第15話 異変
深い眠りの中で見た、あの日の夢。
なぜトトが勇者に志願したのか、村が魔物に襲われたからだと、話には聞いていた。聞いていただけで、本当の意味ではわかっていなかった。故郷を焼かれた人々の悲しみや苦しみを想像し、寄り添おうとしてきたつもりだったけれど、結局のところ、私は何も知らなかったのだ。
旅の途中、魔物に怯えていた集落はいくつもあったが、この村ほどに破壊されていたところはなかった。村の奥に位置する屋敷だけはなんとか守り抜き、生き残った村人たちは屋敷のそばに寄り集まって暮らしている。かつてこの屋敷の主だった貴族に仕えた使用人たち――彼らが住んでいた家が敷地内に複数あったのが幸いだった。
村の英雄であるトトが帰ってくるのを祝うパーティー。同じ祝いの席でも、城での戦勝祝賀会とは違って、身内だけでささやかに行うものだろう。私はやはり場違いだ。再会に水を差してしまう。それに、トトと会う決心もつかない。ケニー、アン、ビルに挨拶をしたら、村を出よう。
そう思って部屋を出ると、なにやら屋敷の中の空気が昨日とは違った。張り詰めた静寂が屋敷に満ちていて、気味が悪い。
廊下の窓から外を見ると、太陽はすでに天高くにあった。昼まで寝入ってしまうなんてこと、今まで一度もなかった。そんなに疲れていたのだろうか。魔王討伐の旅路の方が、よほど過酷だったはずなのに。
誰かいないかと、昨日夕食を食べた部屋を覗く。
「ケニー、アン……いない」
村人が集まって準備をしていた台所にも行ってみたが、そちらにも人ひとりいない。もう村人たちは全員、村の広場に集まって、トトの凱旋パーティーを始めているのかもしれない。私は台所の勝手口から外に出て、村の中央広場へ向かうことにした。すでにトトが帰ってきているかもしれないので、見つからないように、周囲を窺いながら――
「えっ……? なに、あれは」
屋敷の正面玄関が、なにやら真っ赤になっている。
不気味に思い、私は急いで駆け寄った。
「なに……これ」
ぶちまけられた赤は、血の赤だった。
暗紅色の血だまりの中に、人が倒れている。
私は倒れ伏す人のそばにかがみ込み、手が血まみれになるのも構わずに助け起こした。
「あ、ああっ……ああ……!」
喉が戦慄していて、うめき声しか出ない。頭が割れたように痛み、胸が燃えるように痛く、全身が現実を拒絶している。
切り傷だらけで血まみれの屍は、額に包帯を巻いた子供のものだった。
「お前かっ!!」
前庭から怒声が響いた。
「お前がケニーをやったのか!?」
まさか、声の主は、私に向かって言っている?
「よくも……よくもよくもよくもよくも!!」
殺意の塊が、私に向かって突っ込んできた。
呆然としていてはならない。正気に戻らなければ。動かずにいたら殺される。
私はエスペランサを抜き、襲撃者の一撃を弾いた。
「こいつ、やる!」
襲撃者は、額に金色のサークレットをつけた、青い瞳の青年だった。その瞳に昏い光を宿して私を睨みつける青年は、記憶の中の彼より背が高く、顔つきも大人びているけれど、見間違えるはずもない。
「トト……!」
トトは後方に飛び退り、体勢を整えた。
「許さない」
トトは人差し指を私に向けた。指一本は、光魔法を放ちやすい型だ。光弾が来る。
「貫く意志、輝きとなれ!」
詠唱に応じて、トトの周囲に七つの光が現れた。あの光は、私を狙い追尾してくる。私は屋敷とケニーから離れようと前庭を飛び出した。深く考えての行動ではない。ただ、トトの魔法が村を傷つけるのを見たくなかった。
「トト! 私がわからないのですか!? イリスです! どうか剣を納めてください!」
「イリス!?」
一瞬、トトの動きが止まった。言葉が届いたのかと期待した。けれど、違った。
「魔王の手先が、よりにもよってイリスの名を騙るなあっ!!」
光弾と共に、トトが斬りかかってくる。一層強い憎悪を燃やして。
トトは、本気で私を斬ろうとしている。
――何が起こっているの? どうしてケニーが死んでいるの? どうしてトトは私がわからないの?
エスペランサを握りしめた手が震えている。
戦えない。トトを斬ることなんてできない。できるはずがない。
「でえええいっ!」
トトの剣が、私の肩口を切りつけた。けれど、ミスリルの鎧の魔力が剣を弾き私を守った。トトは反動でよろめく。
「なんて硬さ、それならっ!」
トトは距離を取り、光の魔力を刀身に纏わせた。彼が最も得意とする、剣と魔法の二重攻撃――勇者以外に使い手のいない絶技。その一撃で倒せない相手などいない。今すぐトトの懐に飛び込んでトトを両断すれば、技を止められる。そう頭ではわかっても、実行に移せるわけがなかった。私の足はまったく動かない。死の気配が私に突き刺さる。
「これで終わりだっ!」
剣を振り上げたトトが、私の眼前に迫る。
「トト、後ろ!」
けれどそのとき、誰かが叫んだ。女性の声だった。トトは一瞬たじろぎ、振り返りながら剣で横に薙いだ。
「ちぃっ!」
密かにトトの背後に忍び寄っていた何者かは、振り向きざまの攻撃を紙一重で躱すと、頭上高く飛び上がり、地面に向かって玉を投げつけた。玉が割れるとそこから激しいつむじ風と煙が起こり、風に乗った煙が渦を巻き、周囲が真っ白に染まった。
強い風の中で視界を奪われ、身構えていた私のそばで、誰かがささやいた。
「逃げますよ」
現れたのは、顔の下半分をマスクで隠した、砂色の装束の男だった。
男は私の答えを待つことなく、私を抱きかかえて戦場から引き剥がし、風のように駆けて、瞬く間に村から離れた森の中まで逃げおおせた。
「お怪我はありませんか、姫様」
私を横抱きにしたまま、男はマスクを下ろした。その顔は、よく知る人物のものだった。
「……ロビン」
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