Haisha of the Dead Ⅲ

 僕が診療室に先回りして、コップやら道具やらをせっせと準備していると、しばらくしてフォンファが現れた。何の躊躇もなく、歯科用の椅子──通称ユニット──に腰を下ろす。全身で「どうだ」と言わんばかりの態度だ。


「ふーん、これが歯医者の椅子っすか。思ったよりも大したことないっすね」


 その言葉に、僕は内心で深々とため息をついた。いや、もちろん良い意味でだ。イキりキョンシーヤンキー美少女なんて属性、どうやったらそんなに盛れるんだ?刺さる人にはブッ刺さりそうだ。そんなことを考えながら、僕は極力普通の声で告げる。


「じゃあ、診察始めるよ。椅子倒すね」


 あまりにも淡々とした僕の態度に、フォンファは一瞬だけ動揺したように見えた。その眉がピクリと上がるのが、なんだか妙に人間らしい。


「え……なんか軽くないっすか?さっきまで逃げ回ってたっすよね?」


「だって、キョンシーなら感染の心配ないってわかったから」


 言いながら、僕はボタンを操作して椅子を倒す。静かに動くモーター音。こうして完全に横たわったフォンファの姿を見て、思う。「今、君はまさにまな板の上の鯉だぞ」と。


「アンタ……歯医者……いいっすけど」


 口調はぶつぶつ文句交じりだけど、彼女は大人しく口を開けた。抵抗の気配はなし。ようやく始まる診察。なのに、僕の胸にはまだ妙な引っ掛かりが残っている。いや、本当に問題ないんだよな?


 ──感染の心配はないとか、自分で言ったけど。


「それで、どうしたんだっけ?詳しく教えてね」


 僕はそう言いながら、音声を聞いて代理入力できる魔法ペンを手に取った。カチカチと起動させて、カルテの上にふわりと浮かべる。準備は整った。さあどうぞ、存分に語ってください。


「全身鎧を着た人間どもが、四人で挑んできたんっす。まあ愚か者っすね。面倒っすから、一人倒して、残りを適当に遊んであげてたんす。そしたら三人がかりで殴りかかってきたっすから、両手がふさがって、咄嗟にガントレットの拳を歯で受け止めたら、このザマっすね」


 得意げに語りながら、フォンファは胸を張ってふんぞり返る。その態度があまりにも堂々としているせいで、言ってる内容の異常さが一瞬頭からすり抜けていきそうになる。でも、冷静になればなるほどツッコミどころが多すぎて、僕の思考回路が軽くフリーズする。


「ガントレットの打撃を歯で受け止めたのね。いやそれ、さすがにキョンシーでも歯が欠けるよ。硬いけど、衝撃には弱いから」


 自分で言いながら、妙に疲れる説明だなと思った。だって、ガントレットを歯で受け止めるって、どう考えても普通の医療相談じゃないだろう。それとも僕が間違ってるのか?


「とにかく尖っててベロに当たって気になるんすよ。これ」


 そう言って、ユニットの上で犬歯をいじりながらこちらを上目遣いするフォンファ。その仕草に、一瞬だけ僕は言葉を失った。さっきまでのイキり具合が嘘みたいに、少しだけ無防備な表情だ。それに、重力のせいで……いや、これは良くない。冷静になれ。


 最初の恐怖感がすっかり消え失せているのが自分でも分かる。代わりに、彼女の顔立ちが妙に際立って見えるのは、角度の問題なのか、それとも単なる気のせいか?どっちにせよ、僕の仕事は歯を見ることだ。それ以外を見る余裕なんて、あるわけがない。


「オッケー。もう一回口をあけてくれる?」


 僕はそう言いつつ、頭の中でスイッチを切り替える。診療モードに移行する。余計な邪念を振り払うためにも。これが僕の防衛手段だ。

 彼女の口の中を覗き込むと、右上の犬歯が少しだけ鋭く尖っていた。モンスターらしいと言えばらしく見える。


「じゃあ全部抜いて入れ歯にしましょう」


 軽く冗談を言うと、すぐに反撃が飛んでくる。


「更地にしてリゾート地にみたいな言い草なんなんすか!」

「だって、もし人を噛もうとした時、入れ歯だったら外せるじゃない」

「だから噛まねーって言ってるっす!」


 軽口を叩き合う間にも、僕の頭の中では処置の手順を組み立てている。このくらいなら大丈夫だ。たぶん。

 冷静を装いながら、次の手順に進む。


「冗談だよ。これくらいなら、尖ったところを丸めるだけで済むかな。一応、神経が生きてるかどうかだけ調べるね。電気魔法うつよー」


 僕は両手をかざし、微弱な電流を彼女の欠けた犬歯に流す。歯髄電気診という人間にも使う魔法診断。痛ければ神経は生きていて、痛くなければ神経は死んじゃってる。


「痛いですか?」

「全然」


 あっさりした答えが返ってきた。んー、これはむしろ難しくなったかもしれない。


「神経が死んでる……いや、そもそもキョンシーって死んでるのか。腐敗してる?それとも……」


 自分で言っておいて、言葉の矛盾に少し笑ってしまう。腐敗云々を考えるのも変な話だが、これでも真面目にやっているのだ。頭の中で専門書のページをめくってみるが、「キョンシーの歯」について記載されていた記憶は一切ない。歯科医としてここまで未知の症例に当たることがあるなんて、思いもしなかった。


 本当にこの仕事、適応力勝負だよな……なんて自分に言い聞かせていると、フォンファが得意げにキョンシーの特性を語り始める。


「キョンシーは腐らねーっすし、痛みなんて感じてたら戦えねーっす。そもそも、魔法防御も高いから普通の雷魔法なんか効かねーっす。ちなみに物理防御もたけーっす」


 なるほど。厄介な種族だ。おまけに物理も魔法にも強く、硬いときた。それって診療する側からすると地獄でしかなくない?

 まあ、そんなことを口に出しても仕方ない。僕は視線を透視モードに切り替える準備を始めた。


「少し、透視と顕微鏡魔法使うね」


「は? 変なことに使うんじゃないっすか!?」


 ユニットに寝転んだまま、フォンファは両腕で自分の胸元を抱きしめるようにガードして、じろっと僕を睨む。そんな反応は想定内だ。僕は特に動揺することもなく、平然と返した。


「そうだとしたら、最初っから使ってるし、許可も取らずに勝手にやるよ」


「それはそうっすね……」


 フォンファは納得したようだが、言い方が雑である。まあ、そういうキャラだ。僕もわざわざ突っ込むのはやめておく。

 両目に片手をかざし、魔法陣を二重に展開する。いつ見ても、この瞬間は少しテンションが上がる。だって、格好良いじゃないか。自分で言うのもなんだけど、仕事中にしか見せないこの真剣な表情と魔法の光の組み合わせは、なかなか決まっていると思う。もちろん、真顔のまま内心ではドヤ顔だ。


 さて、と。本題に戻ろう。

 血液は黒っぽい色をしている。それだけ見ると、どう見ても「死んでる」と言いたくなる。でも、わずかに血流らしき動きもあるようだ。微妙だ。腐敗しているわけではなさそうだし、炎症性細胞の浸潤もない。なら、まずは侵襲性の低い方法から試すのがいいだろう。


「じゃあ削って丸めるよ。角落とすだけね。それで経過を見るから、今後腫れたりしたら教えてね」


「……うっす」


 少しだけ緊張した声で返事をするフォンファ。強気キャラのわりに、椅子の端をぎゅっと掴んでいる。その姿が妙に人間臭くて、微笑ましく感じる。やっぱり歯医者は、種族を問わず怖い存在なんだな。強気だったのも、実は怖さを隠すためだったのかもしれない。なんだか変に納得してしまった。


 僕はダイヤモンド製のバーをタービンに装着し、水を注ぎながら慎重に削り始める。ところが、すぐに異変が起きた。


 削るたびにバーが目に見えて小さくなっていくのだ。


「……硬すぎる。これ、一度うがいして待っててね」


 器具を置き、消毒室に向かう。その背中に、フォンファのぼやきが追いかけてくる。


「やっぱダメっすか?ウチの歯、キョンシーにされた時の魔法のせいでクソ硬いんっすよ。道端にたまたま落ちてた魔剣でガリガリやっても尖ったまんまだったっす」


 しょんぼりした声と内容が全然釣り合ってない。というか、捨て猫感覚で魔剣拾うなよ。消毒室で独りツッコミをしながら、僕は厳重に保管された棚の奥から当院自慢の秘密兵器を取り出した。


 戻ってきた僕が、異質な輝きを放つソレを掲げると、フォンファの目がまるで子供のように輝いた。


「ま!これなら間違いない。このオリハルコンのドリルなら大丈夫だよ」


「あの伝説のやつっすか? 実在するんすね!」


 さっきまでの態度とは明らかに違う。フォンファは尊敬の眼差しを僕に向けてくる。そうだろう、そうだろう。


「ドラゴンの歯を削る時はこれ以外無理だからね」


 自分で言っておいてなんだけど、ドラゴンの治療は数回しかない。この仕事でドラゴンと再び出会う日はいつか来るんだろうか、と少し現実逃避しながら、ダイヤモンドのバーをオリハルコン製に付け替えた僕は、いよいよ作業を再開する──と思ったその瞬間。


 フォンファの顎が、「ガポンッ」と音を立てて外れた。


「うべへえ!?何!?」


 思わず手が止まる。いや、止まるしかない。どうしたらいいのかなんて誰も教えてくれない現象が目の前で起きたんだから。


 しかし当の本人は動揺することなく、左手を上げて僕を制止すると、慣れた手つきで顎を元の位置に戻した。さらにはポケットから巨大なホッチキスを取り出し、裂けた部分を無表情で留めていく。


「……今の、どういうこと?」


「昔、クソアホ脳筋に不意打ち食らったんす。大丈夫っす。続けていいっす」


 大丈夫ってなんだ。仰向けになりながら、もう何事もなかったかのように振る舞うフォンファ。いやいや続けていいって……犬歯の欠けよりも、さっきの顎外れ事件のほうがよっぽど大問題なんじゃないの。


 困惑を抱えつつも、僕は処置を再開する。目の前の犬歯を滑らかに削りながら、心の中では「キョンシーの顎がちぎれるリスクについて」とケースレポートでも書いてみるか、と不安混じりの冗談を考えていた。


「はい、終わり」


 僕はそう言って自分の右目に左手をかざし魔法陣を浮かばせると、フォンファの右目の前に右手をかざし同様の魔法陣を出した。一般的な視界共有魔法だ。察したようにフォンファは左目を瞑って右目で魔法陣を覗き込んだ。

「おお、すげえっす!見た目そんなわかんないっすね!」

「ざらつきもない?」

 フォンファが犬歯を舌先でぺろぺろと舐める。

「ないっす!さすがっすね!!疑ってすいませんした!」

 意外と素直な態度に、僕も晴れやかな気持ちになっていく。

「歯医者冥利に尽きるよ。起こすからうがいしてね」

 うがいをしながらうんうんと頷き感心するフォンファだったが、その直後、僕から料金を告げられて絶句する。


「五十万ルビーだね」

「五十万!?ちょっと削っただけじゃないっすか!高すぎるっす!」


 僕は冷静に説明する。

「あのねフォンファちゃん。モンスターは保険が効かないし、オリハルコンのバーは、希少でさ。サイズはかなり色々入ってるけどセットで300億くらいするんだよ。まぁ僕は知り合いから買ったから安くしてもらったけどさ。あと、特注のダイヤモンドのバーも壊れたし……むしろ良心的だと思うよ?」


「うっ……そう言われると確かにそうかもっす」

 納得した様子のフォンファ。しかし次の瞬間、彼女は唐突に申し出た。


「ただウチに帰っても金ないっすから、ここで働かせてくださいっす!」


 その声に反応し、本日何度目かの音がして、スタッフルームの引き戸が勢いよく開く。


「いやーだゆ!噛まれてゾンビになるのは怖いゆ」

「噛まねーっすから!」


 二人の議論を聞きながら、僕は微笑む。

「まあまあキリちゃん、手伝ってくれるなら助かるよ。実際、忙しい時は人手が欲しいしね」


「むう……仕方ないゆ」

 キリアは渋々ながらも了承した。


「よろしく頼むっすよ先輩」

 フォンファは笑顔で深々とお辞儀をする。その瞬間、院内に雨音が小さく溶け込み、どこか賑やかな空気が漂い始める。


 そんな空気の中、キリアがあんぐりとその可愛らしい顔あけて、フォンファを見つめている。


「なんすか?おかしいっすか?先輩っすよね」


「キリアっていうんゆ。キリア先輩とよんで欲しいゆ」


「キリア先輩」


「──悪くないゆ」


 キリアは少しだけ目を伏せ、口元を緩めたかと思うと、一瞬でピシリと表情を引き締めた。


「フォンファ、手本をみせてやるゆ!まず院内を案内してやるゆ。あと、これが制服だゆ。これ名札ゆ」


 フォンファにチャコールグレーのスクラブと名札を手渡すと、キリアは威厳を保ちながらも、微かに弾む足取りでスタッフルームへ向かって手招きする。


「う、うす!あ、ありがとうっす……キリア先輩」


「うむ、それでいいゆ!」


 嬉しそうなキリアの背中を見て、僕は微かに笑みを浮かべた。


「なんだかんだ言って嬉しいんだよ、彼女。初めての後輩だから、先輩風吹かせられることなんてなかったからね」


「……ま、そう言う感じなら、キリア先輩のためにもいい後輩になってやるっすよ。金稼ぐのが一番の目的っすけどね!」


 フォンファもまんざらではない様子で、軽く拳を握りながらキリアの後を追った。


 キリアが院内を案内しながら、威勢よく説明を始める声が、雨音をかき消すように響いていく。その声には、わずかに自信と誇らしさが滲んでいた。


 こうして、いつもとは少し違った喧騒が、雨の日の静けさを包み込むように広がり始めていた。

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