第20話:エイドルースの兄①
遊び疲れたパトリを部屋まで送り、自分も部屋に戻ろうかと思った矢先のことだった。
「リルゼム!」
リルゼムは不意を打たれる形で突然抱き締められ、グェっとカエルが潰れたような声を漏らした。
あまりにも強すぎる抱擁に一瞬、三途の川が見えかけたが気のせいだろうか。
「く、くるし……」
突然こんな突拍子もないことをするのは、絶対あの男しかいない。
「ありがとう、パトリとの仲を繋いでくれて」
パトリが心を開いてくれたことが余程嬉しいのか、エイドルースは興奮を抑えられない様子でぎゅうぎゅうと腕の力を強めてくる。
遠慮なしの豪腕に、とうとう身体が悲鳴を上げた。
「いやまじしぬ……」
このままだと本当に内臓が逝ってしまう。切実に訴えるとようやく腕の力が弱まって、リルゼムは命の危機を脱した。
「君がいなかったら、私は死ぬまでパトリと心を通わせることができなかっただろう」
「それはよかったですね」
「君は本当に不思議な人だ。先日の法改正の案も今回のこともそうだが、いとも簡単に解決の糸口を見つけてしまうのだから」
「パトリとのことは単に裁判長が不器用なだけでは?」
「父親になったことがないから、小さな子の扱い方が分からなくてね」
「は? オレだってありませんけど」
今回上手くいったのはたまたま前世で妹の世話をよくしていたからで、決して父親経験があるからではない。そう思って返したら、現在進行形でゼロ距離の男からとんでもない返答が戻ってきた。
「そうかな? 君は立派に母親の顔をしていたぞ」
「はぁ? 母親ぁ?」
「気づいてなかったのかい? パトリを見る目は母親のようだったし、二人を見ていると本当の母子がそこにいるようで微笑ましかったよ。私も父親として隣に立ちたいと願うぐらいに」
「貴方、視力大丈夫です? 節穴ですか? 阿呆ですか? 男のオレが母親に見えるとか、働き過ぎで頭おかしくなりました?」
「直球で失礼なことを言われているようだが、今日はすこぶる気分がいいからすべて聞き流そう」
「聞き流さなくていいのでそのバカげた妄想、即座にかなぐり捨ててください」
「バカげた妄想なんかじゃないよ。私は君をパトリと同じぐらい大切に思ってるし、三人の関係も良好だ。君さえ承諾してくれれば、すぐにでもこの屋敷に迎え入れよう」
君と一緒にパトリを育てたいと真顔で言われ、リルゼムの背筋は瞬く間にゾッと凍りついた。
だめだ、長きに亘る甥との確執に終止符が打たれた喜びで、完全に頭がハイ状態になってる。
「この国では同性婚は認められてませんし、それに貴方大貴族の当主でしょう。庶民の男とどうこうなるなんて天地がひっくり返ってもありえませんから」
「当主云々の話なら心配いらない。この家の正式な跡継ぎは兄の子であるパトリで、私は彼が成人するまでの代理当主だから君とどうこうなってもこの家が絶えることはないし、それに時代に合わない法はどんどん変えていけと言ったのは君だろう?」
「それは懲罰刑の話でしょ? 変にこじつけないでください」
「こじつけてなんか──」
「もういいですって。パトリのことは好きですけど母親じゃないし、たとえ法改正されたとしても裁判長とどうこうなる気もさらっさらありませんから」
「さっきはエイドルースさんと呼んでくれたのに、また他人行儀な呼び方をして……」
「他人行儀じゃなくて、赤の他人です! もうそれ以上言ったらパトリに裁判長の悪口、あることないこと吹き込みますからね」
名誉毀損で訴えられようが知ったことかと、強硬姿勢でエイドルースを押し退ける。しかしリルゼムの細腕ではエイドルースの逞しすぎる体躯を退かすことはわずかもできなかった。
「仕方ないね、君には嫌われたくないから、今回は引き下がるとしよう」
ようやく抱擁から完全に解放されたので、リルゼムは即座に距離を取った。
「永遠に出てこないでください」
「善処しよう」
絶対にしないだろう約束をさらっと口にする男に軽い舌打ちを打ちつつ、半分諦めの溜息をつく。その時──。
──ん?
ふと、自分が言葉のわりにさほど怒っていないことにリルゼムは気づいた。
最近この手のやりとりに慣れたのか、それとも諦めたほうが楽だと本能が悟ったのかは分からないが、時々応酬を楽しんでる自分がいる。
──これ、だめな傾向じゃね?
ここにいるというだけでも危険なのに、これ以上関係が深くなればそれだけで破滅が近づく。パトリやメリたちのことは好きだが、やはり殺されるのはごめんだ。
「これ以上裁判長と話してると頭がおかしくなりそうなんで、もういいです。とりあえずこれからは仕事と同じぐらいパトリとの時間も大切にしてくださいよ。貴方は唯一の家族なんですから」
話題を区切るようにそう告げると、それまで笑顔ばかりだったエイドルースの顔にふと影が落ちた。
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