Haisha of the Dead Ⅱ

「あっづぅぅぅう!!」

「わあゆ!」


 音速で洗面台に向かった僕は、水道の蛇口をひねりながら、人生で何度目かのコーヒー顔面浴に思いを馳せた。人によっては“芳醇”とか“豊潤”とか言うのかもしれないけど、僕にとってはほぼ熱湯責めでしかない。沁みるじゃない、痛い。物理。


 キリアが駆け寄ってきて、気遣いゼロの顔でタオルを渡してくる。──患者の唾液まみれ、しかも午前中に一度使用済みのやつ。

 反射で真顔になった僕は、それを無言で突き返し、キリアも無言で洗濯機にブチ込んだ。たぶん、これが僕らの意思疎通。熟年夫婦ではないと思いたい。


 その間に彼女は魔法詠唱を始めながら、まくしたてる。


「先生! た……たいへんだゆ! 来るゆ、かんせ……の可能性があるゆ!」


 (かんせ? なに?)

 水の音が邪魔をして、彼女の声が途中から“水没音声”になる。仕方ないので水を止めると、顔を引き上げるより早く──


「なんだか未来の先生の顔がふぬけてるゆ! あほみたいゆ!」


 ──と、言われた。

 あほみたいって、まあ、たしかに水びたしの男に知性は宿らないけど。


 振り向いたキリアは、というと。

 バラクラバ+ゴーグル+PPEフル装備のフルコース。

 おまけに詠唱中で、目がギラついている。


 あほみたいなの、どっち?


 僕がペーパータオルで前髪を“のり弁方式”に挟んで乾かしている間にも、彼女は何かしらのバフ系呪文を唱えていた。未来の彼女が何を見たのかは知らないが、少なくとも今の彼女はちょっと興奮している。多分、ハイテンションな魔法少女ってこんな感じ。


「キリちゃん、感染がどうとか……患者さんが来たって言った?」


「まだだゆ! ちょっと先の私が、めっちゃ慌ててたゆ!」


 ──ということは、未来視的な魔法で“このあと”の状況を見てきたらしい。未来から“来る”って、どれくらい先? 三歩? 三日? 三秒?


 ひとまず僕は鏡の前に立って、乱れた前髪を整えることにした。

 モンスターだって見た目を気にする。歯医者だって清潔感が命。


 と、鏡に映る自分がカラフルに発光していることに気づく。

 まさかと思いながら、ステータスを確認してみた。



【発光、再生、毒無効、猛毒耐性、麻痺無効、沈黙耐性、物理防御力上昇(特大)、ダメージ反射(特大)、魔法防御力上昇(特大)、回避力上昇(特大)、攻撃力上昇(特大)、獅子の闘志Ⅲ、体力上昇(特大)、女神の祝福、精霊王の恩寵、人魚姫の決意、人魚姫の祈り、毒腐竜の寵愛、古代種の血、嵐擬の加護】


 ──なんかついてる。いっぱい。

 強くなったのかもしれない。でも、何と戦うのかはまだ知らない。

 というかそもそも、これ僕のステータスで合ってる?

 このあと起きることは、たぶん“あほみたい”では済まない。

……てかなんで、僕、光ってんの?


「この“ダメージ反射”って……何が来る想定なの? 歯ブラシ投げつけてくるタイプの患者?」



 バフまみれの僕を見て、誰かがそう言ってくれるのを心待ちにしていたのに、キリアは黙々と追加詠唱中だった。こっちはもう、魔王戦エンカウント直前。なのに受付嬢がノーリアクション。なんなの、職場って冷たいの?


「キリちゃん……ねえ、これ、ちょっと過剰じゃない?」


「安心第一だゆ! ご安全に!」


 工事現場のパートのおばちゃんが朝礼で言うやつだ、それ。こっち医療現場なんだけどな。


 でもまあ、妙に気合い入った彼女の背中を見ていると、さっき顔面コーヒーまみれにされた怒りもどこかに消えていった。こういうところ、ずるい。バフの掛けすぎでそのうち呪文のスリップダメージとか入りそうだけど、そこも込みで憎めない。


「ま、ありがと。患者さんが来るまで、ちょっと落ち着こっか」


「うん! でも油断大敵だゆ!」


 暑すぎたのか、バラクラバは打ち捨てられ、いつのまにかキリアはビーズクッションに寝そべっていた。打ち上げられた魚、もといマーメイドのよう。言ってる本人が一番油断してるように見えるのはなぜだろう。まあ、いいけど。


 ステータス画面を開けば、バフ欄はすでにスクロールバーとの戦争に突入していて、勢いあまってエラー吐きそうになってる。しかもアイコン全部光ってる。派手だな。エレク◯リカルパレードか?


 そんな画面をのぞいていたら──


 カラン、と入口のベルが鳴った。


「うっす! やってるっすか?」


 やってますとも。今日も元気に光ってます。


 入ってきたのは、翠色のショートヘアに、クロップドTシャツ、パラシュートパンツ。ダンスバトル直前みたいな恰好の、すらりとした美少女だった。

 キリアとは対照的な“綺麗系”。方向性は違うけど、どっちも目立つ。そして、どっちも声がでかい。


 彼女は入口を両手で押し開けた姿勢のまま、じっと僕を見た。なんだろう、戦争でもしかけてきそうな眼差しだ。こっちは歯医者ですけども。


「あ、来たゆ」と、引き戸の陰からキリアが小さく呟いた。


 僕は受付から身を乗り出して、ペコッと頭を下げる。


「この方が例の?」


「そうゆ、きっとそうゆ」


 キリアの声が震えている。さっきまで『ご安全に!』とか言ってたのに。おい、バフだけして逃げる気じゃないだろうな?


「先生、気をつけてゆ。危険だゆぅ……」


 スクラブの裾がぴんぴん引っ張られる。見ると、キリアが顔面蒼白で震えていた。


「いやいや、そんなにビビらせないでくれる?パッとみ、可愛い女の子じゃない」


 僕が笑うと、キリアはむくれたまま引き戸の奥へフェードアウト。どう見ても完全撤退。こっちの戦線には、もう戻ってこなさそう。


 患者さんに向き直る。気を取り直して、声をワントーン上げる。「こんにちは。今日はどうされました?」


 目の前の少女は、片眉をぴくっと上げて言った。


「歯を診てもらいたいっすね」


 語尾がヤンキーのソレ。なんというか、田舎のコンビニ前に生息してそうな喋り方をする子だ。


「ここ、何でも診れる歯医者なんすよね? 人も、亜人でも、ドラゴンでも、バケモンでも」


 その言い回しに、うっすら不穏な気配がにじんでいる気がした。嫌な予感というやつである。


「まあ、実績は、いろいろ……ありますけど」


「じゃあ問題ないっすよね──」


 彼女は勝ち誇った顔で言い放ち、ドレスシューズをたたきに脱ぎ捨てた。


「あの、靴は揃えてシューズボックスへ……」

「あがらせてもらうっすよ!」


といって、彼女は受付のカウンターに飛び乗った。ちょっと、なんでそこに上がったの? てか揃えようよ靴。え? 整える気ない? そうですか。


 横柄な態度。たぶん僕のこと、ただの人間と思ってナメてるんだろう。正解だけども。


「……ちなみに、みるからに亜人さんですが、亜人の中ではどちらのタイプで?」


「アンデッドっす。あー、よく言うとゾンビ? みたいな」


 ……みたいな、ってなに。


 その瞬間、ズダン! と引き戸が爆発音つきで開いた。


「ほらゆ! ヤバいゆ! ゾンビはヤバいゆ!」


 キリアだった。頭に火を灯した蝋燭を王冠のようにくくりつけ、右手に十字架、左手に数珠。首からは水晶のペンダント。


いつの間にそんな装備を整えた。てかどっから出した。


「臨!! 兵!! 闘!! 者!! 皆──」


 なんか九字も切ってるけど、それ全部たぶん効かない。


「キリちゃん! 大丈夫、僕が診るから! 戻ってて!」


「ゆう!!!……先生……くれぐれも、気をつけてゆ……!」


 引き戸の向こうへ消えていった彼女の声は、なんだか魂が抜けたみたいだった。


 一方、ゾンビ(仮)少女は唇を尖らせていた。


「なんすかいまの。変なの」


 変じゃないんだよ……いや、変だけど、本気なんだよ彼女は……。


 気を取り直して、もう一度向き合う。


「さて。ゾンビの患者さんというのは、ちょっと前例がなくてですね……」


「なんすかそれ。差別っす。ウチは感染しない系っす」


 彼女が急に声を荒げるので、僕は思わず背筋を伸ばした。


「歯が欠けてるだけなんすよ! 冒険者の腕を噛んだら歯が欠けて、それだけっす!」


「……噛んだんですか?」


「別に変なことじゃなくないっすか? 正当防衛っす」


 ゾンビとしてのサガで噛んでしまったのかと単刀直入に聞きたい。でも、コンプラ的にどうだ??


 考え込む僕に、彼女は畳みかける。


「診てくれないなら、この歯医者の評判、落とすっすよ!」


 その瞬間。


 再び引き戸が弾け飛び、キリアが再登場。


「それ以上、先生に近づくと──覚悟するゆ!」


 さっきと同じ装備のまま、でもさっきより明らかに本気の顔。呪文を詠唱し始める。


 空気がピリつく。照明が明滅し、ぐっと暗くなる。なんか光がキリアに集まってる。これ、絶対やばいやつだ。


「天地鳴動せし、すべてを裁く雷よ──」


「ちょっと待って、ひとんちに雷とか呼ばないで!! あと、裁かないで!!」


「すべてを滅す神罰の槌よ──」


「物騒な槌でうちの建物叩かないで! 全て滅さないでいいから!」


 慌ててキリアの口を塞ぐ。


「あの、ウチの歯の話に戻ってもらっていいすか」


 ゾンビ患者さんも若干引き気味にこっちを見ていた。うん、僕もしたい。その顔。


「……とりあえず、カウンターから降りてもらえます?」


 僕は受付から一歩だけ前に出たけど、すぐに気が変わってまた引っ込む。怖い。亜人ならともかく、“ゾンビ”ってだけで怖い。ていうか、頑なにカウンターの上でうんこ座りしてるのも怖い。なんで無視?


「あのう、本当に噛まないんですか? なんか証明できるものとか……あれば助かるんですけど」


 言いながら、さらに中へ後退。もう受付じゃなくて城壁の内側だ。完全なる籠城戦の構えの僕に、ゾンビ少女はガンたれていた。


「そんなもんねーっす! あ……いや、待つっす。アプリに住民票が入ってるっす」


「それを見せていただけます?」


「しょーがないっすね……」


 彼女はスマホを取り出し、画面をピコピコ操作。僕は万一の時に退避できるよう、背筋を張っていたが──。


「ほら、これで安心っすか?」


 ドヤ顔で掲げられた画面にはこう書かれていた。


【フォンファ アンデット科 ゾンビ属 キョンシー種】


「……あなた、フォンファって言うのね。あと、ゾンビじゃなくて、キョンシーじゃん」


 その瞬間、僕は全身の力が抜けた。心の中で「よかった」と30回くらい唱える。ゾンビじゃなかったんだ。ゾンビじゃ。な。かっ。た。ん。だ。


「え? ウチ言わなかったっすか?」


 フォンファは首を傾げた……いや、違う。ただの首の動きだ。そこに「間違えた」という意識は一ミリもない。


「聞いてませんでした。最初からキョンシーって言ってくれてたら、こんな大騒ぎには……」


「まあまあ、誤解も解けたし、いいじゃないっすか。ウチだってこんなとこ来たくなかったんすから」


 肩をすくめるフォンファ。いや、なんで被害者ぶってんの。


「……ともかく、これで安心かな。一番奥の診療室にどうぞ」


 僕は深呼吸して奥を指差す。


「ええー、こんな急に態度変わるっすか? 怪しいっすね、この歯医者」


そういうと、ファンファはカウンターからようやく飛び降りる。ポケットに手をつっこんだまま音もなく降りたが、綺麗にヘソチラしたのを僕は見逃さなかった。今までの疲れが吹き飛びました。ごちそうさまでした。


「それはお前が説明不足だったからだゆ」


 いつの間にか背後に立っていたキリアが、待合でイキるフォンファを受付から鋭く睨む。ついでに僕の足も睨まれる。僕はヘソチラなど見ておりません。伸びていた鼻の下を、手で無理やりに戻した。


「いやいや、最初っからアンタら変だったっすよ。特にピンク髪のアンタ」


 文句を言いながらも指示には従うフォンファ。どうやら「口は悪いが従順」という、飼い犬みたいなタイプらしい。


 そんな彼女を見て、今回の治療は案外すんなり終わるかも……と淡い期待が芽生える。同時に、「キョンシーって本当に感染しなかったっけ?」という疑問が頭をもたげた。

 すると、まるで心を読んだかのようにキリアが「この世界では感染しないゆ」とコッソリ教えてくれる。


 その知識を得た僕は、キリアの頭をワシワシ撫でまわす。「セクハラゆ。新しいゲームで手打ちにしてやるゆ」と言われるまで、髪の指通りを全力で堪能した。

 心も落ち着いたところで、睨み返してくるキリアに仏の微笑みを返し、診療室へと向かった。

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