第32話 再戦、そして

「父上!」


 私の声は、父が放った水の魔法“終末の大いなる冬フィンブルヴェトル”にかき消されてしまった。使用者の魔力が続く限り、局所的に氷の刃を伴った竜巻を起こし続けるという恐るべき魔法だ。


「おのれっ……!」


 私に一番近い位置にいたのは、ビルだった。彼は昨夜とは異なり、魔道士のローブとマントを纏っている。さらに、一目で強力だとわかる杖を手にしていた。木製の杖に金細工があしらわれたその意匠は、トトのサークレットと同様、制作者がアンネローゼであることを示している。

 トトを殺さなければ、彼を止められないかもしれないと思っていた。けれど、アンネローゼは教えてくれた。


「わたくしが魔力を込めたサークレットさえ壊せば、トトにかかっている魔法は解けますわ」


 トトはあの赤い石があしらわれた金色のサークレットを何よりも大切にしていた。旅立つとき、故郷の幼なじみがくれたお守りを。


 私はトトを探した。トトは、父の魔法が生み出した氷の竜巻の中で、父と剣を交えていた。二人を同時に相手取っては分が悪いと考えた父は、トトとビルを分断し、一方だけと戦っているのだろう。

 父の杖は、エスペランサの鞘と同等の強度を持ち、並の剣ならば太刀打ちできない。けれど相手がトトでは、杖が折られかねない。もし杖が折れてしまったら、父はもう強力な魔法を放てなくなってしまう。すぐに助けに入らなければ。

 これまでの戦いでビルは、父に相当なダメージを負わされたようだ。杖を握る手は凍傷でボロボロで、終末の大いなる冬フィンブルヴェトルの魔法がもたらす極寒で口が回らず、詠唱もままならない状態だ。

 けれど、私に気がつくと、即座に炎の玉ファイアーボールを放ってきた。アンネローゼのそれに比して三倍くらいの大きさがあったが、ただの炎の玉ファイアーボールなら容易に斬れる。

 斬り捨てて、言い捨てる。


「私は生きています。その意味がわかりますか」


 ビルは私が誰なのか気がついて驚き、落胆し、それでも歯を食いしばる。彼を縛る怨嗟は、まさしく黒い炎となって、彼自身を焦がしていた。

 私はビルに背を向けて、氷雪の吹きすさぶ竜巻の中へと飛び込んだ。いかに父の魔法がすさまじくとも、この白いミスリルの鎧は私を守ってくれるはずだ。


「父上ぇーっ!」


 上体を縮め腕でかばいながらでも、手ひどい傷を負った。父の魔法は魔王の魔法にすら匹敵するのだと、身をもって知った。


「父上! ご無事ですね!?」


 突然の乱入者に父は面食らっているが、私は返答を待たずにたたみかけた。


「トトの相手は私にお任せを! ウィリアム・アロセイルを捕らえてください!」


 氷刃で袖は破け、かじかんだ指先は感覚を失っている。

 けれど、胸は熱く燃えている。


 少し、背が伸びた。けれど、やはり垢抜けた美男子とは言えない。癖のある茶髪はボサボサで、死闘をくぐり抜けた鎧は傷んでいるし、服の裾もすり切れている。

 赤い石をあしらった金色のサークレットが唯一のおしゃれと言えるが、それも魔力を帯びた防具――魔王との戦いにおいて、彼を守り、彼を勇気づけた、アンネローゼからの贈り物。

 それが今は、呪いの装具となって彼を縛っている。


「お前はケニーをやった奴……! 魔王の娘だったのか!」


 トトの青い瞳には、憎悪の昏い光が灯っている。


「許さない……!」


 その剣が、私に向けられる。

 私はトトの動きを観察し、間合いを探る。

 旅の間、私とトトは何度も剣の稽古をした。互いの弱点を補う戦い方を模索しては試し、魔王軍の精鋭に通用するレベルにまで昇華させた。


「貫く意志、輝きとなれ」


 貫く光弾レイシュート――トトが最も得意とする魔法。フラドナグとの研鑽で、より多く、より速く、より鋭くなった。けれど、その魔法の軌道には彼特有の癖があることを、私は知っている。


「ふっ!」


 短く息を吐き、虚空を袈裟に斬れば、迫り来る光弾はすべて粒となって消えた。

 トトは驚いたようだが、それは一瞬。すぐさま彼は近距離戦闘の構えをとる。彼が手にする剣の、その幅広の刀身に刻まれた魔法陣が輝き出す。

 今のトトにとって、私は前座に過ぎない。父が魔王に見えているなら、彼が一番倒したい相手は父。だから、私との勝負は一撃で決めるつもりだ。

 剣の威力に光の魔法を上乗せする、彼の必殺技。あの闘技場で勝負したときには未完成だった技は、旅の道程で完成を見た。勇者の剣技は戦いの中で研がれ、魔王に届くまでに至った。

 盾で受ければ、おそらく盾が砕ける。かわしても、光が炸裂して致命傷は必至。私が勝つには、彼の“技”そのものを斬らなければならない。


(エスペランサ、力を貸してください)


 剣・盾・鞘。物言わぬ仲間たちを一つの姿に戻し、左手で鯉口を切って、柄に右手をかける。

 トトは肩の高さで剣を地面と平行に構え、回避を許さない迅速さで一気に距離を詰めてきた。


 何も無い。その瞬間は、父の魔法も、フラドナグの結界も、無い。

 剣すらも無い。

 あるのは、光だけ。


「でえええいっ!」


 トトの咆哮で、流れが見えた。

 抜き放ったエスペランサは22本の斬撃を一つに束ねて青い閃光を描き、トトの剣に刻まれた魔法陣と、そこに流れる彼の魔力を両断した。

 光は切り裂けた。けれど、剣の一撃は残った。トトの剣は私の白い肩当てを砕いた。肩口に刃が突き刺さるが、甘んじて受ける。痛みを感じるのは、戦いが終わった後でいい。


「成敗!」


 返す刀を振り下ろす。

 エスペランサの切っ先は、トトのサークレットに嵌められた赤い石を砕き、サークレットそのものを真っ二つに両断し、そして、彼の額をわずかに斬った。

 ミスリルの鎧を砕いたトトの剣は、度重なる酷使で限界を迎えたのか、魔法陣が彫られた部分からぼろぼろと崩れていく。


「まだだっ!」


 それでもトトは、剣を捨てて手のひらに魔力を集め、自分の腕を剣と為して私を斬ろうとする。

 その表情は、憎悪に歪んでいて、鬼気迫っていて、つらそうで――恐怖を封じて戦っていた彼は、こんなにも必死だったのだ。

 けれど、戦いは終わった。私たちは、魔王を倒したのだから。


「目を覚ましなさい!」


 私はエスペランサを手放し、その手で、トトの横っ面を思いっきり引っぱたいた。


「……えっ?」


 何が起こったのかわからないという様子で、トトは頬を押さえ、そのまま、ゆっくりと顔を私に向けた。


「えっ、イリス!?」

「イリスディア!」


 トトが私を認識したのと同時に、すさまじい勢いで走ってきた父が全身で私をかばった。

 父の肩越しに、杖を折られ、氷の檻に閉じ込められたビルの姿が見える。


「父上、もう大丈夫です。トトは正気に戻りました。戦いは終わりました」

「な、なにッ!?」


 父は体をガバッと起こし、トトを見やる。トトは呆然としていて、どうやら何が起こったのかわかっていない様子だ。


「……父上」

「ああ、イリスディア!」


 父は私から離れて立ち上がり、改めて私を腕に抱いた。


「イリスディア、無事でよかった。お前に何かあったら私はもう生きてはおれん」

「それはいけません。父上はこの国の王なのですから」

「……そうだな。私がお前に言ったことだな。自覚を持て、と」

「はい……」


 私は父の背に腕を回した。


「ただいま帰りました」


 

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