第28話:原作では紡がれない物語
広い廊下を歩きながら、リルゼムは一人眉間に皺を寄せていた。
運命から逃げ続けていれば、オルナトと遭遇する日なんて来ないと思っていた。それなのになぜ、と理由を考えても答えがまったく浮かばない。
もしかして原作どおりに物語を進ませる、目には見えない強制力みたいなものでもあるのか。
リルゼムを物語の核に関わらせ、エイドルースをダークヒーローにする。この国の将来のためには必要不可欠な展開だ。しかしそのために、いや、あんな卑劣な男のためにエイドルースが犯罪者になるのだと考えると、胸の奥にずっと巣食っているモヤモヤがさらに大きくなる。
あまり二人を近づかせたくない。エイドルースには真相に近づいて欲しくない。
真実を知りながらも逃げてるくせにこんなことを願うなんて、我儘だろうか。
そんなことを考えながら歩いてると、不意に近くから人の声が聞こえてきてリルゼムは足を止めた。
──誰かいるのかな?
周囲を見渡してみるが、廊下に人の姿はない。代わりに近くにある部屋の扉が少しだけ開いているのが見えて、声はそこから漏れているのだと分かった。
いかにも怪しさ満載といったヒソヒソ声に、嫌な直感を覚えたリルゼムは足音を立てないように近づき、扉の影に隠れながら耳を澄ます。
「──計画は手筈どおりに?」
「ああ、予定どおり北の湖に小舟を用意した。水路を使えば王城の外まで出られるはずだ。そっちのほうは?」
「こちらの手の者をメイドに紛れ込ませた。今頃、姫に眠り薬を飲ませてる頃だろう」
眠り薬、姫。男の口から出てきた不穏な単語に、自然と眉根が寄る。と同時に、記憶の隅で何かが動いた。
──あれ、これどこかで……。
しかし、すぐに記憶の扉は開かなかった。しかもその間も男たちの会話は続いたので、リルゼムは仕方なく浮かんだ疑問を強引に頭の奥へと押し戻した。
「だけど、あのお方も末恐ろしい方だよな。自分の計画に邪魔だからって姫を拐かすなんて」
「しっ、余計なことを口にするな。俺たちはあくまで姫に懸想する哀れな男の願い叶えてやってる、って体なんだから」
「そうだったな。まぁ俺は金さえもらえりゃなんでもいいけど」
続けて交わされた男たちの会話が耳を通った瞬間、リルゼムの中で記憶の扉が一気に開く。
──っ! そうだこれ、漫画の中で起こった皇女殿下誘拐未遂事件だ!
なんでこんな大切なことを忘れていたのか。漫画の内容を思い出したリルゼムは、迂闊だったと、唇を噛みながら漫画の内容を思い出す
確か内容はこうだ。
王城で働く一人の男の庭師が、ラーシャ国の皇女に懸想した。恋心を募らせた男は皇女に婚姻の話が持ち上がっていることを知ると、彼女を誰にも渡したくないと考えるようになる。そんな男の気持ちを利用し、皇女を誘拐させようと企てたのが宰相のオルナトだった。
オルナトはルネリタの婚姻で他国、つまり自分が将来従属化させる予定の国が力を持つことを懸念し、姫を失踪させようとしたのだ。
だがこの事件は誘拐が成立する前にエイドルースが運良く察知し、未遂に終えることができた。というものなのだが、ここまで大きな事件にもかかわらず、なぜリルゼムの頭からすっぽり抜け落ちてしまっていたのか。
それはこの話がエイドルースの活躍の一つを紹介した、所謂ナレーションベースの話で、それゆえ漫画では詳細がしっかり描かれなかったからである。ルネリタの名をリルゼムが知らなかったのも、そのせいだ。
──でもこれって『未遂』事件だから、ルネリタ様は攫われることはないんだよな?
頭の中に薄らと残る漫画の記憶を呼び起こす。
この事件が物語どおりに進めば、エイドルースが気づいて解決してくれるはずだ。つまりリルゼムが自ら動く必要はない。だから放置していても──。
「…………あ……っ!」
そこまで考えたところで、不意にリルゼムの頭に漫画の中にあったワンシーンが浮かび上がった。
記憶に蘇ったのはルネリタを救出した後、一人闇夜の月を眺めながらエイドルースが後悔を募らせるシーンだった。
エイドルースはルネリタの誘拐を阻止した。しかし。
──確か救出される際にルネリタ様は左腕を負傷して、二度と物が持てなくなってしまったって……。
ルネリタの命に別状はなく、その後の婚姻も無事に行われたと、さもめでたしめでたしのように描かれていたが、エイドルースはルネリタの身体に障害を残してしまったことを自分の力不足だと酷く悔やんだ。
──じゃあ、このままいけば……。
ルネリタは大好きな刺繍が、二度とできなくなってしまう。
「うそだろ……」
まるで頭を後ろからガツン、と殴られたかのような衝撃だった。彼女からレース編みを奪うなんて、希望を奪うのと同義だ。もしこれが自分だったら耐えられない。
「………………だめだ」
あんな凄い作品を生み出す人間の手を、宝を失うわけにはいかない。
それに────創作されたキャラにだって人生はある。たった一行の説明で人生を狂わされるなんて、絶対にあってはならない。
そう思った途端、もう居ても立ってもいられなくなった。
自分が動けば漫画の展開をまた大きく変えてしまうことになるが、ルネリタはエイドルースの物語に直接関わってくるキャラではないからパトリ同様、それほど問題にはならないはずだ。
リルゼムは音を立てないように扉から離れ、パーティー会場のほうへと歩きだす。
「とりあえず誰かに協力してもらわないと」
エイドルースが異変に気づく前にルネリタを助け出す必要があるが、これはリルゼム一人には荷が重すぎる案件だ。
「城の兵に今の話をして……いやでも信じてもらえるか……」
庶民の言葉なんて戯れ言ととられるかもしれない。
エイドルースの名前を出せない今、リルゼムは無力だ。
「どうしよう………………ん? あっ!」
立ち止まって対策を考えていた時、廊下の先にふと見知った背中を見つけたリルゼムは駆け出す。
「ツヴァルト様っ!」
「うぉ、びっくりした。誰かと思ったらリルゼムか。どうした、そんなにも慌てて……」
「あの、裁判長はっ?」
「あいつならまだ広間にいたぞ」
「よかった、まだ気づいてない」
「気づいてない? 一体なんのことだ?」
突然走り込んできて訳の分からないことを言うリルゼムにツヴァルトは首を傾げたが、そんなのは無視してグイッと自分の身体を近づける。
──ツヴァルト様相手に『これ』が効くかどうか分からないけど。
王国法院の同僚たちは『これ』をすると、なぜか不思議となんでも願いを聞いてくれた。おそらくリルゼムの顏の良さが成せる技なのだろう。ありがとう、作者さん。男としてのプライドは少々傷つくけれど、ルネリタの安否の前ではそんなものかなぐり捨てるしかない。
──神様、仏様、漫画家様。どうかオレに力を!
一か八かでリルゼムはツヴァルトの手を取り、自分の両手で包み込む。そして思いきりツヴァルトに顏を近づけ、まっすぐ見つめた。
「ツヴァルト様! 一度だけでいいので、オレのお願い聞いて下さい!」
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