第11話:未来のためにできること①



 人の本能というものは怖い。

 駄目だ、危ないと警告を出しているのに、死地へと向かう足に逆らえなくなるのだから。

 どうしてこうなってしまうのか自分でも分からない。ただただどうしようもない焦りに背を押されたのだとしか言えない。

 まっすぐ法院の裏庭へと向かう中、リルゼムはそんな言い訳を繰り返す。


「確か、ここだったはず……」


 中央棟外れの裏庭。ここは木や草が自然のまま茂っているだけの何もない場所で、昼休みになっても人の姿はなくひっそりとしていた。

 一人きりになるには、打ってつけの休憩場である。

 そんな場所に着いたリルゼムは、首を左右に動かしながら目的の人物を探す。

 

「裁判長ってやっぱり暇なんですね」


 そうして見つけた男は、裏庭の大木の上にいた。

 大の大人が木登りなんてどうかとも思うが、責任ある役職に就いている人間はそうでもしないと一人にはなれないらしく、漫画でもエイドルースはよくこの場所で誰にも打ち明けられない悩みと戦っていた。



「……おや、こんなところに人が来るなんて珍しいと思ったら、まさか君だったとは」



 古株の職員でも気づかない辺鄙な場所に現れたリルゼムの姿を見て、エイドルースは驚きながらも笑みを浮かべた。

 その表情はいつもより固かった。



「今日は仕事が多すぎて疲れたので、緑でも眺めて休もうと思ったんですよ」

「確かに緑は目にいいからね。しかし、ここは私しか知らない場所だとばかり思っていたから驚いたよ」

「驚いたのはオレも同じです。でもまぁ、貴方には聞きたいことがあったので、ちょうどよかったかもしれません」

「私に? いいよ、他でもない君が知りたいことならなんでも答えよう」



 快く承諾したエイドルースが、木の上からこちらに手を伸ばしてくる。



「その手は?」

「君を引き上げようと思って」

「え、まさかオレもそっちに行くんですか?」

「ここは葉の隙間から空も見えるし、いい風も吹いている。話をするには絶好の場所だよ」

「謹んでご遠慮申し上げます」


 何が悲しくて男二人で仲よく木登りしなくちゃいけないんだよ。おかしいだろ。


「別に降りてもいいけれど、こんな場所で私と話をしている姿を見られたら、君が嫌がりそうな噂が流れかねないんじゃないかな?」


 その点、ここなら葉の陰に隠れて二人の姿は見えない。そう言われて、確かにそうかもしれないと気づく。変な噂が誤解を生み「裁判長が勧誘してる庶務課の職員がとうとう折れた」なんて話が広まるより、ここは物理的距離を我慢したほうがまだマシだと、リルゼムはエイドルースの手を取った。

 

「わっ…………え?」

 

 瞬間的に強い力で引き上げられた、と思った時にはもうすでにリルゼムは木の上にいた。まるでワープしたかのようだった。

 

 ──嘘だろっ、腕の力だけでオレを引き上げるなんて。


 リルゼムは細身のほうだが、体重は成人男性の標準ぐらいはある。だというのにエイドルースは軽々と引き上げてしまった。

 この男の腕力は一体どうなっているのだ。怪物か。

 驚愕しながらもエイドルースに引かれるまま太枝の上に座ると、葉の間を吹き抜ける清新な空気の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

 確かにエイドルースの言うとおり、ここにはいい風が吹いている。



「それで、私に聞きたいこととは?」



 リルゼムの隣に座るエイドルースが、柔らかな眼差しで見つめてくる。その距離の近さに驚いて身体を引こうと思ったが、あいにく木の上は座れる場所が限られているので耐えるしかないらしい。



「……あの、かなり忌憚のない質問ですが、いいですか?」

「それは私の気分が悪くなるようなことを聞く、ということかな?」

「怒ってここから落とされたら嫌なので」



 さすがにそんなことはしないと信じたいが、裁判長だって人の子だ。気分を害せば怒りも湧くだろう。そう考えながら様子を窺っていると、なぜか隣の男は吹き出して笑い始めた。



「ぷっ……ハハハッ。君は本当に正直だね。いいだろう、たとえ痛いところを突かれたとしてもここから落としたり、怒鳴ったりもしないから安心してくれ」


 よし、言質は取った。

 これで身の安全は確保できる。


「分かりました。では聞かせてもらいますけど────この国の裁判長ってバカでもなれるんですか?」


 リルゼムの質問が耳を通り抜けたであろう瞬間、エイドルースは瞠目した。

 そのまま固まること十数秒。



「……これまた辛辣な。だがそう思う理由は?」

「だってこの国の裁判って、法で決まってる刑をただ言い渡すだけでしょう? だったらバカでもできるじゃないですか」



 法廷を開く前にすでに刑が確定しているのなら、必要なのは判事席に座って開廷を宣言し、判決を述べ、閉廷を告げる人間だけ。それなら誰だってできるはずだ。

 

 響李として生きていた日本でも犯罪に対する刑期の基準はあったが、被告人の態度や計画性の有無、心身の健康状態などで減刑されることがあった。その中でも一番分かりやすいのが自首だろう。もし人を殺めてしまっても、警察が犯人を特定する前に自首をすれば減刑事由になったりする。

 しかし、この国にはそういったものはない。窃盗、暴行、恐喝、強盗なら有期刑か罰金刑、殺人は一律死刑とすべてが最初から決まっていて、事件の背景に何があろうと変わることはない。

 はっきり言って、この国の法律はおかしいのだ。



「君がそう思うのは、三日前の裁判のせいかな?」

「そうですけど、以前から違和感はありました」

「その違和感を詳しく聞かせてもらえるかい」

「たとえばメリルさんの旦那さんが殺された事件、あれは加害者の身勝手な犯行なので相応の罰を受けるべきだと思います。でもあの事件と、追い詰められて人を殺すしかなかった事件を同じ物差しで測るのは、フェアじゃないのでは? 過去の判例も見ましたが、不注意の事故で命を奪ってしまった過失致死や、暴漢に襲われた女性が抵抗した結果死なせてしまった正当防衛もそうです。被告は判を押したように死刑判決になってる」

 


 リルゼムは思っていたことを一息でエイドルースにぶつけてやる。

 するとエイドルースは「それは……」と口籠もったのちに、眉間に深く濃い皺を刻みながら押し黙ってしまった。


 ──ああ……やっぱ怒ったか。

 

 こうなったら、一発ぐらいは殴られる覚悟しておかなければ。せめて少しは手加減してくれますようにと、リルゼムは願う。

 ただそれはそうと、殴られる覚悟を決めてしまうと逆に度胸が生まれたらしく、リルゼムの中に「どうせならもう少し言ってしまおう」という気持ちがむくむくと湧いてきた。あとは野となれ山となれだ。



「一介の事務職員ですらあの判決に胸くそ悪さを覚えるのに、この国の司法を任された人たちは何も思わないんですか?」



 貴族学校で何百時間と勉強して、法院に入ってからも研鑽を積み上げ、難関と言われる試験をいくつも乗り越えた末に手に入れた判事席の価値とは一体何か。


「この国の裁判長ってなんのためにいるのかって、正直疑問に思います」


 言い切ってやると、エイドルースはばつが悪そうな表情を見せてから一度視線を外し、何かをじっくりと考える素振りを見せた。

 そうして暫しののち。



「君なら……」

「え?」

「もし君が私と同じ立場だったらどうする?」


 まさか怒りではなく質問を返されるとは思わなかったので、驚きに一瞬固まってしまった。だがすぐに我を取り戻して、質問の答えを考え始める。

 もし自分が裁判長なら。

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