第10話 肉と豆の入ったスープ
村の奥にある屋敷は、確かに他の家ほどには痛んでいなかった。前庭があり、使用人の家もいくつかあるようで、まるで貴族の邸宅のごとき佇まいだ。
「この荷物は、祭りで出す料理だと聞きました。台所へ運べばよいでしょうか」
「はい。こちらですわ」
正面玄関ではなく、本宅脇にある勝手口から入ると、すぐに台所だった。さすがに城ほどではないが、立派な設備が整っている。火の魔力で動かすかまどに、水の魔力に反応する洗い場や保存庫。この屋敷は、魔法に優れた貴族の住まいとしか思えない。けれど、ケニーとアンは貴族には見えない。ケニーはサイズが小さい服を無理に着ているし、アンも白いシャツにデニムのサロペットという、作業着に近い服装だ。
「立派なお台所でしょう? でも、普段は使っていないのです。かつてここに住んでいた方が美食家の貴族だったらしいのですが、わたくしたちの手には余ってしまって。でも今日はパーティーのために、村の人みんなで集まって、ここで準備をしていますの」
村の人みんな、とアンは言う。けれど、ここにいるのは十人にも満たない。しかも、男性はひとりもいない。
「それにしても、すごい荷物。ケニー、あなた、イリス様に手伝ってもらわなかったら、帰ってこられなかったんじゃありませんの?」
「そんなことない。確かに重くはあったけど」
ケニーはむっとして反論する。妙に大人びて見えるケニーだが、姉の前では年相応の態度をとるらしい。
「イリス姉さん、その辺に下ろしちゃって」
「はい」
「イリス様。たくさん歩いてお疲れでしょう。どうかもうお休みください」
アンはそう言ってくれたけれど、もう少し手伝いたい。動いていれば、気が紛れるから……この村の状況を深く考えるのは、あまりにもつらい。
私はリュックを開いた。箱詰めの惣菜と、保冷用の
「アン、このお料理はどちらへ運べばいいですか」
「イリス様、そんな。雑事はわたくしたちに任せてくださいまし」
「私が手伝いたいのです」
「ですが……」
「アン、どうしてそう堅苦しいのですか。過剰な気遣いは無用です」
先ほどから気になっていた。アンは他人行儀で、まるで使用人のようなのだ。
「で、ですが、わたくしはこれが素なのです」
「イリス姉さん、本当だよ」
私と共に料理を取り出しながら、ケニーが言った。
「アン姉ちゃんは誰にでもこうなんだ。ビルさんが貴族に憧れて、貴族のお嬢様みたいになれ、って育てたから」
「ちょっと、ケニーったら!」
「だって本当のことじゃん」
「そうだったのですね。では、アン。あなたが楽な振る舞いをしてください。けれど、気遣いは無用です」
「あ、ありがとうございます」
アンは白い頬をぽっと朱に染めて、もじもじしている。アンには実際の貴族の娘たちのような大輪の花のごとき華やかさはないけれど、可憐さなら城に出入りするどの女性にも負けていないと思う。所作も淑やかで可愛らしく、好感が持てた。
手伝いを許可された後は、三人で惣菜を作業台に並べた。盛り付けは村の人に託し、台所を後にした。
* * * * *
ほこりっぽい廊下を通り、正面玄関から入ってすぐにある部屋へ通された。
この部屋の第一印象は、食堂だった。壁付けのキッチンとダイニングテーブルがあるからだ。一方で、部屋の隅には本棚やベッドもあって、食堂としてはややちぐはぐでもあった。
「ケニー、お腹がすいたでしょう? もうすぐお夕飯の準備ができますから、食べましょう」
「ビルさんは?」
「明日の準備に出ていますが、もうすぐ帰ってくると思いますわ」
アンは申し訳なさそうな目で私を見る。
「イリス様にも夕食を召し上がっていただきたいのですが……本当に、本当に粗末なものでして。何も食べないよりはいいと思うのですが」
私はアンの言葉に衝撃を受けた。彼女の中には、食べないという選択肢が存在している。きっとこれまでも、食べずにやり過ごした日があったのだ。
彼女の申し出を断るべきではない。半端な哀れみはきっと彼女を傷つけるだろう。
「ありがとう、アン。いただきます」
私がそう言うと、アンは明らかな安堵の笑みを浮かべた。
「では、お台所から運んでまいりますので、お待ちくださいませ」
「え、向こうで作ったの? こっちじゃなくて?」
「ええ。わたくしもみなさんと一緒に明日の準備をしていましたから」
ケニーの口ぶりからすると、普段はこの部屋のキッチンで料理をするのだろう。
この部屋に来るまでに通った長い廊下は隅にほこりがたまっていたし、窓もくもっていたけれど、今いるこの部屋は掃除が行き届いている。ケニーとアンの生活スペースは、基本的にはこの部屋だけなのだろう。
「では、いったん失礼しますわ」
アンは恭しく一礼してから、部屋を出て行った。
「イリス姉さんの泊まる部屋は、おいらが掃除しとくから。夕飯食べたらすぐやるから、ちょっと待っててね」
「ありがとう、ケニー」
「座って待ってて。おいら、別の部屋から椅子を持ってくるから」
「えっ。けれど……」
ケニーは瞬く間に出ていった。
テーブルにはすでに三脚の椅子がある。どうして取りに行く必要があるのだろう。
座っていてはまた気が塞ぎそうなので、ベッドのそばにある本棚を眺めた。農業や治水の資料、魔法の教本、彫金技術の指南書などの実用書ばかりだ。本があるということは、ケニーとアンは、読み書きができるのだろうか。
ほどなくしてケニーが戻り、ダイニングテーブルに四つ目の椅子を並べた。ケニーは私に、彼の隣に座るよう促した。
「お待たせしましたわ」
アンは、大きめのトレーに皿を三つ載せて戻ってきた。肉と豆が入ったスープからは、出汁がふんわりと香り、実に食欲をそそる。
アンがケニーの向かいに座り、三人そろったところで、私はスープに手を合わせた。
「いただきます」
そして、スプーンを手にして、一口目をいただこうとしたのだけれど……
気づいてしまった。
――ケニーとアンの皿には、肉が入っていない。
「……アン。このスープですが」
「も、申し訳ございません。こんな粗末な食事、お気に召さないとは思うのですが……今日はこれしか作っていなくて、明日ならもう少し」
「私は肉を食べません。ケニーとお皿を交換してもいいでしょうか」
「えっ?」
この夕食に、育ち盛りの男の子が文句のひとつも言わないなんて、おかしい。これが日常だとするなら、ケニーの発育の悪さは、食生活の貧しさゆえだろう。
「お願いします、ケニー。作っていただいた料理を残すのは忍びないのです。それとも、肉は嫌いですか」
「いや、好きだけど」
「では、好きな人が召し上がったほうがいいでしょう」
「……うん」
ケニーが頷いたので、私はさっと皿を取り替えた。よく見れば、豆の数さえ私の皿より少なかった。
「イリス様……」
アンは沈痛な面持ちで私を見ていた。
「すみません、アン。せっかく作っていただいたのに」
「いいえ、お尋ねしなかった私の落ち度ですわ……」
客である私に少しでも豪華な食事を、という、アンの心遣いはありがたい。けれど、もし私が今日ここに来なければ、肉を食べるのはケニーだったはずなのだ。だから、これでいい。
スープをすくって口に運ぶ。野菜の味が染みだした、素朴でやさしい味わい。作り手のやさしさが全身に染み入っていくようにすら感じる美味だ。
「とてもおいしいです」
「ああ、よかったですわ。お口に合わなかったらどうしようかと」
「
「は、はい。僭越ながら……」
「出汁にはなにを使ったのですか」
「野菜のくずです。料理には使えない部分からも、お出汁はとれますので」
「素晴らしいです」
アンは、頬をぽっとばら色に染めた。私が正直に褒めたから、照れているのかもしれない。けれど、なぜか、その表情にはわずかに悲しみが滲んでいるようにも見えた。
「……イリス様は、素敵な方ですね」
「やっぱりアン姉ちゃんもそう思うだろ!?」
「ええ。本当に……」
本当はアンも、弟にたくさん食べさせたいはずだ。それができないのは、貧しさゆえ。
魔王軍との戦いが終わっても、いまだこの村は苦しんでいる。
自国の民の窮状を知らなかった。魔王さえ倒せばすべてが解決すると思っていた私は、なんと愚かだったのだろう。
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