第10話:胸くそ悪い殺人事件の結審



「そういえば最近見ないな」


 もうすぐ昼休みが始まるという時に、不意に話かけてきたのは庶務課の同僚だった。


「何が?」

「例の人だよ」


 どこかの魔法ファンタジー映画に出てくる、名前を言ってはいけないあの人みたいな扱いになっているが、エイドルースのことだ。


「あー、確かに見ていないような」

「リルゼム、お前なんかしたのか?」

「なんでオレが何かしたせいになってるんだよ」

「だって毎日来てたのに急に来なくなるなんて、絶対お前が何かやらかしただろうって、皆が……」

「んなわけないだろ。ってか毎度あの人が来る度にビクビクしてたくせに、来なくなった途端に寂しくなったのか? だったらお前を是非法務部にって薦めておくけど」

「いやいやいやいや、そんな恐ろしい推薦いらない!」


 同僚は、千切れて飛んでいきそうなぐらい首を振って拒絶した。


「なんだよ、花形部署だぞ? 行きたくないのか?」

「法務部って貴族のエリートばかりだろ? そんなところに俺なんかが飛び込んだら、三時間で廃人だよ」


 いや、せめて三日ぐらい頑張れ。

 突っ込みたくなったが、気持ちは分からなくもないので黙っておく。


「貴族ねぇ……」


 同僚が言うように、法務部は職員のほぼ全員が貴族だ。そのうえ超難関と言われる特別司法職員試験を合格した猛者ばかりなので、能力も高いければプライドも高い。その中に庶務課の職員が入っていくなど、スキップしながら処刑場へ向かうようなもの。こちらだって遠慮したい。



「オレだって行きたくないよ。だから来なくなってくれて清々してる」

「リルゼムって結構辛口だよな。前は大人しい奴だと思ってたけど、実は猫被ってたのか」


 猫被りどころか、中身のほうが完全に別人になっているけれど。

 だが確かに漫画のリルゼムは、大人しくて存在感のないモブだった。



「あ、そういや裁判長で思い出したけど、三日前の胸くそ悪い裁判の話聞いたか?」

「いや知らないけど、どんな話?」

「殺人事件の裁判だったんだけど、被告人がすげー可哀想でさ」

「被告人が可哀想?」


 殺人事件の被告人として裁判にかけられたのなら、証言もがすべて揃っているということになる。そんな人間が可哀想だなんて、一体どういうことか。リルゼムは首を傾げながら話の続きを待つ。



「なんでも、始まりは長年独り身だった被告人に、年若い恋人ができたって話だったんだけどさ。その女が実はギャングの男の妻だったらしくて──」


 被告人は人妻をたぶらかせたとギャングの男から酷い暴行を受け、さらに「人妻に手を出したと街中に広められたくなければ金をよこせ」と何度も金銭を要求されたのだという。

 


「え、それっていわゆる美人局じゃ……」

「おそらくな。でもギャングの妻は『無理矢理言い寄られた』としか言わないし、他に証拠がないもんだから、訴えても立件できなかったと」

「最悪だな……ってことは被告人が殺したのは、そのギャングの男?」



 度重なる脅迫にとうとう耐えきれなくなって、との話ならありえる話だ。


「いや、胸くそ悪いのはここからだよ。ギャングの男は被告人ならなんでも言うことを聞くだろうと踏んで、今度は被告人の年老いた母親を人質に取って、組織にいる自分の敵の殺害を命じたそうだ。で、被告人は母親を助けるために止むを得なく……」


 同僚がナイフで相手を刺すフリをする。


「……それで判決は?」

「聞くまでもないだろ。この国の法律じゃ、どんな理由であれ殺人は一律死罪」


 被告人は慣例どおり死罪判決を言い渡されたそうだ。


「判決後、ショックを受けた被告人の母親は『全部自分のせいだ』って嘆きながら自ら命を絶ったらしいぜ」

「そんな、悪いのは明らかにギャングの男だろ!」


 腹の底から湧いてきた怒りが堪えきれず叫んでしまう。



「それで、ギャングの男のほうはどうなったんだよ。当然、捕まったんだよな?」

「捕縛はされたけど直接手を下したわけじゃないから、暴行と脅迫しか罪は問われないって。おそらく数年の懲役か罰金払っておしまいだろうな」

「はぁ? 家族を人質に取られれば誰だって言うこと聞くしかないだろ? 心神喪失状態で罪を犯した人間が死罪で、暴力で人を支配してきた悪人が罰金だけ? 主犯はギャングの男なんだから、そいつが死罪になるべきだ!」



 リルゼムが声を荒げると、剣幕に戦いた同僚がビクッと肩を大きく震わせた。


「お、俺に怒るなよ……」

「あ……ああ、ごめん。ちょっとむかつきすぎて」

「いや別にいいけど……お前も結構熱いところあるんだな。そういうところが裁判長の目を引いたのかも」

「はぁ? なんでいきなり裁判長が出てくるんだよ」


 関係ないだろ、とリルゼムは同僚に文句をぶつける。


「いやだってその裁判、裁判長も死罪判決に納得がいかなかったみたいでさ。何度も左右の陪席裁判官に本当にいいのか聞いてたらしいし、なかなか結審もしなかったみたいだし」


 やむ得なく死罪判決を下した後も悔しさを滲ませたまま、法廷を出て行ったそうだ。

 その話を聞いて、ふと脳裏に覚えのある光景が過る。

 

「あ……」


 追い詰められた善人が起こした事件。

 納得のいかない判決。

 野放しにされる狡猾な悪人。


 ──そうだ。


 思い出した。エイドルースはこの事件がきっかけで、ダークヒーローになるのだ。

 被告人の処刑後、罰金を払って釈放されたギャングの男は反省するどころか、金を失った怨言を周囲に撒き散らすだけだった。そんな態度が許せなかったエイドルースはギャングの男を闇討ちし、被告人母子の無念を晴らした。

 そしてその後、血に手を染めたエイドルースは本格的に闇の道──法で裁けない特権階級の貴族たちに恐喝や暴行、殺人といった強引な手段を取り、兄の情報を得る──に進むことととなる。



 ──つまり、ここがエイドルースの人生の分岐点か。


 

 悪に鉄槌を下すといえば聞こえはいいが、要は殺人者になるという意味だ。


「殺人……。」


 そういえば昔、大学の心理学の教授が語っていた。

 

 殺人者と殺人者でない人間には、大きな違いが一つある。


 それは危機的状況に陥った際、普通の人間なら立ち向かうか逃げるかのどちらかを選ぶが、殺人経験者にはその二つの他に『相手を殺す』という選択肢が当たり前のように追加されると。

 殺人者と法を守る者の間には、一度飛び越えたら二度と戻れない高い壁が存在する。

 だから、人を殺してはいけないのだ。

 

 

 ──きっと今頃、一人で最後葛藤と戦ってるんだろうな。

 

 

 首席判事まで登り詰めた男が、殺人の壁の意味を知らないわけがない。その中で悪に手を染めるか否かを決断しようとしている。

 

 ──これはエイドルースの今後に必要なエピソードだ。



 だから無関係の自分は決して邪魔をしてはいけない。



 ──それに、オレはあの人と関わらないって決めてるんだ。



 あの男が犯罪者になろうが、知ったことではない。

 そう、知ったことではないのだ。

 けれど。


「くそっ……」


 なんなんだ、この胸の奥から湧き上がるモヤモヤは。まるで自分が悪いことでもしているかのような罪悪感が、心の中でどんどん広がっていく。



『あの男なんて無視しろ』

『本当にこれでいいのか』

『反対したところであの男は止まらないんだし、好きにさせればいい』

『エイドルースが犯罪者になると分かっていてわざと見過ごすのか』



 両極に立つ二人の自分が、両耳のすぐ側で咎め立てる。そのうちに胸の中がどんどん焦りでいっぱいになった。



「どうしたリルゼム?」

「え?」

「また顔が怖くなってるぞ」

「あ、いや……」


 そうだった。今、同僚と話をしている最中だった。


「なんか悩みでもあるのか?」

「そういうわけじゃない……けど……」



 頭の中がぐちゃぐちゃで、同僚への返答も浮かんでこない。



「……ごめん、反吐が出そうな話で気分悪くなったみたいだ。ちょっと外の空気吸ってくる」

「大丈夫か? もう昼休みだし、ゆっくり休憩してこいよ」


 笑顔で送り出してくれる同僚に礼を言うなり、リルゼムの足は勝手に庶務課を飛び出した。

 向かったのは、ある場所。

 この時のリルゼムは、ほぼ無意識だったと言っていい。

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