辺境伯家の追放事情・11

 広場に落ちる一瞬の静寂。そして、


「なんで、なんでこんな酷いことが出来るんですか!」


 そんな叫び声が響く。声を上げたのはキールにセシリーと呼ばれていた例の少女。そちらへ視線を向ければ幼子達の悲鳴は押し殺した嗚咽へと変わりその瞳は絶望と恐怖に染まっていた。


 スヴィアからしてみれば襲って来た相手へ応戦したに過ぎず文句を言われる筋合いなどないのだが、流石に幼子達の様子には良い気もしない。思わず表情を曇らせ、溜息を吐く。


「これじゃあ、まるで私達が極悪人だな。余計な真似をせず大人しくしていれば、害を加える気はなかったというのに」


「何が大人しくしていれば、ですか。最初から私達を流民街から追い出すつもりだった癖に!あなた達がアモルア教を迫害するように仕向けたから、私達は抵抗するしか……」


「それは辺境伯領の運営、ひいては迷宮にまで手を伸ばしたお前達の自業自得だろう」


 迷宮への侵入と番兵の殺害が無ければ辺境伯家もここまで強行的なアモルア教の排除へ動くことはなかったはずだ。


「それは全部、正しい教えを広めるためにっ」


「アモルア教こそが正義であり、それに反する者は悪。それを正すためなら、無法も許されると?また随分と身勝手な教えだ」


「っ…この地獄みたいな場所で、私達を助けてくれたのはアモルア教の人達だけ。流民街に見向きもせず、あの壁の内側でのうのうと暮らしているあなた達に何が分かるっていうんですか!」


 ポロポロと涙を零しながら並べられたその言葉も、冷ややかな表情を浮かべたスヴィアに響かない。


「ここに生まれ落ちたことに同情はするが、恨むなら先祖を恨め。それにルステニア市内へ入りたいのなら好きに入れば良い。鉄貨一枚で門は潜れる。そのくらいなら流民街でも手に入るだろう」


「壁の中に入ったって、伝手も後ろ盾も無い私達だけでは何もっ……」


「冒険者ギルドに登録して迷宮にでも潜れば、浅層でも日銭くらいは稼げる。あぁ、魔法が使えるなら辺境伯軍への入隊も難しくないな。高給取りだぞ」


 名案かのようにそう言い放たれたその言葉に、少女は馬鹿にしているのかと歯を食い縛る。


「誰がっ!」


 冒険者は毎月何人もの死者が出ている危険な職業であり、戦闘経験も無い子供達だけでの活動など自殺行為も良いところ。辺境伯軍に関しては恩師を捕らえシスターを殺した怨敵だ。


「まぁ何であれ好きにすれば良い。ただ流民街ここに残ることはお勧めしない。今までのように神に縋り雛鳥のように大口を開けて待っていても、もう餌をくれる庇護者はいないのだから」


「な、ふざけないで下さい!まだ話は…きゃぁっ」


 身を乗り出そうとして兵士に取り押さえられる少女に、スヴィアはもう話すことなど無いと踵を返した。


「ダリス、あの修道女に斬られた二人は?」


「ブランは腹を割かれたようですが内臓には達しておらず軽傷。ルビーの方は右腕を落とされていますが、すぐに止血を行ったため今のところ命に別状はありません。ただこれ以上の任務継続は厳しいかと」


 生命維持の危険性は無いとは言っても、可能なら早急に市内で治療を受けさせるべきだろう。特に流民街はお世辞にも清潔な環境とは言えず、感染症の可能性もある。腕を落とされたという兵士も、今ならばまだ治癒魔法を併用した治療で綺麗に縫合可能なはずだ。


「そうか、ならダリスは小隊の半分を率いてキールあの馬鹿と拘束した神父を連行しろ。駆車を使って構わない」


「スヴィア様、我々が命じられた任務には御身の護衛も含まれております。それを放って帰する訳には」


「現場での判断は私に一任されている。ディーナもいるのだから、護衛には隊の半分も残せば十分。情報源の神父を迅速に屋敷へ連行する方が最重要案件だ」


「…承知致しました。ですが帰還する隊の指揮は副隊長のオウカに一任します。隊長である私が任務を残したまま帰還する訳にはいきません」


「分かった、それで構わない。全くお前は相変わらず生真面目だな」


「それだけが取り柄ですので」


 そんなやり取りを済ませ、スヴィアは今度こそ孤児院へと足を踏み入れる。壊れた扉を踏みつけ中へ入れば、すぐに広がっていたのは食堂らしき大部屋。


「あれが例の地下への階段か」


 その一角、無理やり剥がされたらしき壁板の裏側に地下へ続く螺旋状の階段が露出していた。


「先程、罠などが無いか確認を行っていたのですが、およそ十五分程下っても底が見えず」


 スヴィアとしては嫌な予感しかしないので見て見ぬふりをしてしまいたいというのが正直のところだが、こんな明らかに怪しいものを見なかったことにして埋めるという訳にもいかない。


「まぁ、降りてみるしかないだろう。ディーナいけるか?」


 幅はおよそ一メートル程。壁に背を向ければすれ違うことは可能だが、二人以上が横に並んで降りるのは困難。更に螺旋階段となると武器の取り回しも一苦労だろう。


「ヴィー様がお望みとあらば如何ようにも。先日のような失態は二度と演じません」


 そんな確認の意味を含んだ軽い問いだったのだが、ディーナは頭を垂れ身命を賭すかのように仰々しく即答する。どうも先日リメインに不意を突かれたのを未だ気にしているらしい。


「あまり大勢でも、いざという時に身動きが取れなくなるな。私とディーナの他に、三人といったところか」


「スヴィア様自ら階段を下るおつもりで?」


 その呟きにまさかと口を開くダリス。


「あぁ、勿論。階段は相当深いのだろう?報告のために毎度時間を掛けて往復していては埒が明かないが、私がその場にいればすぐに指示を出せる」


「まだ安全が確認されておりませんので……」


 当然のように返ってきた答えに頭が痛いといった様子で自重を求めるが、


「危険など今更だ。それよりこの場に残っている者達の中で腕の立つ二名を選出しろ」


 スヴィアはそれを一蹴。興味深そうに階段の入り口あたりを覗き込み始めた。


「…承知いたしました」


 そうして選出された兵士二名とダリス、ディーナにスヴィアの五人が螺旋階段へ足を踏み入れ、半刻と少しが経った頃。罠を警戒しながらとはいえそれなりに深くまで下っているはずだが、グルグルと続く薄暗い岩の光景はいつまでも変わらない。


「私達は本当に降りているのか?同じ空間を繰り返し歩かされるような罠、とかないだろうな」


「今のところ魔法が行使された反応はありません。ただ魔素濃度が三十パーセントを超え上昇、地上に比べかなり濃くなっています」


 懐中時計のような計測器を手にした兵士の返答に、スヴィアの脳裏にふと嫌な予感が過った。ルステニアの地下深く、空気中の魔素の濃さ、この二つの条件はある場所に酷く酷似している。


 そうして計一時間弱を掛け辿り着いた階段の底、その突き当りに露出していたのは周囲と異なる淡い輝きを帯びた岩盤だった。


「魔障回路か」


 見事的中した予感にスヴィアは苦々しい表情で岩肌を睨み付ける。


 魔障回路は迷宮の外殻を循環する膨大な魔力の流れであり、魔法や物理的な干渉を跳ね除け外界との接触を完全に遮断する境界線だ。つまるところこの岩盤一枚を挟んだ向こう側は迷宮の内側ということ。


「ヴィー様、露出した魔障回路の一部に穴が空いています」


 ディーナが岩盤の上の方を見上げながらスヴィアに耳打ちする。その視線の先、輝きを帯びる岩肌の一部に拳程の黒い陰りが存在した。


 長い年月をかけ少しずつその形状を変化させる迷宮では時折、魔力の淀みによって魔術回路に穴の開く。それが陰りの正体、通称迷宮の穴だ。

 しかしこの穴、人の通れるような大きさになることはまずないため、毒にも薬にもならない無意味なものと軽視される場合が多い。特にシュドラ迷宮は地下深くに位置しているのも相まってその傾向が強かった。

 とはいえ正規の入り口以外で迷宮内部へアクセス可能な抜け道であることには違いない。


「なるほど。ここが迷宮への侵入経路だった訳か。どうりで神殿での記録を調べても、侵入者の手掛かり一つ見つからない訳だ」

 

 例えば高度な転移魔法の使い手であれば魔障回路の穴から魔力を干渉させ転移魔法で侵入、なんて真似も可能だろう。


 そう合点がいくと共に新たな問題が浮上する。それはアモルア教の連中がこの穴の存在を知ったうえで狙って階段を作ったのか、もしくは人為的に魔障回路に穴を開ける方法を保有しているのか、という点だ。

 前者なら市内にもフテン神教国から送り込まれた間諜かその協力者が潜んでいる可能性が高く、後者であれば世の中における迷宮という存在の扱い方が根底から覆りかねない。


 何故こうも厄介な話に拍車が…いや辺境伯家私達の認識の甘さ、油断と怠慢が招いた事態か。手遅れとなる前に判明しただけ幸運だと思うしかないな。


 スヴィアは険しい表情でそう自身に言い聞かせる。

 

「魔障回路付近の魔素濃度は?」

 

「四十五パーセント前後で推移しています」


 魔障回路のすぐ側の魔素濃度は、先程の階段よりも随分と上昇していた。岩盤を挟んだ向こうはおそらく三層の下部あたり。

 と、分かったところでこちら側から出来ることはもう何も無い。


「差し当たり、成果は十分だろう。戻るぞ」


 スヴィアはそう言ってここまで下ってきた長い長い階段を振り返り、


 今度はこれを上るのか……


 大きく溜息を吐いた。

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