでしたか? 自分に霊感があるかどうかの心理テストみたいなやつ。どの心理テストでも私の霊感は常に無しという判定でした。

 ふとミキさんのことを思い出すこともありましたが、「懐かしいなぁ、なんだったのかなぁ」という程度。特に何も無かったのですから当たり前の感想なんじゃないかな、と思います。


 相変わらず霊感なし、心霊体験も多分なし? な日々を送る私だったのですが、実は今でこそ小説を書いている私なのですが、昔は漫画家を目指していたんですよ。今とは違いぴゅあっぴゅあな少女漫画。ありがたいことにある編集部で担当様にもついていただきデビューを目指す日々でした。

 そしてその担当様の紹介でアシスタントに行くことになった某先生。今からお話するのはアシスタント先でのことです。

 

 幼少期に出会ったミキさんの影響があるのかはわかりませんが、すっかり怖い話が大好きになっていた私。そしてなんとアシスタント先の先生も怖い話が大好き!

 いつも楽しく怖い話談義や、作業BGMにホラー朗読を流したりしていました。

 とは言っても、面白いホラー朗読なんて案外少ないんです。ほとんどの朗読が面白くない、なんてことが言いたい訳ではもちろんありません。今でも睡眠導入にホラー朗読を流しながら寝たりしていますし、その時に流す朗読は沢山出て来た中からランダムに選ぶほど。ですが、当時の私たちが聞いていたのはアシスタント中です。寝たらダメだ!

 ホラーというジャンルだからか、ぼそぼそと話したり落ち着いた声で話したりと、声とその声のトーンだけを聞いていると案外子守歌のように聞こえてしまうんですよね。でも仕事中にウトウトするわけにもいきません。当時はまだ先生も私もデジタルを導入していなかったので、直接先生の家で作業をするのですが、そこで居眠りなんて失態を見せる訳にもいかないのでBGMにするには「眠くならない」が重要だったんですよ。眠くならず、面白い朗読となるとどうしても数が限られてしまうのですが、それでも私たちがお気に入りのシリーズがありました。

 その朗読動画はかなり活躍しており、もう何十周もする始末。それでも飽きずに何度も聞いた怖い話を流しては、怖がるのではなく「あ、この話好き!」なんて感想を言い合っていました。

 そのお気に入り動画の中で、私が好きだったのがまさに八尺様なんですよね。なんで八尺様が好きだったのかは、もう怖い要素しかないからです。ポポポとしか言えないくせに声色を変えてありとあらゆる方法で声を出させよう、外におびき出そうとするその状況に震えあがった人も絶対多いはず。少なくとも私はそうでしたし、何回聞いてもゾクッとさせてくる八尺様が怖くて、そして大好きでした。まぁ、もし八尺様が本当に存在していたとしても、書いている私は女なので、彼女からすれば対象外なんですけどね。


 もちろんアシスタント中のBGMがホラーだけなんてことはなく、当時流行っていたアニソンなどが流れることも多かったです。そんなある日のアシスタント中、先生がとあるアニメにハマったことがキッカケでそのアニソンメドレーばかりが流れていたのですが、ふと八尺様の話が聞きたくなったんですよね。和気あいあいとした職場だったので、そのままリクエスト。それが通り久々にホラー朗読が流れました。最初は順調に聞いていたのですが、私も当然生きている人間です。トイレだってしたくなる。

 まだ八尺様も序盤で、八尺様が登場してすぐだったのでサクッとトイレを済ませようと思いました。ちなみにその職場、作業場の扉を開くとその先に廊下があり、廊下に出てすぐ左……あ、玄関から見て右手側がトイレなんです。偶然にも私が昔住んでいたマンションに似た配置ですね。マンションって基本この作りなのかな?

 そんなこんなでトイレに座ったのですが、そのタイミングで真後ろからポポッて聞こえてきたんです。とは言っても、トイレは作業場と隣接していたので、その時の私は「音がトイレにまで聞こえてる」と思っただけでした。そのことを報告しようと、

「トイレにまで音聞こえてましたよぉ」

 なんて笑いながら作業場へ戻ったんですが、何故かみんなで朗読を流していたノートパソコンを覗き込んでました。その光景に驚いて何があったのかを聞くと、なんと私がトイレに立ってすぐ画面にノイズが入り、動画が止まってしまったらしいんです。Wi-Fiの調子が悪かっただけ、と言われればそれまでなんですけどね。

 実はその先生の家って割りと心霊現象が起きる家だったので、正直あまり驚きませんでしたが――私が聞いたトイレのポポッって、何だったんだろう。あれもいまだに謎なんですよね。でもまぁ私は女だし、八尺様のターゲットは男の子なのでね。


 他にもアシスタント中に色んなことが起きたんですが、ここは割愛。先生の許可を取ってないので。

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